第37話 葡萄酒の味


 魔導師の館の大人達は少し浮き足立っている。主人二人も使用人も皆、食堂に集まって楽しげだ。

 食糧貯蔵室からアルマが壺を持って戻ってくる。彼らは庭で収穫した葡萄から仕込んだ葡萄酒の味見をするために集まっているのだった。

 シルが館にやって来た日に収穫していた、あの葡萄。その後タリヤが『収縮キサルマ』で搾って仕込んだ。

 まだ若い酒だがどんな味になっているだろう。

 シルとケリだけは参加できないがタリヤも一口試してみる。もうカザクから逃げていないので、酔っ払っても平気だ。


「いや、一口ぐらいなら酔わないだろ? いくらおまえでも」

「おまえでも、て何よ。私どれだけ子どもなの?」


 普通に会話する主人二人に、使用人達は安堵した。何も言わずに見守っていたがギクシャクする二人を皆が心配していたのだ。

 使用人という立場であっても、魔導師達が子どもの頃から館にいる者が多い。皆が親戚のおじさんおばさん目線だった。


「味見できないのは、つまらないなあ」

「え……私は葡萄酒なんて、いい」


 仲間外れも嫌なので覗きに来たケリとシルだが、見ているだけだと面白くはない。ケリは不満顔だったが、シルの方は微笑んでケリの後ろに引っ込んだ。


「シルには十年早いもんな」


 アヨルクにわしわしと頭を撫でられ、シルは甘えて笑った。シルは馬乳酒クムスで酔った前科がある。もう酒はこりごりなのだ。

 ところでアヨルクはすっかり館に居ついていた。シルには懐かれ、アヨルクも可愛がっていて父娘のようだ。皆からも若い男手として重宝がられている。

 新酒の味見にもしれっと参加していた。この葡萄を収穫した時には館にいなかったはずなのに、昔からいたような態度だった。


 少しずつ注いだ杯を配って、軽く持ち上げ乾杯の合図をする。香りを確かめた面々は一様に不審な顔になりながら、酒を口に含んだ。


「薬なの……?」


 初めて飲んだタリヤの感想は子ども並みだ。だが皆は顔をしかめる。


「これ葡萄酒の、新酒だよな?」


 カザクが確認した。アルマは深刻な顔でうなずく。


「そうです。この樽しかないんですから、間違えようがありません」

「嘘だろ?」


 アヨルクがボソリと呟いた。口中に広がる豊かすぎる渋みとえぐみ。

 酸味や香り、軽やかさといった新しい葡萄酒らしさがどこにもない。そのぐらい、強くて重くて苦い。ぶっちゃけ失敗だ。どうしたらこうなる。

 これがさらに熟成したらどうなるんだと酒飲みのアヨルクは深刻に危惧した。せっかくの葡萄だったのに勿体ないことをしたものだ。


「あらあ……やっぱり潰しすぎでしたかね、タリヤ様」

「え、私?」


 アルマに苦笑いされてタリヤは驚いた。


「潰しすぎというか、搾りすぎというか。なんなんでしょうね、これ」

「だってえ、どんな感じかわからないでやったんだもの」

「私も初めてでしたしね」


 仕込んだ女二人で思い出して笑うが、アヨルクは恨めしそうだった。


「酒を不味くするなんざ大罪だぞ。酒の一滴は血の一滴なんだ」

「だって飲んだこともないものなのに」


 文句を言われてふくれるタリヤだが、カザクは庇わなかった。庇いようがない。


「こんなの葡萄酒とは言えないな」

「カザクまで! じゃあ何よ?」

「知るか。別の何かだ」


 カザクもさすがにタリヤを睨んだが、どちらかというと悪いのはアルマかもしれない。だがアルマはぬけぬけと笑った。


「腐ってなかったのは不幸中の幸いだわあ」

「おいアルマ、おまえ酒に関してはもう手出し禁止だ」


 アヨルクはギリギリと歯噛みした。世の中の酒という酒をなんだかわからない物に変えられてはたまらない。それこそ魔導師並みの仕業だ。


「料理は旨いくせに、おまえ……」


 絶望的な顔で肩を落とすアヨルクに、この館の爺やであるスレンが歩み寄った。夏に腰を痛めて以来、丁度よく館に居ついたアヨルクに何かと頼み事をして仲良しなのだ。


「来年はおまえが仕込めや、アヨルク」

「そうしてちょうだいな。アルマにやらせちゃ駄目だわ」


 他の女達からも賛同の声が上がる。

 おい、とカザクは心の中で突っ込んだ。アヨルクがずっとここにいるように話しているが、いつの間にそういうことになった。

 アヨルクとスレンは肩を叩いて慰め合っている。首をひねるアルマを女達が小突く。

 この和やかな空気に横槍を入れるのもどうか。カザクはため息をつくだけで我慢した。それを見てタリヤがクス、と笑った。


「まあいいじゃない。お試しでやっただけだもん」

「おまえが言うのか」


 不機嫌そうにするカザクを見て、タリヤはたまらず笑いこけた。あまりに不評で、むしろおかしくて仕方ない。

 それにカザクとこんな風に言い合えるのが嬉しい。はためには以前と変わらないように見えるかもしれないが、タリヤの中では何かが違っていた。


 カザクの存在が、くっきりと鮮明な輪郭を持ってタリヤの芯にある。

 だからなのか、これまでのつかみ所のないタリヤではなく透き通るような視線で見つめられて、カザクは言い返せなくなった。


「この酒は、アルマの好きにしてくれ」


 言い置いてカザクはスルリと出て行った。タリヤは面白そうに目をくりっとさせて後を追う。使用人達はそれを微笑ましく見送った。




 すぐに追いついて、タリヤは並んで歩く。ここで腕にぶら下がらないのも前と違うところだった。

 心は近く寄り添っていたい。でも身体に触れるのは、恥ずかしい。


「カザクってそんなに葡萄酒は飲まなかったでしょ? なのにそんなに残念なの?」


 横目で見上げ不思議そうなタリヤに、カザクは不機嫌な顔をした。でも正直に言う。


「おまえの作った葡萄酒だから、楽しみにしてたんだよ」


 タリヤは少し照れて、でも嬉しそうに小さく笑った。これまでと違うそんなタリヤに、カザクは落ち着かない気分にさせられていた。


 最近のタリヤのことは肩を抱いて守ろうとは思わない。ツイ、と伸びやかに立つ姿を一歩離れて眺めていたい。

 もう腕の中におさめなくていい。タリヤが独りで立てるようになったからか。


 二人共に手を伸ばさないので、接触することはほとんどなくなった。なのに気持ちは近い気がする。

 だから二人は今、これまでになく満たされていた。







 ***


 次回、第38話「女友達」。







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