第25話 一緒にいたい


 一言謝るだけ謝って去ってしまいそうなカザクに苛立って、タリヤは引き留めた。


「あれは誰も悪くないでしょ。たまたまなんだから、もういいじゃない」


 そんなわけにいくものか。

 カザクの気持ちはもう巻き戻せない。ふと怒りが湧いてカザクはタリヤを真っ直ぐに睨む。


「俺達はもう、子どもじゃない」

「そう……だけど」

「ほどいた髪を男に見られて平気なのか、おまえは」

「……でも、カザクだもの」

「俺だから何だ」


 今度はタリヤが視線を外した。

 一緒に育ったカザクだからといって平気なわけがない。肌を見られる並みに恥ずかしくてどうしようもない。


 でも、もういいって言ってるんだから忘れてくれればいいのに。


 タリヤは内心では少し怒りながら、ホテホテと顔を熱くした。横を向いた耳まで赤くなっているのがカザクにもわかった。

 それを見てカザクは容赦なく近づいた。ぎりぎり触れない所で立ち止まり、ボソリと白状する。


「俺だって、あんなタリヤを見たら平気じゃない」


 タリヤはうつむいたまま肩を震わせた。

 カザクの言うことがわからない。どう平気じゃないのか。怖くて泣きそうだ。

 三つ編みの間から見えるうなじに煽られるのを、カザクは拳を握ってやり過ごした。

 タリヤは不安げに目を上げた。


「平気じゃないから、もう一緒にいてくれないの?」


 タリヤから斜め下の問いが返ってきてカザクは真っ白になった。


「私、カザクとずっと一緒にいたいのに」


 泣き出しそうな瞳がすぐそこで揺れている。カザクはうろたえた。


「……いや待てよ。意味をわかって言ってるか?」

「意味って?」


 怯えた顔になるタリヤ。

 この鈍い女になんと言えばいいんだ。カザクは精一杯の言葉を絞り出した。


「俺だって――おまえをどこにもやる気なんかない」

「ほんと?」


 パアッとタリヤの顔が輝いた。自然とその手が、すぐ近くだったカザクの腕にすがりつく。カザクは動揺を必死で抑えた。


「いや、だからわかってるか? 俺と一緒にいるってことの意味」

「……一緒にいるってことでしょ?」


 ああクソ。この女やっぱりポンコツだ。


 カザクはなるべく静かにタリヤの手を外した。乱暴に振り払わなかった自分を褒めてやりたい。

 こんなわからず屋に触れられていたら、抱きしめて口づけてわからせてやりたくなる。さすがにそれはいけない。

 これまで気軽にタリヤに手を触れていたことがカザクは信じられなかった。今そんなことをしたら、たぶん冷静ではいられない。

 仕方なく噛み砕いてカザクは言った。


「この先も一緒にいるなら、俺と、結婚するか?」

「……どうして?」


 無垢な目を向けられてカザクはため息を隠した。落ち着こうとゆっくりと息をする。

 絶望的に純真な相手と話すのは辛い。声を荒らげないように、こんなに努力したことはなかった。


「どうして、じゃないんだよ。俺達は家族じゃない。兄妹じゃないんだ。家族でもないのに一緒に暮らしてる、今の方がおかしいんだろう」

「おか、しい……?」


 思いもよらないことを聞いて、タリヤは呆然となった。


 私達は、おかしかったのか。


 現状を否定された衝撃。

 苦々しい顔のカザクには申し訳ないが、タリヤの頭からは「結婚するか」と言われたことなど吹っ飛んでしまった。


 硬直したタリヤにため息をついて、カザクは一歩下がった。

 今これ以上話しても無駄だ。


「タリヤ――俺は、おまえといるためにどんな手でも使う。そういうつもりで策を講じているんだ。だからおまえも、これからどうしたいか考えろ」


 物凄く甘いくせに辛辣なことを言い捨てて、カザクは自室に入ってしまった。

 勝手なようだが、成り行きとはいえ妻に請うてみた相手がこの体たらくではそうもなるだろう。


 タリヤは呆然自失のまま同じく部屋に引っ込んで、ポテンと寝台に座った。


「あれ……結婚?」


 ちょっと頭がぐちゃぐちゃなのだが、さっき確かにそう言われたはずだ。

 ジャニベグと話した時にもそんな話が出た気がするが、深く考えなかった。

 年頃の男女が共に暮らすためには、そういう体裁が必要なのか。それが当たり前なのか。


 自分とカザクなのだからこのままでいい。タリヤはなんとなくそう思っていた。だがカザクの方は違ったらしい。


「カザクってば……なんでそんなに常識的なの?」


 呟いてみるが、それはつまりタリヤ自身は非常識だということだ。


「結婚……?」


 いまいちどころか、いま、いま、ピンとこない。タリヤは寝台の上に倒れ込んだ。

 常々ぼんやりしてるだの、子どもっぽいだのと言われてきたが――タリヤは仕方なく認めた。自分は大馬鹿者だ。


「どうしよう……」


 これまで困った時、いつも助けてくれたのはカザクだ。

 でもこの場合、カザクに助けを求めるわけにはいかない。

 タリヤにも、それはわかった。



 ***



 朝になって、タリヤは静かに玄関まで出てきた。こっそり行ったつもりだったのに、目ざとく見つけたシルが飛んできてすがりつく。


「具合は悪くないですか、タリヤ様」


 昨日は考え込んで動けなくなり、夕食にも行かなかったのだ。


「大丈夫。心配してくれてありがと、シル」


 小さく微笑むタリヤを、少し離れてカザクが見ていた。どうしようとは思うが、カザクの方からかけられる言葉は何もない。



 今朝はアヨルクが出立する。沙漠と草原に水源を求め、ラクダを連れて行くのだ。

 タリヤの発案したことでもあるし、見送りに来るのは自然なことだ。別に言葉を交わすつもりはなかったがアヨルクに会うと悩みが減るような気がする。


 アヨルクはニヤリとしてタリヤに近づいた。顔を寄せ小声でささやくのは、カザクに気を揉ませるために、わざとだ。


「何か困ってるのかい」

「ん。まあ、ちょっとね」


 余裕綽々のアヨルクの笑顔にタリヤは少しだけ苦笑をもらした。

 この人はいつも飄々として、うっかり頼りたくなる。

 たぶんいろいろなものを乗り越えてきている大人だからだろうとタリヤは思った。助けてほしくなるのは自分が子どもすぎるからなのだ。


「じゃあ帰ってきたら話を聞いてやるよ。まだ困ってたらな」

「……ううん。自分で考えなきゃいけないことだから」


 首を振ったタリヤにアヨルクは破顔した。


「そりゃ偉い。まあ頑張れよ」


 ぽん、と肩を叩いて激励すると、アヨルクはアルマの所に行ってしまった。携帯用の食糧などを受け取る。

 荷物を揃えると、アヨルクはカザクに向かって手を挙げた。


「朗報を待っててくれ」

「頼む」


 送り出すカザクの表情がまた強ばっていた。それを見てアヨルクの口の端に微笑みが浮かび――アルマはやれやれと苦笑したのだった。







 ***


 次回、第26話「草原のカザク」。







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