シヴァーナの凶行
「すいません! 道を開けてください!」
必死になって人ごみを掻き分け、前へ、前へと突き進むライオ。
やがて、最前列へと飛び出した彼は、目の前の光景を見てはっと息を飲んだ。
「返して! それは私の物でしょ!」
「お黙りなさい、この淫魔! よくもまあ神聖な教会があるこのザルードで、このような不埒な物をばら撒けたものですね!!」
私兵と思わしき人間たちに取り押さえられているモモと、そんな彼女を鼻息を荒げながら糾弾しているシヴァーナ。
その手にはモモが昨晩、徹夜してサインを書き続けたグラビア写真が握られており、それを一瞥したシヴァーナが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「なんて破廉恥な……! 下着姿と変わりないこの様な絵を売って日銭を稼ぐだなんて、恥ずかしいと思わないのですか!?」
「思わない! これが私のやりたいことで、仕事なの!! いいからそれ、返してよ!」
「返すわけがないでしょう! このような物がばら撒かれては、ザルードの治安が乱れてしまいます! 全て没収……いえ、この場で廃棄決定です!!」
ぐしゃりと、手にしていた写真を握り潰したシヴァーナが金切り声で叫ぶ。
そのまま、他の写真が包まれている風呂敷へと指を向けた彼女は、炎の魔法を発動して一気にそれを焼き払ってみせた。
「あっ!? ああっ……! 私の、写真が……!!」
「ふう、これで人々が淫気に当てられて不埒な真似をする危険性を排除することができましたね。あ~、すっきりした!」
パチパチと音を立て、燃え盛る写真たちを目にしたモモが悲痛な呻きを漏らす。
ライオと共に構図を考え、撮影し、一枚一枚に想いを込めながらサインを書いていった写真が、これを望む人たちに喜んでほしいと思いながら作ったグラビアが灰となっていく光景を目にする彼女の瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。
「どうして……? 私、頑張ったのに……また、こんな目に……!」
「モモ……」
最前列で全てを見ているライオには、モモの無念が痛いほどに理解できている。
この世界にやって来る前、グラビアアイドルとしての夢を断たれた際の苦しみを再び味わっているであろう彼女の悲痛な反応にライオが言葉を失う中、鼻を鳴らしたシヴァーナが部下たちへと信じられない命令を口にした。
「ふんっ! これでこの淫魔も少しは大人しくなるでしょう。さあ、あなたたち、この女を連行しますよ!」
「きゃあっ!?」
「も、モモッ!?」
モモから写真を奪い、燃やしただけでなく、その身柄を拘束してどこかへ連れて行こうとするシヴァーナ。
教皇としての権力を超えたその行いを目の当たりにしたライオは居ても立っても居られず、咄嗟に彼女の前に飛び出してしまった。
「シヴァーナさま、お待ち下さい! いったい彼女をどうするおつもりですか!?」
「ライオ……? 何故、あなたがここに? 修道士としての務めはどうしたのです?」
「そんなことよりも、彼女をどうするおつもりですか!? 彼女の行動が目に余るというお気持ちは理解できますが、罪を犯していない人間の身柄を拘束する権利をあなたは有していないはず! 絵を燃やすまでは許されるでしょうが、罪人でもない彼女を捕縛することは許されていないはずです!」
「はっ! 何を言うかと思えば……いいですか、ライオ? この女は淫魔に憑りつかれています。でもなければ、こんな馬鹿げた行動などするはずがありません。私はこのザルードの修道士たちの長として、彼女に憑りついた淫魔を祓ってあげようとしているのです。その上で、彼女を清く正しい修道女として教会に迎え入れてあげようとしているのですよ」
再び鼻を鳴らしたシヴァーナが、ライオを小馬鹿にしたような態度で彼へとそう述べる。
一見、筋が通っているように聞こえるその意見だが、節々に感じられる不自然さに反論を行おうとしたライオであったが、それよりも早くにモモが彼女へと叫んだ。
「私は淫魔に憑りつかれてなんかない! あなたに世話されることも望んでない! もう放してよ! あの写真がだめだっていうなら、もっと別の写真を撮影する! それでもだめなら、どうにかしてこの町から出ていって、他の場所で私がやりたいことをやるから!」
「お黙りなさい! まだあのような破廉恥な絵を人々の間にばら撒こうとしているだなんて……この恥知らずめ!」
「あうっ!!」
ぐいっと、両脇から体を抑えられて身動きが取れないでいるモモの顔を掴んだシヴァーナが、忌々し気に彼女を睨みつける。
その視線にも負けずと強気な態度を崩さずに自分を睨み返す彼女に向け、顔を真っ赤にして、醜悪な表情を浮かべながら、大声で吐き捨てるようにして言う。
「いいですか!? あなたのやっていることは、淫らで愚かで人々の心に悪の種をばら撒く、下賤な行為なの!! あなたを放置してあんな絵をばら撒かせたら、それを見た男たちが欲情して、片っ端から女性を襲うようになるに違いないわ! このザルードをそんな町にするわけにはいかない! 私の目が黒い内は、そんな世界は認めないいぃぃっ!!」
「お、落ち着いてください、シヴァーナさま……!」
「うるさいうるさいうるさい! あなたも私のようになりなさい! 人前で肌を晒さず、信心と慎み深さを胸に、神への誓いを抱く純真な乙女になりなさい! そうなることが幸せだと理解するのです!!」
物凄い剣幕でモモを叱りつけるシヴァーナの姿に、彼女の配下も若干引き気味になっている。
しかし、やはりモモはそんな彼女の態度にも一歩も引かず、逆にこう言い返してみせた。
「なんで私があなたの言う通りにしなきゃいけないの!? なんであなたが私の人生を決めるのよ!? 私の幸せは、この世界でグラビアアイドルになるっていう夢を叶えることなの! 私とあなたの考える幸せは別にあるってことを、どうして理解できないの!?」
「キィィィィッ! この、小娘があ……! 温情を見せてやったら付け上がって、私を舐めるんじゃあないっ!!」
自分に屈さないモモの言葉に怒りを募らせたシヴァーナが右手を振り上げる。
その手をモモの顔面目掛けて振り下ろそうとした彼女であったが、腕をスイングしようとした瞬間、何者かにその行動を止められ、驚きに背後へと振り返った。
「……もう、止めてください。大勢の町人が見ています。これ以上の蛮行は、あなただけでなくザルードの修道士全員の印象を下げることにしかなりません」
必死の形相を浮かべ、どうにかしてシヴァーナを止めるべく彼女を落ち着かせようとするライオ。
彼女のモモに対する暴力をすんでのところで阻んだ彼であったが、その行動はシヴァーナの怒りを買う結果にしかならなかったようだ。
「よくも、よくもよくもよくもっ! この異端児がっ!! 人間としての生まれ損ないがっ!! お前のような男がこの私に意見するなど、百年早いわ!!」
「ぐぅ……っ!?」
ライオの腕を振り払い、右腕を自由にしたシヴァーナが口の端に泡を溜めながらその腕を振り下ろせば、彼の体に見えない圧力が襲い掛かった。
頭上から降りかかる重々しい力に膝をついたライオへと、彼女の指示を受けた私兵が覆い被さってくる。
「シヴァーナさま、何を……!?」
「何を、ですって? ……決まっているでしょう。このザルードの修道士たちの長としての権限に基づき……ライオ、あなたを破門します。あなたは淫魔に魅了され、あの女を庇うという愚かな行動を取りました。そのような者を神の使徒として認めるわけにはいきませんからね」
「シヴァーナさま、僕は……!!」
「淫魔に心を売り渡した愚か者の言葉など聞くつもりはない! ……安心なさい、ライオ。最後の慈悲として、あの女と共に憑りついた淫魔を祓って差し上げましょう。相当過酷で痛みを伴う儀式になるかと思いますが……それできっと、あなたもあの女もまともな人間に戻れる。私の寛大な処置に感謝してくださいね。あはは、あははははははは……!!」
勝ち誇ったシヴァーナの高笑いが広場に響く。
騒動を見守る人々も彼女のやっていることに不信感を抱くと共にざわめきを見せているが、シヴァーナはそれすらも気付かずに笑い続けていた。
淫魔を祓うだ、ザルードの治安を守るだの言っているが、実際は気に食わないライオとモモを痛めつけたり、嫌いなものを排除するためにそれらしい理由を口にしているだけだ。
慈愛も、高潔さも感じられない醜悪な笑みを浮かべるシヴァーナを見つめるライオは、込み上げる感情を必死に押し殺し続ける。
これが自分が信じ続けた、神の教えを広める人間の姿なのかと……自分の中で何かが音を立てて崩れていくことを感じ、歯を食いしばる彼の耳にモモの悲鳴が響く。
「やめてよ、放してっ!! 私は淫魔なんかじゃないってば!!」
「ちっ! うるさい小娘ですね、本当に……! ああいう奴がいるから愚かな男が勘違いして、私たちのようなまともな女性が被害を被るというのに……!!」
ぴくりと、その言葉を耳にしたライオの体が僅かに震える。
まとも……そう、自分のことを称したシヴァーナの発言を耳にした途端、彼は妙なおかしさを感じて狂ったように笑い始めてしまった。
「く、くくくっ……! くくくくくっ! くははははははっ!」
傍から見れば、ライオが恐怖で狂ってしまったように見えただろう。あるいは、淫魔に憑りつかれた彼が本性を表したと思うかもしれない。
シヴァーナも、彼女の私兵も、集まった人々も……そんな彼のことを怪訝そうな顔で見つめる中、口元を歪めて笑みを浮かべるライオが言う。
「……シヴァーナさま、二つお答えください。あなたは、ご自分のことを素晴らしい人間だとお思いですか?」
「は? 何を言うかと思えば……当然でしょう。この世に私以上に清廉潔白な人間がいるはずありません」
「クカカカカッ! そうですか、そうですか……! では、もう一つの質問です。あなたは先ほど、僕を破門すると仰いましたね? つまり僕は、もう修道士ではないということでよろしいですか?」
「……ええ、そうですとも。そもそも、私はあなたのような異端児が神の使途を名乗ること自体反対だったんです。先代の司祭の命令さえなければ、あなたなんてとっくに――」
忌々し気に、吐き捨てるように……ライオへと彼の破門を伝えていたシヴァーナの言葉は、最後まで紡がれることはなかった。
自分の目の前で、彼を取り押さえていた自分の部下たちが、天高く宙を舞う様を目にしたからだ。
「は……?」
ライオを取り押さえていた部下たちは、五人はいたはずだ。
それが一度に、見上げるほどの高さまで吹き飛ばされた光景を目の当たりにしたシヴァーナの口から、呆然とした呟きが漏れる。
そんな彼女の目の前でパンパンと服についた汚れを叩き、ゆっくりと立ち上がったライオは、小さな笑みを浮かべながら満足気な声でこう言った。
「ありがとうございます。では、ここからは僕が自分に胸を張るための行いをさせていただきますね」
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