第2話 魔導師の館


「カザクー! ねえ、あの子まだなの?」


 魔導師二人が暮らす館の中庭には回廊がめぐらされている。

 その白い柱をクルクルと縫いながら、タリヤは踊るように歩いて来た。


 街の広場では優美に振る舞ってみせた黒銀こくぎんの魔導師タリヤ。だが館ではいつも鼻歌混じりに踊り歩いている。

 可愛らしいが、少しうっとうしい。


「人の話は聞けよ。孤児院を出るのは昼だと言っただろう」

「朝ご飯食べて、すぐ来ればいいのに」

「向こうの片付けぐらいやらせてやれって」


 踏み台の上に立ち、手にハサミを持ったカザクはうんざりと言った。


 この中庭には小さな池と葡萄棚があった。

 棚に仕立てた葡萄の葉は夏の日射しを和らげる。心地よい木洩れ日の下に椅子を出してくつろぐのがこの街の定番だ。


 だがこの館の主の一人、アルスターナでも屈指の魔導師であるカザクは葡萄棚の下で踏み台に登っていた。そしてパチン、とハサミを鳴らす。葡萄の収穫をしているのだ。

 白金はくきんと呼ばれるカザクだが、今日は作業用に茶色い長衣カフトルに身を包んでいる。


「あの子の部屋だのなんだのが準備できてるなら、タリヤもこっちを手伝え」

「嫌ぁよぅ。背伸びしなきゃ届かないもん。去年それで踏み台から落ちたじゃない」

「落ちたのは踏み台の上で踊ったからだろう?」


 カザクがムスッとする。

 これは怒っているわけではない。地だ。

 基本的に無表情でぶっきらぼうなカザクは、公の場では柔らかな微笑みを浮かべて貴公子然としてみせる。だが人目がなくなるとあっという間に愛想がなくなるのだ。


「表情筋に使う力がそんなに惜しいの?」


 そうタリヤが訊いたことがあるが、それにも冷たい目を向けただけだった。


 この館の使用人は少ない。特に男手が少ない。年寄りか少年しかいない。

 そしてその年寄りの方が軽く腰を痛めたので、主人たるカザク自らが雑用をかって出ていた。

 王宮から呼び出されなければどうせ暇なのだ。



「タリヤ様は、あとで葡萄搾りを手伝って下さいね」


 カザクの足下で葡萄を桶に受け取る女中のアルマがにっこりと提案した。


「え、魔術で?」

「そうです。種までぎゅうぎゅう潰しちゃ嫌ですよ? 渋すぎる葡萄酒は好みじゃないんです」

「葡萄酒の仕込み? 楽しそう!」


 目を輝かせるタリヤを見てアルマは微笑んだ。

 アルマは三十二歳。三年前に未亡人になってから、息子と共にこの館に来て働いている。

 何かと恐れられることの多い魔導師二人に平気で雑用を頼む肝の据わったアルマだが、最初はそうではなかった。


 まだ二十歳前後の主人達が望んでいるのは普通の暮らし。

 その力を畏怖され、忌み嫌われるのではなく、なるべく隔てなく接すること。


 それがわかってから、アルマはその願いに寄り添うように心掛けている。


「カザク様、ハサミじゃなくて魔術で収穫しないんですか?」


 そう訊いたのはカザクの従者の少年、ケリだ。

 主人をとても尊敬しているケリなのだが、地道にハサミを使う魔導師ってどうなんだろうと思ってしまう。


「できるけど意味がない。ハサミが確実で早い」

「カザクならこの葡萄全部を一度に落とせるかもね。でも落ちて傷んだ葡萄じゃ困るでしょ?」

「ああ、そうですね」


 魔導師達に言われてケリは納得した。

 ケリはアルマの息子だ。十三歳になり背も伸びてきているが、まだ母親と並ぶ程度。収穫は上背のある主人に任せる方がいい。

 葡萄の入った桶を運ぼうとしたケリは、ふと立ち止まった。


「母さん、ここの葡萄だけじゃ葡萄酒を仕込むには少なくない?」

「そうね、一樽仕込めるように買い足しましょう」

「買ってまでやるの」

「だって、一度やってみたかったのよ。タリヤ様もそろそろ葡萄酒を試せるお年頃だし」

「タリヤに飲ますなら俺がいる時にしてくれよ。うっかり酔っぱらって魔力が駄々漏れになったら、死人が出るんだぞ」

「ひどいわよカザク。最近は失敗してないでしょ!」


 悪口を言ったカザクに近づいて、タリヤが抗議する。突き落とされてはかなわないのでカザクは念のため踏み台から飛び下りた。

 後先考えずにそういうことをするのがタリヤなのだ。子どもの頃から何度そんな目にあわされたことか。


 でも今日のタリヤはツーンと顔を背けると身を翻して離れていった。

 まるで黒い蝶のようにヒラヒラ、フラフラ。風に吹かれていくタリヤを、カザクは諦念を込めて見送った。



 ***



 午後になって新しい小間使いの女の子シルはやって来た。

 にこやかにアルマに迎え入れられ、おずおずと館の玄関ホールに足を踏み入れる。

 そこに小走りで出てきたのはタリヤだ。広場で見たよりも可愛らしい様子のタリヤに、思わずシルの頬が染まる。

 挨拶しかけたシルをタリヤは有無を言わさず抱き上げた。子どもとはいえ自分の胸まである女の子を、無理矢理だ。


「堅苦しいのは無しにしましょ? 来てくれてありがと、待ってたのよ」


 そんなことを言われても困る。シルは抱かれたままで頑張ってみた。


「あ、あの。シルと申します。本日よりお仕えいたします」

「ええ、私はタリヤ。よろしくね」


 とろけるように笑ったタリヤはシルに頬ずりをしてクルクルと回る。だがよろけて、慌ててアルマが飛んできた。

 クスクス笑うアルマに支えられ面目なさそうにシルを床に下ろす。


「私、腕力はからきしなんだもん」

「ええと、でも魔導師様には魔力がございますでしょう?」


 考え考えてシルが言うと、タリヤはふるふると首を振った。


「嫌ぁよ、名前を呼んで?」

「―――タリヤ、様?」


 これは先日の広場で見た気高い魔導師と同じ人だろうか。シルは疑問に思った。あまりに子どもっぽい。


「タリヤ、何してるんだ?」

「カザク」


 ケリを連れたカザクも出てきた。いつまでも入ってこないタリヤにしびれを切らせたのだった。カザクは冷たく細めた目でこちらを眺める。

 整った顔立ちだけに冷ややかな視線に凄みがあって、シルはうろたえた。それを見たタリヤがシルを腕の中にギュウッとしまう。


「だーめ、シルは私の」

「あらタリヤ様、苦しがってますよ」

「おまえなあ、子どもを困らせて嫌われたいのか?」


 アルマとカザクが呆れ顔になった。

 むー、と唇をとがらせたタリヤは腕をゆるめる。おかげで顔を出せたシルがプハッと息をした。カザクはそれにピタリと視線を合わせた。


「よく来たな、シル。俺はカザク」

「は、はい。よろしくお願いいたします、カザク様」


 表情を変えないカザクにビクビクしながらシルは挨拶した。

 タリヤに軽く抱かれたままなのがしまらないことこの上ない。だが仕方ない、放してもらえないのだから。


 それにしても憧れの美しい魔導師二人と言葉を交わすだなんて。シルの心臓はもう疲れてしまっていた。







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