14 おわりとはじまり

 上空でおこなわれた魔術は、山をぐるりと覆った結界により領民の目には映っていないらしい。

 竜は、空に映した幻影術。蜃気楼のようなものとして説明された。

 偶然の産物で片付けるには迫力と魅力に満ちていたそれを、投影術として研究することになり、フェルゼンはギールの監視のもと、その任についているとか。

「君には申し訳ないことをしたが、だがぜひ協力してほしい。君の魔力はとても素晴らしい」

 フェルゼンは、足しげく店に通ってくる。研究所の所長であるギールが、クロサイト領主でもあることを知ってしまったせいで、クロサイトに身を置いているのである。問題行動を起こしたものの、彼自身の能力は高い。ギールはフェルゼンを飼い殺しにするつもりなのかもしれないと、ラズリはひそかに思っている。ギーおじさんは、意外と腹が黒いらしい。


 ホーキンスの声が聞こえなくなり、ラズリも元の生活に戻った。

 父親とも和解し、ぎこちないながらもきちんと顔を見て、以前よりも話をすることができるようになっている。

 都で一緒に暮らさないかと誘われたけれど、ラズリはそれを断った。

 ノーゼライト魔具修理店。

 祖母が残した店は、ラズリにとっても大事なものだ。華やかな都の暮らしは、いまさら性に合わない気もしている。ラズリの居場所は、ここなのだ。

 渋るアサドをギールが説得し、転移陣を使用して定期的に面会できるような段取りを整えた。おかげでラズリは月に一度は領主館に赴くようになり、上流社会の一端に触れクラクラしている。まったくもって、世界は広い。


 朝起きて、ホルッドじいさんのパン屋で焼きたてのパンを買う。

 ひとりぶんの食事にも慣れた。

 はじめのうちは食材があまりぎみだったけれど、よくよく考えると、そちらのほうが異常事態だったのだ。

「いただきます」

 食前の祈り。

 おなじことをしてくれたひとは、もういない。

 異国の男は、自分の国へ帰っていった。

 使節団は都での任を終え、ハジャルもまた姿を消した。

 この家は、こんなに広かっただろうか。

 こんなにも、静かだっただろうか。

 鏡が放つ悪態すらなつかしく思えるが、ホーキンスらが去って以降、道具たちはひとことも声を発しない。

 彼らの存在が幻だったかのようだが、一緒に考えた生活魔具はギールを通して商品化され、流通するようになっている。考案者として特許料も入ってくるようになり、生活は上向きになった。

 けれど、それを嬉しいと感じるこころがなくなっている。

 騒がしい生活は、祖母を亡くしたラズリにとって、とても大切なものだったのだと、いまさらのように感じた。



「君はどう思う? 幻が消える演出としては、あのときのような光の粒子が相応しいと思うんだ」

「まあ、派手ではありますよね」

 幻影術を駆使した舞台劇が、都で公演されるという。その演出に協力しているというフェルゼンが、ラズリに意見を求めてきた。脚本を見せてもらったが、壮大なラブロマンスで、勇者として魔物を退治した王子とお姫様が、周囲の反対を受けながら愛を貫き、駆け落ちするという筋書きだ。

 わりと有名な劇団によるもので、チケットも高額。なかなか手に入らない希少価値の高いものらしい。

「関係者席があるんだ。一緒に観に行かないか」

「うー、演劇って観たことないんですよね」

「なら余計に見てほしいな。一緒に行こう」

 いっときの血走った雰囲気はどこへやら。普段のフェルゼンは、容姿の整った美男子である。艶やかな金髪は育ちの良さをうかがわせ、エリートらしく整った身なりもそれに拍車をかける。

 都から来た男がクロサイトに留まり、毎日のようにノーゼライト魔具修理店に通っている。

 田舎はそれだけであらぬ噂を呼ぶし、否定しようものならあさっての方向に加速するものだ。おかげでラズリは「研究所のエリート職員に見初められて求婚されている娘」となっており、胃が重い日々を送っているのである。ほんと、勘弁してほしい。

 騒ぎに巻き込み、あわや墜落死しかけたこと。

 フェルゼンはおそらく、ラズリに対して負い目があるのだ。

(あれから半年も経ったんだよ。もう気をつかわなくていいのに……)

 笑顔で話しつづけるフェルゼンを見て、ひそかにため息をついたとき。店の扉が唐突に開かれた。

「待ちたまえ、そこの君。嫌がる女性に無理を強いるものではないよ。男子たるもの、諦めというのが肝心であると私は思う。あらぬ噂を立てては迷惑というものだろう、わきまえたまえ」

「貴様、なぜここに」

「なぜだって? 決まっているだろう。私はノーゼライト魔具修理店の従業員なのだから、ここで道具を作り、そして売ることが私のなすべきことなのだよ。君は君の仕事をしたまえ」

 手で追い払うような仕草をしながら、異国の男はラズリとフェルゼンのあいだに身体を置く。自らの背でラズリの視界を奪うと、眼前の男に対して不敵な笑みを浮かべた。

「彼女の前で手荒なことはしたくないのだが、君がどうしてもというのであれば、いつでも私は相手になろう」

「……諦めの悪い男だな」

「そっくりそのままお返しするよ」

 一触即発。

 ふらふら出歩いていると警告を発する腕輪を装着させられているフェルゼンは、そろそろタイムリミットだ。ここで刻限を超えると、一ヶ月は外出禁止となってしまう。箱入り娘も真っ青の縛り具合の男は、渋々ながら店から出ていく。笑みを見せて、ラズリに愛想をふりまくことは忘れない。もっとも、それが彼女に通じているわけではないのだが。

 落ちた沈黙。ラズリの前に立っていた男は、くるりと振り返る。

 褐色の肌。透き通るような紫水晶の瞳。あいかわらずの白装束は汚れひとつなく、目に眩しく映る。男の浮かべる笑みですら輝いて見えるのはなぜだろう。やはり美形はすごい。

「どうして? 旅行?」

「ああ、なんてつれない言葉だろう、可愛いひと。私はこれでも、可能なかぎり迅速な手続きを踏んでやってきたというのに」

「手続きって、なんの?」

「魔法道具を売るための資格を私は有している。今となってはキミもそれを有しているのかもしれないが、ノーゼライト魔具修理店における資格者の任についたのは、私が先であると主張させてもらうよ。また、私は貢献することができるだろう。知っているかい、可愛いひと。エーデルシュタインとウングは、魔術と魔導の融合のためにちからを合わせるべく、歩みはじめたところだ」

 あいかわらずよくまわる口で、ハジャルが語る。

 使節団をキッカケにして、ふたつの国は手を取ることになった。互いを補いながら、魔法のちからを高めていかんとする宣言を出したのだ。都の研究所には魔導士が派遣され、エーデルシュタインからもあちらの国へ何名かが向かっている。

「じゃあ、ハジャルも?」

「いや、私は国を捨てた流浪の民。宿り木を求めてさすらう、ただの男だ。惹かれ導かれるままにクロサイトへ辿り着いた。ああ問題ないよ。ここへ来るにあたって君の父上の許可は得ている。残念ながら住まいは分けざるを得ないが、些細なことだよ」

「えーと、つまり……?」

 要領を得ない言葉の渦。不安と喜びが交互に訪れるこころに揺さぶられながら、ラズリが結論を求めると、ハジャルは艶やかな笑みを浮かべる。ゆっくりと伸びた大きな手が、自身の頭に巻かれたターバンを取り去り、夜空のような真っ黒な髪が肩に流れ落ちた。


「お嬢さん。私を雇う気はないかい? これでも私はいっぱしの魔導士なのだよ。駐在員などという余計な肩書を背負わされてはいるのだけれど、そんなものは名ばかりだ。私は魔女に焦がれる憐れな男でしかない」

「駐在員の仕事は名ばかりにしちゃ駄目だと思うんだけど」

「キミがそういうのであれば、善処しよう。だがしかし、私が望みまっとうする使命は他にある。未来永劫、キミに幸せをもたらすと約束しよう。愛しいひと、まずはこれを進呈する。さきほどそこの店で購入した。店主が焼きたてを用立ててくれたのだよ。ともに食そうではないか」

 差し出された袋に入っているのは、焼きたてパン。

 時刻はそろそろお昼時。

 どこの店も開店休業。親しい者、あるいは身内だけでご飯を食べる憩いの時間だ。

 ラズリは机に袋を置くと、ハジャルに告げた。

「食べるまえにはきちんと手を洗って。場所は知ってるでしょ」

「勿論だとも、愛しいひと」

 天窓から刺す真昼の光はハジャルの黒髪を照らし、星のようにきらめきを放った。





     ◇ ◇ ◇




 ノーゼライト魔具修理店。

 その敷地内にある倉庫の前で、少女は足を止めた。

 半袖から覗く腕はほっそりとしているが、浅黒い肌は健康的だ。黒髪をひとつに束ね、動きやすい服装に身を包んだ彼女は、固く閉ざされた扉に手をかけた。

 鍵に魔力を流すと、解除される。扉を開けると、わずかに埃が舞った。

 いつから開けていないのだろう。

 ゴホンと咳をして、中へ入る。たくさんの魔法道具が詰め込まれたなか、一角に並んでいるのは一種異様なものだ。旗を掲揚するのに使用するスタンドが三つ並び、そこには長ボウキとモップとデッキブラシが刺さっている。防腐術が施されているのかとても綺麗だけれど、果たして掃除道具を御大層に飾っておくことになんの意味があるのだろうか。少女は頭をひねった。

 店を正式に手伝うための儀式。

 それが、この倉庫整理だ。意味がわからないが、母もそれをやったというのだから仕方がない。

 ホウキといえば思い出すのは、幼いころから聞かされている逸話だろう。なんでも、ひいおばあちゃんだか、ひいひいおばあちゃんだか、ひいひいひいおばあちゃんだかは本物の魔女で、ホウキに乗って大空を駆けたのだとか。

 そんなまさか、である。

 長距離を移動するなら、領ごとに転移陣が完備されているし、近距離ならば魔導車まどうしゃを使えばいい。ここクロサイトは魔鉱石の産地で、お膝元ということもあり、魔導車用のエネルギーも安く済むのだ。よその領地より車の所有率が高い理由は、「田舎だから」というだけではないはずだ。少女も十六歳になったので、免許を取るために教習所に通えることになっている。

 なんでもいい。さっさと掃除を済ませて、お店の手伝いができるようにしないとね。

 くるみ色の瞳を輝かせ、少女は握りこぶしを作って意気込むと、立てかけられている藁ボウキを手に取る。

 途端、空気が変容した。

 右手に握ったホウキが振動し、藁束が震える。


 ――貴様の魔力、覚えがある。吾輩の配下に相応しいぞ。


 少女は驚愕して、手を放す。

 しかしホウキは、まるで糸で釣ったように直立し、こちらに向き合ったのだ。

 なにこれ、なにごと?


「な。ななな、なに、え、幻術?」

たわけたことを。吾輩はホーキンス。ホーキンス・シュタオプザオガだ! 下僕、茶を持て。パン屋のスコーンを食してやろう」

「はいぃ!?」


 倉庫からは、少女の悲鳴。

 そしてふたたび、冒険の扉は開かれる。





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