13 魔女のホウキ

「危険だ」

「他に手はなかろう。そもそも吾輩の身体は、認めたくはないものだが、このような状態。貴様らを乗せるには不向きだ」

「しかし――」

 アサドがホーキンスに盾突いている理由はひとつ。空を飛ぶ手段が、ホーキンスとともにあることであり、その相手に選ばれたのがラズリだからだ。

 大いなるちからを持った魔女グリシナ。彼女が後継者として選んだのが、娘のラズリであることをアサドは認識しているし、だからこそ今回の鎮圧にも手を借りようと思っていた。単純に魔術の腕をみがくのならば、都にいたほうがよかった。友人であるギール・ギベオンは研究所の役職持ちで、その彼が「見込みがある」と言ったのだから、教え導いてくれただろう。

 しかし、アサドは知っていた。母親が担った大事な仕事を。そしてそれが中途半端になってしまった理由は、自分を宿していたからだと。

 術者の魔力だけではなく、お腹にいた子どもの魔力も吸い取られていく。それを感じた母は、中断せざるを得なかった。

 グリシナの子どもであるにもかかわらず、アサドが魔術師になるには厳しい魔力しか持っていないのは、その影響が出ているのだろう。生まれた娘は母に似た魔力を豊富に宿しており、アサドは冷汗を流した。次代の魔女は、娘になるかもしれないと、察したからだ。

 だからこそ、クロサイトへ送り母に任せた。いつか手助けができるように、軍でちからもつけた。特殊部隊を希望し、その日に備えていたはずなのに、肝心なところで手が届かなくなるだなんて、思ってもみなかった。

 空を飛ぶ。そんな危険な行為をさせるだなんて、冗談ではない。替われるものなら、替わってやりたい。

 鍛え上げた筋肉、この重量が仇となるとは誰が想像しただろうか。

「言っておくが、吾輩を丸太のように太らせて下僕の身代りを果たすつもりならば無意味だ。貴様のような重さでは小回りがきかん。吾輩の身体と小娘の身体だからこその調和。それでもどうなるかわからんのだからな」

「だというならば、なおのこと。大事な娘を危険にさらすわけにはまいりません」

 いまにもホーキンスの身体をへし折らんばかりの顔つきの父親を見て、ラズリは不思議な気持ちになった。

 苦手だった父。わりと放置されていたし、いつも渋面で見つめられていた。離婚のキッカケになった娘のことを、あまり好きではないのだと思っていたのだ。だから田舎へ追いやって、己は都で暮らしている。祖父母亡きあと、物資がくるのは世間体を考えてのこと。

 早く独り立ちをして、自分ひとりで生きていけるようになれば、父もきっと解放されて楽になれる。

 ラズリはずっとそう思っていた。

 けれど、そうではなかったのだろうか。

 鍵をかけて閉じこもっていたのは、自分のほうだったのかもしれない。

「ホーキンス、わたしはなにをすればいいの?」

「ラズリ!」

「だっておとうさん、これはおばあちゃんが残した最後の試験みたいなものでしょう? それに、おばあちゃんが魔女なら、わたしだって魔女だよ」

 ラズリと名付けたのは、祖母だと聞いている。

 魔法使いの正装にあしらわれた青いリボンは、祖母がくれた贈り物。青空へ挑むに相応しい色だ。



     ◇



 山に張った結界がゆるめられ、ラズリたち一行は奥へ分け入った。

 先頭を歩くのはギール。フェルゼンがいると思われる、かつての作業小屋を知っているのは、あの場所へ封印を施したのがギール本人だからである。

 フェルゼンが行き来をしたせいなのか、草は踏み分けられ、獣道のようなものができあがっていた。道なりに進んでいくと、やがて開けた場所へ辿り着き、それと同時に魔素が濃くなる。

「これは、どういうことだ……」

「エクリプスさんが言ってたんですけど、石が魔力を吸うんだとか」

「まさか、岩を砕かずに魔力を溜めたのか? 岩盤自体が相当な魔力を帯びているのであれば、暴走しかねない」

「ほう。これはすごい魔素だな。これだけあれば、門を開くことも容易になろう。我らの魔力を使う必要もない」

 ホーキンスの弁に、ディクトリウムが跳ねる。

「なんと壮大な儀式。これだけの集約された魔素を扱う術なぞ、我は初めてですぞ」

「腕がなるわい」

「こらこら物騒だよ、モルガ。これはそういった戦の場ではないのだから」

「所長っ、なぜこちらに」

 声を聞きつけたのか、フェルゼンが顔を出した。

 頬がこけ、目の下には隈がある。随分とやつれた印象ながら、それでいて瞳だけは爛々と輝き、異様な雰囲気を醸し出していた。

「僕の研究を見に来てくださったのですね。発見です。僕はついに召喚術に成功したのです。あの竜をご覧になりましたか? あれは僕の成果! この術があれば、我がエーデルシュタインは他国の侵入を許すこともなく栄華を極められることでしょう!」

「馬鹿者! 誰もそんなことは望んでいない。魔法技術は、独占するものではないのだと知っているだろう」

「それが間違っているのです。なぜですか。ちからこそ正義」

「間違っているのはおまえだ。――アサド」

 ギールの声に、アサドはフェルゼンに近づく。大きな体躯に似合わない俊敏な動きで青年の腕を取り、後ろ手に縛りあげた。両手首にかけられた拘束具は、魔力を制限するもの。ちからが強ければ強いほど逃れることは困難になる、魔術師専用のものだ。

 どうしてですかと叫ぶフェルゼンをよそに、ラズリはギールとともに広場の中央へ向かう。山頂付近に浮かんでいる竜を見つめ、大きく息を吸いこんだ。

「ゆくぞ、下僕」

「うん」

 浮かぶ藁ボウキに腰かける。練習をした結果、またがるよりは、こちらのほうが舵取りがしやすかったのだ。

 柄に腰を下ろすと、周囲に風が巻き起こる。突き上げるようなちからが下から加わり、地面から足が離れた。

 足がくうをかく感覚。目線があがり、座っているのにギールと同じ位置に顔がきて、そこからさらにゆっくりと上昇していく。周囲の木々を見下ろすような位置にまで達すると、唐突に視界が開けた。

 上空から見下ろすクロサイトの景色。赤く塗られた屋根が連なり、蛇行する川が見える。遠くで光っているのは海だろうか。水面が光に反射してきらめいている。

「下僕、魔素を感じろ。一帯を取り巻く魔素を利用し、陣を描くぞ。はっはっはっ、吾輩の理論をついに実践だ」

「ホーキンス殿、竜の誘導は儂に任せよ。こうして蘇った理由はあれだ。儂は竜を屠る。竜を屠る者ドラゴンスレイヤーとなるのだ!」

 単体で浮かぶモップが、まっしろい布をひらひら揺らしながら、一直線に飛んでいった。ハジャルもまた、モップとともに空へ向かうには体重がある。木の柄は脆いのだ。

 ホーキンスが、嬉々として語る。

 彼の時代であっても竜は想像上の産物であり、異界の存在は幻想だった。だが、ホーキンスは信じていた。時折たゆたう不思議な魔素。世界のあらゆるところに裂け目のような場所は存在し、そこでは決まって不思議な伝承が残されていたものだ。

 異なる世界はきっとある。

 すぐそこに、隣り合わせのように存在している。

 世界は寄り添いながら、多数存在しているのだ。

「確かめることこそが、吾輩の悲願。あの竜は吾輩の考えを立証した存在だが、世界が交わろうとしなかった理由もアレの存在で理解した。反りが合わんのだな。水と油のように、決して融け合うことはない。世界は不干渉であって然るべきだ」

 ホーキンスは飛ぶ。

 まっすぐに、あるいは弧を描き、縦横無尽に一帯を駆ける。

 軌跡は光の帯となってきらめき、粒子を撒き散らせながら大空に陣を描く。

 地上からはどう見えているのだろう。青空にまたたく星のような粒を見上げられないことを、ラズリはすこし残念に思った。

 グオオオォ……

 咆哮が響く。竜が啼いている。

 帰りたい。

 ラズリの耳にはそう聞こえた。

 帰らせよう。

 終わらせよう、この騒動を。

「下僕よ、終点だ」

 柄の先がまっすぐに一点を目指す。

 光の始点。

 術式の、始点にして終点を目がけてホウキは飛び、ついに辿り着いた。

 刹那、一帯がまっしろに染まる。

 輝く魔法陣が青空に描かれ、圧倒的な光を放つ。

「……すごい」

 こんな術式は見たことがない。

 美しく整い、乱れたところがひとつもない、整然とした魔法陣。

「完成だ!」

 ホーキンスが叫んだと同時に、竜が消えた。

 そして、ふっとちからが抜ける。

 周囲を取り巻いていた魔力が失われたのだろう。あの術を発動させるために、すべてのちからを根こそぎ奪い取っていった。あれだけ大型なのだから、それも当然だろう。

 輝きが消えたと同時に、落下が始まる。

 自由落下だ。

「……え?」

 ホウキの柄を握る。握って叫ぶ。

「ホーキンス!」

 応えは、ない。

 嘘でしょ!?

 ホウキを握ったまま、ラズリは落ちた。

 ビリビリと冷気が肌を刺す。

 風が耳もとで唸り声をあげ、それ以外なんの音も聞こえない。

 ラズリが知覚するのは、青。

 ただひたすらに青い、青い空が視界を埋め尽くす。

 ああ、空が綺麗だ。

 大昔の魔女も、こんな景色を見たのだろうか。

 広い世界のなかで、人間はこんなにもちっぽけで頼りない。

 冷たさに震え、次第に手足の感覚がなくなっていく。

 このままだとどうなるのだろう。

 ごめんね、おとうさん。

 胸のうちで呟いたとき、身体がぬくもりに触れ、音が戻ってきた。


「ラズリ!」

 耳を打つ声。

 ここ数ヶ月、ずっと近くにあった張りのある朗々とした声が、焦りを帯びている。

「ああ、よかった。間に合わないかと思って私のこころも死んでしまうかと思ったよ」

「ハジャ、ル……?」

「そうとも、私だともさ」

 ラズリは未だ空にいた。ハジャルの腕に抱かれたまま、空に浮かぶ絨毯の上に腰を下ろしている。

 なにこれ、どういうこと?

「閣下の言う浮遊術とやらを、絨毯に施してみたのだよ。魔女がホウキで空を飛ぶというのであれば、私は空飛ぶ絨毯というわけさ。厚くて丈夫な織物は、我が国の特産品だからね。私が――、ウングという国から来た私の存在意義は、それであったのだとようやくわかったような気がしている」

 手触りのいい質感。赤と青の糸を織り交ぜた美しいグラデーション。濃淡を交互に通して折られた模様が連なる見事な意匠は、最高級の品といえるだろう。

「じつに見事な魔法だった。とても、とても美しい光景だった。キミは歴史に残る偉大な魔女だよ、愛しいひと」

「でも、ホーキンスが……」

「眠りについてしまったのだろう? ご覧のとおり、モルガもまた動かなくなってしまった。地上で熱弁をふるっていたディクトリウムもまた、同じことになっているのだろうね。彼らはきっと役目を終えたのだ」

 魔女グリシナが残した想い。

 近い未来、クロサイトを襲うであろう魔素を解放すること。

 そして、彼らが生涯叶えられなかった、異界の存在を確認すること。

 すべての憂いが断たれた今、縛るものはなにもない。


 ゆっくりと降下する絨毯は地上付近でちからを失い、ただの織物となった。

 ようやっと地面に足をつけたラズリをアサドが掻き抱く。大きな胸に顔を押しつけられながら、ラズリは十年ぶりに父に抱きついたのだった。




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