第7話 引力と斥力
「本当に私まで引っ張り出されるんだ」
「そう言わんでくれ、タリヤ」
夏の終わりの草原は人のざわめきと馬のいななきに殺気立っていた。その真ん中で自らも馬に乗り、タリヤはぶつぶつ文句を言う。
隣でおかしそうになだめたのはアルスターナ軍第三隊長、ジョチ。
四十歳のジョチからすると子どもっぽいタリヤは娘のようなものだった。魔導師への敬意はあるがあやすような気持ちが隠せない。
賊の討伐に向かうジョチとタリヤの隣にはカザクが馬首を並べていた。
カザクもタリヤも、馬は操れる。
カザクの見た目はアリーの民とは違う。遥か北の出身の母親そっくりだ。そのせいで
そしてタリヤは元は草原の村の生まれだ。村育ちの子どもは歩くより先に馬に乗ることを覚える。
おかげでこうして戦場に行けと言われても断ることができない。
今日の魔導師達はゆったりした
その上に
隊長ジョチは不満げなタリヤに苦笑いしつつ、彼女をカザクに任せて前に出て行った。
そろそろ事が始まるかもしれない。
「もう、戦場に女を出すなんて」
「タリヤは女だけど魔導師だろう。ただ
「嫌ぁよぅ」
ツーンとタリヤはわがままを言う。そうもいかないことは知っているのだが、嫌なものは嫌だ。
何故、王の命じるままに虐殺を行わなければならないのか。
「タリヤは矢を止めればいい。あとは俺がやる」
「……殺すの?」
「少しは仕方ないな」
カザクは無表情なままだ。
そもそも略奪し殺して回っている連中。何があろうと同情も憐憫も感じない。
力に頼って生きようとするのなら、力に蹂躙されて文句を言ってはいけないのだ。
だがタリヤは怯えた目で上目遣いに確認した。
「少し?」
「ああ。数人死ねば、逃げ帰るだろう」
カザクの術で死ぬのを見れば、だ。
気持ちのいい死に様ではないし、そうして死にたいとは欠片も思えないだろう。
カザクが使うのは、斥力。遠ざけ合う力。
それを人に使えばどうなるか。
「……私も、やる」
「タリヤ」
カザクは驚いて振り向いた。
いつも人どころか動物も虫も、生き物を殺すことをとても怖がるタリヤが何を言い出すのだろう。
「いつもカザクに甘えてちゃ、ずるいもの」
「これまでずっと甘えてたくせに?」
「だって――シルがね、私にくっついてお昼寝したの」
被衣と覆いのせいで目しか出ていないが、タリヤが顔を輝かせたのがカザクにはわかった。
「くぅくぅ、て。可愛かった。私を頼ってるの。私にギュウッてされると嬉しいんだって――私、あの子のお母さんではないけど、お姉さんぐらいにならなれるかな」
早口でしゃべるタリヤにカザクは小さく笑った。この愛したがりは本当にシルに夢中のようだ。あの子を選んだのは正解だった。
だがカザクは布に隠れて顔をしかめた。なんだか腹が立つのだ。
「シルのために、少しはしっかりしようと思ったのか」
「うん、そうなの」
「――それでも、戦う必要はない。おまえのためには俺が戦う」
強い言葉にタリヤは振り向いた。
見つめるカザクの目が絡みつく。タリヤは心臓が跳ねるのを感じた。
その時、物見の呼子が鷹の声のように長く響いた。
「行くぞ」
馬を駆けさせ前線に上がるカザクに、タリヤもついていった。
カザクはいつも傍らにいた。
カザクがいてくれればタリヤが力を暴走させても打ち消してくれる。誰も傷つけずに済む。
だけどそうだ、カザクは――タリヤを守るためにいつも戦ってくれた。
殺すことで傷つくタリヤに代わって、いつも殺してくれた。カザクだって別に殺すのが好きなわけではないだろうに。
カザクの背中を見つめてタリヤはやっと気づいた。
カザクは、タリヤのために先に大人になってくれたのではないだろうか。
「射程に入るぞ!」
「――任せて」
カザクが振り向いて声を張り、タリヤは意識を戦場に引き戻した。
視界に入ったのは丘の上に馬首を並べている賊。
彼らは弓を引き絞り待ち構える。上から射掛けた方が遠くまで届くからだ。
場所の有利を取り、一射目で機先を制すのが常道。
突っ込んでいくアルスターナの兵を向こうはどう見ているのか。
黒銀がいるからこそだと、気づいているか。
タリヤは細めた目で距離を測った。
一斉に矢が射られた瞬間、目を開いて小さく呟く。
「『
空を切り裂いていた矢が軌道を変えた。
一つに集束し、空中で塊になる無数の矢。
バキッ、バキバキ、ピシッ!
矢はまとまり、圧し潰され、砕け散り――地に落ちた。
タリヤが使うのは、引力。引き合う力。
今は矢に向けたこの力を人に――もうそれは、したくない。
矢が落ちたのを見た相手の中に不安が広がった。
「
「――じゃあ
「『
カザクが呟くと、丘を駆け下りる賊の先頭付近にいた男が一人、弾けた。
飛び散る
急に軽くなった背に馬が驚く。他の馬も手綱を引かれ、進撃は停まった。
また一人、弾ける。
くぐもった悲鳴と共に賊が逃げ出した。
追い討つように巻き上がる、草原が
土に向けての『ヤルミシュ』だ。
それに隠れながら退却していくのを見送って、カザクは肩をすくめた。
「二人で済んだか」
腹いせだろうか、土煙の中からヒョーンと飛んできた一本の矢は、タリヤがどうするまでもなく力なく地に落ちた。
***
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