第43話 争乱


 冬のただ中に、アルスターナ北東の草原で動きがあった。オシュケムが滅んだのだ。


 東のドゥハールの侵攻によるものだった。オシュケムの王はたおれ、民は西に逃げた。こうなるとそこから先が問題になる。

 北の平原に向かわれると厄介なのだった。平原は麦の産地。遊牧する騎馬の民といえど交易し麦を買わなければパンが焼けない。まだ畑は凍りついている頃だが、農民は騎馬の民の前に無力だ。略奪があれば春の種まきに支障が出るだろう。


 だがオシュケムの遺民の一部は南のアリーの領域にも入り込んで来た。アリーの王としてジョムルがまず対処しなくてはならないのは直接的な脅威の方だった。

 ジョムルはアルスターナ軍第二隊の出陣を命じた。



 ***



「だからお父さまは北の草原に行っているの。二番目のお兄さまも」


 司馬の娘サラーナは魔導師の館に遊びに来ていた。最近よく来るのだが、今いるのは応接間や居間ではない。裏庭だ。

 少し向こうではケリがアヨルクに稽古をつけてもらっていた。カザクもそれを眺めている。

 剣の手合わせなら見るだけでも好きよ、とサラーナは門から庭に回り込んでしまったのだ。剣を打つ音が聞こえたらしい。ならばとタリヤも上着を着込んで庭に出てきていた。


「この真冬に野営してるの? 幕屋は寒いんでしょ?」

「そうね。でも行かなくちゃ。放牧地を手離すわけにいかないわ」


 サラーナは現実的だ。家畜が飢えれば民も飢える。民を守るために軍はある。ならば寒くても行くしかない。

 だがタリヤはオシュケムの民のことも思ってしまった。ドゥハールの兵に蹂躙され牧草地を追われ、この肌を刺すような冬の空気の中で彷徨う民。もう草原に倒れた者もいるのではないか。


「どうして戦うのかなあ」

「奪わないと生きられないからでしょ」


 憂鬱そうなタリヤと対照的に、サラーナは事もなげに言って肩をすくめた。

 ドゥハールもさらに東からの侵略に耐えかねて西に活路を求めたのだ。無くしたものは奪い返すか、別の所から奪い取るかしかない。そういう理屈をサラーナは理解していた。

 タリヤも頭ではわかっている。それでも戦いは嫌いだった。だがサラーナは目を輝かせて言った。


「大きな争いになったらタリヤも戦いに行くかもしれないのでしょう? 大変かもしれないけど、少しうらやましいわ」

「うらやましいって……私は行きたくなんかない」

「そう? せっかく戦えるのに」


 右に左にと脚を動かして斬り込もうとするケリの剣をアヨルクは受け止める。目をすがめてケリの動きを見切りながら最小限の動きでいなす様は、もはや美しいとサラーナは思った。

 キリ、と食い入るように剣技を見つめるサラーナのことがタリヤにはわからなかった。


「戦いなんて、何が楽しいの」


 つい呟いてしまった。サラーナが、え、という顔になる。


「あ……手合わせを見るのは面白くなかった?」

「そうじゃないの。ケリが頑張ってるのは見てて楽しいけど」

「そうよね! 彼の剣はなかなか綺麗だと思うわ」

「うん……」


 タリヤの歯切れは悪い。子どものような顔でポツリとこぼした。


「だけど、戦場では人が死ぬの」


 驚いたサラーナは考える顔になった。


「それはそうだけど……戦わなければいけないから戦うのよ」

「どうして人が死ななきゃ駄目なの? サラーナのお父さんやお兄さんが死んでもいいの?」

「……いいはずないわ」

「誰だってそうでしょ。戦いだからって、死んでもいい人なんているの? 殺されて当然の人なんていない」


 タリヤは唇を震わせて言いつのるとフイと黙り込んだ。そして困惑して見つめるサラーナから目を逸らすと、館の中に駆け込んでいった。


 いつもホワホワと呑気なタリヤのそんな様子を初めて見てサラーナは立ち尽くした。

 どうしよう。何かとても悪いことを言ってしまったのだろうと後悔した。

 少し離れていたカザクがため息をついてやって来る。だいたいのやりとりは聞こえていた。


「すまない。タリヤは人が死ぬことに少し敏感なんだ。生きるために争うのが仕方ないことだと、わかってはいる」

「私――タリヤに何かひどいことを言ったのでしょうか」

「――いや。あいつが甘ったれなだけだ」


 カザクは軽く頭を下げるとタリヤの後を追った。サラーナは後ろに控えていたエルディンを振り返った。珍しくショボンとしている。


「今日は失礼しましょう――私、タリヤを悲しませちゃったのね。どうしよう」

「……お嬢さんは、勇ましすぎますからね」


 サラーナがヘコんだこの機会だ、エルディンはここぞと苦情を言ってみた。



 ***



 タリヤは居間にもいなかった。これは自室に引きこもったなとカザクは二階に上がって戸を叩いた。返事がない。

 だが中にいるのはわかった。


「――タリヤ?」


 勝手に開けて入ると、タリヤは長椅子に座りポロポロと泣いていた。


「おい――」


 カザクもさすがに動揺する。真っ直ぐに顔を上げたまま、とめどなく流れる涙。

 たぶん本人もどうすればいいのかわからないのだ。呆然とカザクに顔を向ける。助けを求める目をされて、カザクはとにかく隣に行った。

 座ってはみたがどうしろというんだ。

 困ったカザクはそっとタリヤの身体を引き寄せた。コトンと頭をもたれさせてくる。それでも涙は止まらないようだった。



 タリヤはいまだに家族を殺したことを後悔し続けているのだ。

 だから戦場で争って死んでいく人々、殺す側になった人々。どちらのことも痛ましく、無惨で、いたわしく思う。戦いたいとはとても考えられない。


 その思いがカザクにはわかっていた。不憫でならない。もういい、と言ってやりたい。

 だが他人がタリヤを許したところで意味がないのもわかっているのだ。



 肩を濡らされて、カザクはタリヤの頭を起こした。袖でやや乱暴に頬を押さえ涙を拭う。


「カザク――」


 少し涙が止まりかけてきたようだ。名を呼ばれてカザクはうなずいた。何も言ってやれなくて情けなかった。

 だがタリヤはそっとカザクの胸に顔を埋めてきた。

 そういえば抱きしめるのは久しぶりだ。それで落ち着くのなら、いくらでもそうしていよう。

 カザクは静かにタリヤの背に腕を回し、じっと寄り添った。






 ***


 次回、第44話「仲直り」。






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