第12話 暴発


 シルと連れ立って館に帰る途中、タリヤは露店のいちをのぞいた。市はシルが見たことのない物であふれているから、見せてやったら喜ぶと思う。


 様々な色の玻璃のモザイクで作られたランプ。

 透けるように繊細に織られた絹のショール。

 沙漠に映える赤に染められた革作りの帯。


 髪飾りの並ぶ店の前で立ち止まり、タリヤはシルを見た。


「何か欲しい物はある? 私とお揃いで着けたら素敵じゃない?」

「タリヤ様とお揃いだなんて、とんでもないです」


 びっくりして首を横に振るシルだが、そんな風に言ってもらえることは嬉しそうだった。その反応を見てタリヤは勝手に品物を選び始める。


 タリヤの黒髪とシルの焦げ茶の髪。薄い色の物の方が映えるに違いない。

 タリヤは色味のある物を身に着けたいと思えないので、白い石はどうだろう。それとも海という所で採れる貝殻か。


 あれこれ見ていたタリヤはシルに背を向けた。大事な小間使いがタリヤの視界から外れた。

 その瞬間、シルは人混みにグイと引き込まれた。

 口を塞がれ、細い身体を横抱きにしてさらわれたのだ。


 髪飾り屋の店主が叫び声を上げて、振り返ったタリヤは蒼白になった。

 シルがいない。


 ざわめきと人々の視線でシルを連れ去ろうとする者がどちらに逃げたのかはだいたいわかる。

 タリヤは追おうとしたが、人混みをかき分けて走るのは難しかった。

 タリヤは自分が総毛立つのを感じた。


 ――駄目、ここで暴走しては駄目。


 タリヤは必死で自分を保とうとした。人の集まるこの市でしまったら大変なことになる。

 今カザクはいないのだから、自分で自分を律するしかない。


 タリヤの向かう先で人々の悲鳴が上がった。


「シル!?」


 タリヤも悲鳴のような声でシルの名を呼び、走った。


 ――抑えて。抑えなきゃ駄目。力をもらしちゃ駄目!


 片手で喉を締めるようにしながらタリヤが走った先に、人々の囲む輪があった。

 なんとか人を分けてまろび出たタリヤの視線の先で、うずくまる男。

 それに剣を突きつけながらシルを背に庇う者がいた。地面にいる男の方は脚から血を流している。


「シル!」


 タリヤが叫ぶと、シルは呆然としながら振り向いた。地面にへたり込んだままだ。


「タリ、ヤ、さま。あの……この方に、助けていただいて」


 唇を震わせながら伝えようとするが、髪はぐしゃぐしゃに乱れ、頬と手のひらを擦りむいている。

 それを見たタリヤは、血の気が引くのを感じた。


 ――ああああ!


 タリヤの瞳孔が見開かれ、シルをかどわかした男を捉えた。


 目の前にある剣の切っ先に怯えながら、男がチラリとタリヤを見上げる。


 次の瞬間、男の無惨な悲鳴が響いた。

 ゴキゴキ、グシャッ、と嫌な音がして血生臭い匂いが立った。


 助けられたシルはすでに息も絶え絶えだった。そしてさらに目の前で起こったその光景を見て、か細い意識を手放した。

 まだ八歳の少女には無理もなかった。



 ***



「犯人には女の子をどうこうって趣味はなかった。金を貰えればなんでもやる、それだけの奴だ。誰かに頼まれたんだろうが、足がつくような人物じゃあない」


 事の顛末を調べてきたバトゥが報告した。


 今日は館の一室だった。戸と窓は開け放してあるので風が抜けていく。

 カザクは白っぽい金髪を風になぶらせて、ため息をついた。



 倒れたシルは、駆けつけた市中警備の第四隊員により運び届けられた。

 使用人の中で一番年少のシルは皆が可愛がっている。女達が怪我の手当てをし、着替えさせて寝かせ、見守っていた。


 タリヤは自室に引きこもってしまった。

 シルが怪我したのを見て、力を抑えきれなかった。そしてそのせいでシルは衝撃を受けて寝込んだのだ。


「腕の先だけで抑えたんだから進歩だと、俺は思うんだが」

「カザク……そりゃ衆目注視の中で人を丸ごと潰されたら、ちょいとキツいが」


 だからといって腕を潰したのを褒めるわけにもいかない。バトゥは困って顎を撫でた。


 タリヤがやったのは肘から先だけだが、男は脚も斬られていた。

 その出血と、生きたまま腕を潰される痛みと衝撃。いろいろ相まってか、男は結局死んでしまったという。いっそひと思いに潰れて死んだ方が楽だったかもしれない。


 犯人の脚を止めてシルを助けたのは、隊商の護衛で稼いでいる男だった。

 一応アルスターナの者だが、いつも旅から旅の草枕な生活を送っている。たまたまアルスターナに戻ったところで女の子がさらわれそうなのを見て、横槍を入れただけだと言ったそうだ。


「実は昔、四隊にいた奴なんだよ」


 バトゥは苦笑した。自分も元四隊で、その男とは顔見知りだった。

 ケリの父が濡れ衣で処分を受けた時、不満をつのらせた仲間と共にバトゥは異動させられた。別に何もする気はなかったのだか危険視されたらしい。

 その時にさっさと軍から身を引き、転職したのがその男、アヨルクだ。三十二歳のバトゥよりいくつか年下だったはずだ。


「怪しいところはないのか?」

「わからんな。三年前には信用できる男だった。だが転々と仕事して回るうちに何かあったとしても、おかしくはないだろう?」


 バトゥに匙を投げられて、カザクは忌々しげに顔を歪めた。

 シルをさらわせたのが誰なのか。何が目的だったのか。結局一つもわからない。


 とにかく何かある度に、逐一対処していくしかなさそうだった。








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