第6話 剣士バトゥ


 館にシルが来てからは、カザクが出掛けてしまってもタリヤは退屈しない。

 シルは孤児院で雑用や下働きは教えられていたが料理や裁縫はできなかった。タリヤはそれをシルに教えてやりたいと思う。実は手仕事が得意なのだ。


「基本の運針をまず練習して、できるようになったら小物から作りましょ」


 そういうわけで、今日は裁縫教室だった。

 中庭に面した居間から、明るくて風のそよぐ回廊に出て敷物に座る。

 そこにはアルマもいた。タリヤは人に教えたことはないから、助けを求めたのだ。アルマに娘はいないがタリヤにいろいろなことを教えてきていた。


 タリヤがそんなことを手ずからする必要がないのはわかっている。

 だがタリヤは生まれた草原を恋しがっていた。そしてこの魔導師達が王宮に仕えるのを嫌っていることも、アルマは知っている。


 草原で生きていけるぐらいに何でもできるようになれば、どこにでも出て行ける。

 そんな日がいつか来るかもしれない。


「シルの服だって、私が縫えればよかったんだけど。時間がなかったから出来合いでごめんね」

「タリヤ様に作っていただくなんて、そんな」


 シルが目をパチクリする。それは主人が小間使いにすることではない。


「いいの。シルはここで育てるために引き取ったんだから、うちの子なの」


 アルマはうなずいてシルの頭を撫でた。


「ケリも従者とはいいながら、とてもよくしていただいてるの。なんでも学ばせてもらっているしね。シルも、甘えさせていただきなさい」


 自分はなんと恵まれているのだろう。こんな人達に迎えてもらえるなんて。


 タリヤにぴったりくっついて針の使い方を教わる。中庭は涼しく、かすかに水の匂いがした。タリヤの笑い声が耳をくすぐる。

 穏やかで、満たされる時間。

 シルは自分の幸運に身震いする心持ちだった。



 そこに玄関の方からのっそりと男が顔を出した。

 三十歳を過ぎた頃合いの、軍の剣士のようだった。無精髭を生やし、がっしりした身体つき。

 知らない男に驚いたシルを抱き寄せるタリヤに、その男は手をあげて気安く挨拶した。


「よお、タリヤ」

「いらっしゃい、バトゥ」

「あら、いつも息子がお世話になって」


 タリヤもアルマもにこやかに挨拶を返した。迎えるタリヤがシルを抱えているのをバトゥは気にも留めない。


「ケリはなつめの館よ。カザクと一緒に」

「お師匠様の所か。それで留守番が寂しくて女の子になついてるんだな」

「んふふ、いいでしょ。うらやましいの? 混ざる?」

「……カザクに殺されそうだ」


 自慢げにシルに頬ずりしてみせるタリヤを見て、バトゥはさすがにうんざりと顎の髭をなでた。



 バトゥはアルスターナ軍の剣士だ。

 四つある部隊の中で、第三隊の、第二小隊の、副長という絶妙に目立たない地位にある。


 ここ数年大きな戦争のないアルスターナ。しかし第三隊は、盗賊討伐だ村同士の小競り合いの仲裁だと、何かと駆り出される部隊だった。

 そこでしたたかに生き残っているのだから、大雑把に見えてそれなりに手練れなのだろう。



 バトゥは女性達から少し離れた所で柱にもたれた。

 タリヤとは十年来の知り合いだが、大人になりつつある今、不必要に近づくのは控えている。なんといっても美人に育っちまったからな、とバトゥはその成長を喜んでいた。

 他所よその子の成長は早いもんだとしみじみするバトゥは、三人の小さな子を育てる父親でもあった。


「ケリは留守だったか。そいつは残念」


 ケリに用事というのは、時間のある時には剣の稽古をつけてやる約束だからだ。


 ケリの父、アルマの夫も剣士だった。

 だが三年前、突然罪を得て処刑された。当時バトゥの上司であり、バトゥを鍛え上げた恩師でもあった。


 彼は市中の管理にあたる第四隊の長であり、市民の評判が良く、人気があった。

 そのせいだと兵の間ではもっぱらの噂だった。陥れられたのだと。

 魔導師と魔術師を管轄する術監処じゅつがんしょの長マルキムは、軍部と対立している。彼らが何かしたのだとまことしやかに言われていた。


 その家族のアルマとケリを匿い守ったのはジャニベグだった。

 術監相じゅつがんしょうマルキムは王直属の文官であり、横柄で偉そうであちこちから嫌われている。

 もちろん魔導師三人も面従腹背で――ジャニベグは彼を出し抜くことで、少々溜飲を下げたのだった。


 恩師の子であり、マルキムに目をつけられているかもしれないケリ。

 彼がこの先どうにか生きていくために、バトゥは暇をみてはここに通っているのだった。


 だが今日は、それだけではなかった。


「近々おまえさん達の手を借りる、と報せに来たんだ。カザクにも言っといてくれ」

「ええ? 嫌ぁよ」

「嫌と言ってもなあ。東でけっこうな略奪が続いてるんで、行ってやらにゃあならん。そしたら、ならば魔導師をと術監相マルキム殿が仰せになりやがったのさ」


 彼らは元々騎馬の民だ。こうして街に住んでいても、持てる者は馬に乗り、草原に出て狩りをする。

 小さな村に住む者ならなおさら、その生業なりわいはまず遊牧と狩り。そして交易。それで食い詰めれば、略奪。

 豊かな場所を襲うのはただの仕事だった。それを派手にやらかしている一団があるらしい。


「カザクだけでいいんでしょ」

「タリヤも、だ」

「嫌ぁよ、てば」


 タリヤは精一杯凄んでみせた。


「私が暴走したら、土地がかな臭くなるのよ。そしたら草も生えなくなるんじゃない? いいの?」


 薄笑いで脅すが、なんとも笑えない内容だった。












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