12 飛来せし者
ギール・クロサイト・ギベオン
クロサイトの領主にして、エーデルシュタイン魔術研究所の所長。
幼少から知っているギーおじさんの肩書は、ラズリの理解の範疇を凌駕しており、意識がどこかへ飛んだ。それだけではなく、父は父で、魔術に関わる案件を主とした仕事に携わっており、軍は軍でも特殊な部隊であることも初めて知らされる。
もっともこれは極秘事項で、身内にも知らせないように決められているのだとか。今回、ラズリの知るところになったのは、クロサイトにおける魔術封印解除事件に関わるからに他ならない。
頻発している地鳴りの原因は「魔素溜まり」だ。
魔素が地底深くに溜まってしまい、地面を震わせるのが地鳴りの原因。行き場のない魔素が荒れ狂っているのである。
それらを外へ出さなければならないが、放出先が問題になる。大地へ還元しては、また同じことの繰り返しだ。かといって大気へ出してしまえば魔素濃度があがり、ひとによっては中毒を起こす可能性がある。
領主館で保管されている歴史書によれば、対策はさまざま。すこしずつ、量を調整しながら放出するしか術はない。何十年かごとに豊作や豊漁が起こるのは、じつはこのせいであることを知っているのは、クロサイトの領主のみだとか。
その領主であるギールが、渋面で告げる。
「ところが、問題が起きた。研究所の所員が、山にかけてあった封印を解いてしまったんだ」
「……もしかして、エクリプスさんですか?」
「そうだ、フェルゼン・エクリプスは、魔の山の秘密を暴いてしまった。彼は頭は切れるんだが、野心家が過ぎるところがあってね。若さゆえの暴走を心配していたんだが……」
はあ、と。心底疲れたような溜息を落としたギールに、ラズリはなんと声をかけていいかわからない。
「おじ――じゃない、えっと、領主さま」
「いいよ、いつもどおりで。ラズリちゃんに遠慮されると、こそばゆい」
「うう……、じゃあギーおじさん。エクリプスさんは、どうなったの?」
「山にこもってるよ。結界を張って、どこかへ逃げないようにはしてある」
「あ、だから入山禁止」
「そうだね。これは機密案件だから、魔法協会の人間も関わらせられない。王国軍の中でも一部の人間だけが事に当たる。今回は、ラズリちゃんのおとうさんが担当だ」
ちらりと父を見やると、無言で頷かれる。
「魔女グリシナは、賢人の魂を見つけた。彼らが目覚めるときは、魔素の濃度が高まった証拠。自分が亡くなったあとに彼らとコンタクトを取れるのは、同じ魔力を宿す者だけ。ハージャール殿下もまた、グリシナの血縁であるし弟子でもある。賢人オルグーを残したのは、この事態を見越してのことと思われる」
「儂が目覚めたのは、ハジャルの魔力あってこそだが、そうか、ホーキンス殿のもとへと導かれたのは、使命あってのことか。あいわかった。モルガノ・モルガン、ちからを尽くそうではないか。なにを
モップから不穏なオーラが立ち上がり、ぞわりと鳥肌が立つ。
いやいや待って、モルガ。怖いから。殲滅ってなに。そして、篭絡ってどういうこと?
「失礼。篭絡とは、どういうことでしょうか」
「フェルゼン・エクリプスがラズリちゃんになにか?」
アサドとギールがモップに詰め寄った。
ほら、誤解されてるし、と焦るラズリ。
「いやあ、下女殿は気づいておらぬようですが、あの魔術師は
話題が逸れはじめたときだ。ごうっと、これまでの比ではないほどの地鳴りが響いた。
それだけではない。
ぞわりと、粟立つような感覚。
ギールが顔色を変え、俊敏な動きで外へ向かった。アサド、ラズリ、ハジャル、三本もあとに続いて外へ出る。通りを歩くひとたちが、呆然としたようすで立ち尽くし、同じ方向を見ている。
入山を禁じた山。
その頭上付近に、なにかがいる。
晴れ渡る青空。雲とともに浮かんでいるのは、大きな竜だった。
◇
広報塔から響く音声。
領民はただちに屋内に退避。山裾に近い地区は、なるべく港湾地区へ移動し、避難所に指定している倉庫へ向かうことが告げられる。
突如として現れた竜は、魔術による幻影。
都の魔術師が出したものだが、想定以上に大きなものとなったため、周囲の魔素濃度が一時的に高くなっている。しばらく近づかないでください。
そんな説明がなされた。
幻影魔術はめずらしいものではない。あんな大きなものは見たことないが、都の魔術士さんならできるのかもしれない。
研究所からやってきた男が、近ごろ山に入ってなにか熱心にやっていることは知られており、魔法協会の弁もあって領民らもさほど大騒ぎすることなく、遠巻きに見守っている。魔素濃度の高まりが定期的にあることはクロサイト領の老人たちも知っていることもあり、「そういう時期なのだろう」と受け止められたことも幸いした。
領民の安全は確保した。あとは、対処するだけだ。
ラズリの前では、会議が開かれている。円卓会議の席に着いているのは、三賢人と領主。
畏れ多い面子のはずだが、目の前にある図は、三脚スタンドに立てかけているホウキとモップとデッキブラシ。それを生真面目な表情で見ている知り合いのおじさんという、非常にシュールなものだった。
「殲滅だ。ちからこそすべて。潰してしまえばよい」と、モルガノ・モルガン。
「おまえはいつも物騒だ。もうすこし頭を使え。試してみたい術がある。どうなるか知りたくはないか?」と、嬉々としてホーキンスが穂先を揺らす。
「このような事態は初めてですな。我の筆がうなりまするぞ」と、ディクトリウムは、完全に野次馬状態だ。
大きく肩で息をついたクロサイト領主は、ホウキに向かって口を開いた。
「ホーキンス殿」
「閣下と呼べ、痴れ者が」
「ホーキンス、おじさんになんてことを。これでも領主さまなのに」
「ラズリ、
「おまえら親子は私をなんだと思っているのかな」
友人親子の扱いに突っ伏して呻いた領主はもういちど顔を上げ、「閣下」とホウキに向かう。
「貴方の考える方策をご教示いただきたい」
「ふむ。彼の竜はつまり、異界より飛来せし者。纏う魔素は吾輩らが知り扱うものとは異なっていることは、貴様も魔法に携わる者であれば感じておろう」
「はい。異質であるとは、感じております」
「あれは強い。魔力干渉を起こした際、壊れるのはこちらだ。早急にあちらに返すべきだ」
「どのようにして」
「ゲートを開くのだ」
「開く……」
「
ホーキンスは声高に語りはじめた。自らの時代には成し得なかった転移術。それが確立されているのであれば、応用すればよいだけのことだ、と。
転移の術式は、一般には公開されていない秘術のひとつだ。用いれば、遠くへ逃げることも可能となるのだから、悪用されないためにも秘匿されるのは当然といえる。そんな術を応用しろとはよく言ったものだが、なにを隠そうここにいるのは転移陣を有するクロサイト領の領主であり、国の最高機関である魔術研究所の所長である。知らないわけがない。
ノーゼライト魔具修理店に結界が施され、虫一匹入れない厳戒態勢が敷かれた。ラズリは呆然とするしかない。
どうしてこうなったんだろう。
全員分の食事を用意しながらぼんやりしていると、ふと隣にひとの気配が生まれて我にかえる。そこにいたのはハジャルだった。
宿から荷物を引き上げてきて、客室のひとつをハジャルにあてがっている。一国の王子に提供するには狭い部屋だが、いまさら彼への対応を変えるのもどうかと思ったのだ。
ハージャール殿下という呼びかけも、本人に却下された。ハジャルでいい。そう懇願されて、受け入れる。
「……ハジャルは最初から知ってたの?」
「知っていたという言葉が具体的にどこにかかっているかにもよるのだけれど、さすがの私もこんな事態までは予期していなかったさ」
「竜だもんねえ。御伽噺の世界だよ」
「私が知っていたのは、キミがグリシナの大事な孫娘で、私がずっと会いたいと乞い願っていた相手であるということぐらいだろうか」
言って微笑んだハジャルが、ラズリの手を取る。
不思議だ。遠いとはいえ、血縁だからなのだろうか。ちっとも不快感がなくて、触れた手から伝わってくるのはあたたかい波動だ。祖母を思い出して、涙が出そうになる。
「ハジャルは律儀だね。おばあちゃんに頼まれたからっていっても、他国に住んでいる、全然知らないひとのことを、そんなふうに思うなんて」
それとも、ウングは情に篤い国民性なのだろうか。
苦笑いを浮かべるラズリに、ハジャルが声をかけようとしたときだ。ゴトンと大きな音が聞こえて、家が壊れるのではないかと思うほど床が揺れた。続いて訪れた浮遊感。ぐらぐらとおぼつかない足もとが傾いて見えるのは、目の錯覚だろうか。
転びそうになった身体をハジャルの胸に抱き止められ、不覚にもドキリとしたラズリの耳に、今度は大きな声が届いた。
「はははは、素晴らしい。あとはこれを竜の前で描けばよい。あの大空へ門を開き、元の世界へ導くのみだ」
「空へ、ですか。しかし、どうのようにして」
「今しがた発動させた浮遊術を用いよ。五百年も経てば、空を飛ぶことすらしなくなったか」
「空を飛ぶ、と?」
「転移とやらに頼るから思考が後退するのだ、馬鹿者め。魔法使いたるもの、空を統べよ」
空を飛ぶ?
聞こえてきたホーキンスの声に、ラズリはハジャルとしばし見つめ合い、距離の近さに動転して尻もちをついた。
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