第5話 大魔導師ジャニベグ


 老いた大魔導師ジャニベグは、なつめの木の下の椅子に腰掛けていた。

 訪ねてきた弟子のカザクを迎える中庭。そよそよと風が渡る。

 花の模様が彫り込まれた柱が回廊にぐるりと並んでいた。


 この居心地の良さそうな小さな憩いの場は実は牢獄のようなものだった。

 ジャニベグがここから出ることを、王は許してくれない。



 都の北西の一角を占める王宮。その中にアルスターナを支える泉がある。

 そのほとりにこの棗の館はあった。だからここから逃げようとするならば、王宮の門を抜けなくてはならない。


「二人揃った顔が見たいものだが」


 ジャニベグは苦笑いした。

 カザクとタリヤ。二人は幼い頃から彼が育てた大事な弟子であり家族のような存在なのだが、ジャニベグがこの館に詰めるようになってからは並んだ姿を見ていない。


「危険は犯しませんよ」

「私達が三人揃っていたら、外から何ができるかね」


 用心深い弟子をジャニベグは笑った。


 アルスターナいちの魔導師ジャニベグと、魔力の強さで双璧たるカザクとタリヤ。

 その三人に対して、格下の魔術師達が束になってもおそらく敵わない。

 では軍で囲んだらどうなるか。たぶん軍の方が大損害をこうむる。魔導師達もさすがに苦しいだろうが。

 ただ、そんな事があれば王宮そのものが無事な保証はない。


「何かできるかもと思う奴がいるかもしれませんからね」

「余計なことをしなければ、という例は過去にも数多あるのにな。そうやって滅んだ国も多いと学ぶべきだ」


 ジャニベグはふふ、と笑った。


 彼らを敵に回したらどうなるか。そんなこともわからない者が馬鹿をやらかさないとは限らない。

 彼ら自身ではなく、魔術そのものを胡散臭く思っている連中もいる。そして、魔導師達の属する術監処じゅつがんしょが権勢を振るうのを苦々しく思う連中も。

 利害の対立する者は多いので、三人まとめて始末してしまえ、などと企む阿呆がいてもおかしくないのだった。


 そんなことで殺されるとはカザクは思ってもいない。だがその後タリヤを連れてどうすればいいかわからない。だから隙は作らない。

 カザクは面倒を避けるためにそうしているのだった。



「ここ数年、山の雨と雪は変わりなかったようですよ」

「では今後も、水が戻る見込みはないのだな」

「地下の水脈が流れを変えたのかと」

「……新しい水源を探すしかないのか」


 カザクに調べさせていた問題について報告を受け、ジャニベグは難しい顔をした。



 この都の泉は、もはや枯れかけていた。

 ジャニベグの魔力で地の下の水をなんとか引き寄せている。泉が枯れればアルスターナの都は死に、王権も危うい。


 王はどうでもいいのだが、ジャニベグはこの都に住まう民を見捨てられなかった。

 砂と岩と草原に囲まれたこの地で、渇きに晒されてどう生きろというのか。交易と文化の十字路であっても水が無ければ滅ぶしかない。

 だからジャニベグはここを出ようとはせず、自ら泉を守り続けていた。もう一年になるか。

 だがこのまま過ごしていても埒があかない。ジャニベグとカザクは打開策を探すことにしたのだ。


「別の水源を求めるのなら、この都を棄てる覚悟がいるのだぞ」

「俺は、望むところですが」


 カザクは薄く笑う。その鬱屈した想いを知るジャニベグは痛ましげに弟子を見た。


「タリヤはどうしている」

「相変わらず館の中を踊り歩いてますよ。あと新しく幼い子を小間使いにもらってきたので、その子を可愛がっています」

「いつまでもまあ、困った娘だな」


 タリヤが抱える闇は暗い。


 まだ七歳だったタリヤ。愛らしいと評判の幼女を買い取りに来た男に怯え、魔力に目覚めた。

 その男も、タリヤの家族も家も、タリヤの魔力に巻き込まれた。


 赤黒い血の海にいたタリヤを拾い上げたのはジャニベグだ。

 自らの家族の血に染まりながら恐怖と混乱で我を忘れたタリヤを抑えられる者は彼しかいなかった。迂闊に近づけば誰もが血まみれの肉塊と化した。


 しかしタリヤを抑えるのではなく、決定的に無力にしたのがカザクなのだ。


 カザクとタリヤは正反対の力を持っていた。打ち消し合う二人は難なく近づき、手を取った。

 十一歳の少年だったカザクの運命はその時決まったと本人は思っている。

 自分はタリヤと共にある、と。


 ただ、そのの意味することが最近カザク自身でわからなくなってきていた。

 ジャニベグの元で魔術を学びながら兄妹のように育った二人。それでもこの年齢になれば、そのままではいられなくなってくるものだ。




「ところで、師匠の魔術とはいったいなんなのです? いい加減教えて下さいよ」


 帰ろうと立ち上がって、ふとカザクは尋ねた。


 カザクとタリヤの魔術のことは、もちろんジャニベグも把握している。それに沿って魔力を制御できるようにジャニベグが教え育ててきた。

 だがカザクはジャニベグの術がどういうものなのか知らない。教えてくれないのだ。


 一人の人間が使える術は一種類だけだ。ジャニベグのそれは、物に働きかけ動かすような種類ではないと推測していた。

 しかし泉に水を引き寄せよと命ぜられた時、ジャニベグは自らがと名乗り出た。さもなければタリヤがここに来ることになっただろう。

 弟子を庇ってのことだとしても、実現できなくてはどうしようもない。失礼ながら師匠を危ぶんだカザクの予想をジャニベグは軽く越え、泉を守ってみせている。いったいどんな魔術なのだろう。


「なんでもいいじゃないか。教えただろう、術は解釈だ」


 ジャニベグはいたずらっ子のように笑った。そんなところは弟子のタリヤと似ている。


「物をどうこうするだけではなく、あらゆる事柄におまえの力を働かせてみなさい」

「またそういう謎かけみたいなことを……」


 ため息をついて、カザクはあきらめた。


 控えていたケリを連れて、館を辞する。王宮から街のざわめきの中に出て、カザクは乾いた空を見上げた。さて、どうしようか。


 新しい水源を探すといってもけっこうな難題だ。

 そんなものがホイホイ見つかるようなら、この乾いた大地に暮らす者誰もが苦労しないのだった。


 













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