第23話 心こそが


 タリヤといえど、女として一応のたしなみはある。

 髪をほどくなんて行為は唯一の男の前でしかしないもの。それをカザクに見られたのには本気で恥じらいをおぼえた。

 カザクと出くわしたのは不可抗力だったとはいえ、髪をといて部屋を出ていたことを後悔している。


 カザクの方もまともにタリヤを見られない。なんとも破廉恥なやらかしだった。しかも自分が待ち伏せなどしたからああなったわけで。


 朝になっても、なるべく会わないように逃げる二人だった。偶然のことだと双方わかっているのにどうにも気まずい。

 カザクはケリを連れて出掛けてしまったし、タリヤは居間に籠って刺繍などに精を出していた。



「タリヤ様ぁ……なにか怒ってますか?」

「……そんなことないから、大丈夫」


 体調が回復しタリヤのお針のお供をしているシルは、少し心配そうだ。タリヤが黙々と手を動かしているなんて普通ではなかった。


 昨日の酒の失態もあるし、カザクの様子もおかしかった。酔いつぶれている間に何かあったのだろうか。


「あらあら、仕事がはかどりますね」


 アルマが覗いてニッコリする。タリヤ達は敷物の上に布や糸を散らかして座り込んでいた。

 タリヤが今作っているのは帽子だった。


「鷹の意匠ですね。カザク様にお似合いじゃないですか」

「痛ッ!」

「まあまあ、褒めたそばから!」


 ブスリと針を指に刺したのは、これがカザクのための帽子だと思い出したからだ。

 何の気なしに作りかけのこれを手に取っていたが、今やらなくてもよかったかもしれない。突然意識してしまってタリヤは針を置いた。

 シルが作品をしげしげと眺める。とても上手だと思う。


「カザク様の髪は、街では目立ちますもんね。お仕事じゃない時は地味な色を着てらっしゃるけど、それでも目がいきます」


 それを隠すための帽子だ。だから作っていたのに、これではもう針が進まない。

 タリヤはため息をついて、シルをムギュ、と抱き寄せた。


「みゃん! なんですかタリヤ様」

「ああん、もう……」


 こうすると安心するのだ。猫のような声を上げるシルを抱いてゴロゴロ転がってしまったタリヤを見て、アルマはため息をつくと仕事に戻っていった。


 タリヤの胸におさまって、シルは薄目で目の前の黒い服を眺めた。タリヤはいつも着飾らない。シルと揃いで買った櫛ぐらいしか装飾品も身につけないのだ。


「タリヤ様……」

「なあに?」

「タリヤ様も、綺麗な色を着ませんか。私だけ可愛くしていただいて、気になります」

「――そう」


 腕の中で小声でおねだりするシルは、タリヤが何故鮮やかな色を着ないのか知らない。


 明るい装いをさせられ、ゴテゴテした飾りを身につけた男に渡された。何をされるのか恐怖に駆られた後、視界が血の赤に染まった。

 あの日から、そんな服が嫌になった。苦しくなった。


 タリヤだって綺麗な物は好きだ。シルを飾ると嬉しいし、女友達と仲良くお揃いにする楽しみをシルと分け合いたい。

 でも、黒と白しか着られない。可愛がっていた妹はもういないのに、自分だけが美しく装って生きる気にはなれない。

 殺してしまった自分の、それがせめてもの償いだった。



 ***



 カザクは棗の館にジャニベグを訪ねていた。

 タリヤのいる館から逃げたい気持ちもあったが、第三隊からの情報を報告するという真っ当な理由もある。


「北西で草の育ちがよくなった場所があるそうなので、そっちにラクダを行かせてみます」


 都の南東に連なる山。そこからの水が流れを変えている。そのせいでアルスターナの泉は枯れそうになり、都の北側の草原は勢いを失った。

 牧草地の危機にあたり、人々は草を求めてさまよう。一人で泉を探すより、多くの民が見つけてくれる草の育ちの方が信頼できるのだった。ただ、人々が新たな地に群がることで争いも起こり、三隊の仕事は増えていた。


「いい場所があれば俺が行って、土をうがって泉にしますよ」

「また荒っぽいことを」


 そうは言いつつ、ジャニベグも楽しげだ。


「井戸でもいいですけどね。目に見える形の水辺がある方が、自然に人が集まりますから」

「ふむ。集落になり、いちが立ち、町になっていく。人々が勝手にしたことで我々は関わりないしな」

「暮らしやすい所に住みつくのは止められません」


 うっすらと笑うカザクだ。

 都の地下水路カレーズの流量が減り庶民が不自由を感じれば、移住者が増えるだろう。結果、アルスターナは打ち捨てられる。



 民のいない都など、朽ち果てればいいのだ。

 カザクはこの都と、そこでとする貴族や金持ち達が大嫌いだ。だからその終わりを自分の手でもたらすことができるなら、望外の喜びだった。



 誘拐なのか売買なのかは知らないが、遥か北の地からやって来た母。その血を色濃く見た目に残す自分。

 美しい母を買って妻に迎えたくせに、すぐに生まれた息子の種を信じられずに捨てるような男が父親だそうだ。そんな奴のいる都はさっさと消え去ればいい。



 そんなカザクの気持ちを知るジャニベグは屈折した弟子達の行く末を案じていた。それぞれに抱えたものを越え、真っ直ぐに生きてほしい。

 そのためにも、懸命に前を向く少年少女が彼らのかたわらにいるのは良いことだ。その少年をジャニベグは呼んだ。


「ケリよ」

「は、はい!」


 声を掛けられて、控えていたケリは駆け寄った。


「ずいぶん背が伸びたな。それに、強くなったようだ」

「バトゥさんに鍛えてもらっていますけど、まだまだです」

「そうか。だが、心は自分で鍛えることだ」

「はい……?」

「目指すものがあると人は強くなれる。そういう気持ちこそが、誰もが使える魔術なのだよ」



 人の心こそが魔術だと、ジャニベグは思う。


 強い意志や願いにより、人は何かを成し遂げる。その大本の力になる心が、魔術でなくしてなんなのか。


 恋もその一つなのだろう。いろいろな形があるが。

 守りたい。自分のものにしたい。頼りたい。支配したい。

 どんな形がなどと決めることはできない。

 だがそれは、決して独りよがりであってはならない。相手を想うものでなけれぱ。


 さてカザクとタリヤはその魔術を使えるようになるのか。あるいはその魔術にかかることがあるのか。

 そうなればいいが、とジャニベグは不器用に生きる弟子達の将来に思いを馳せた。







 ***


 次回、第24話「伝えて」。





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