番外編・彼女と彼の最初の一歩


「里帰り?」

「なにしろ私の肩書は『駐在員』だからね。エーデルシュタインで何を成しているのか、直接知らせに来いというのだよ、難儀なことに」

「いや、業務報告は大事でしょ。っていうか、それは里帰りじゃなくて普通に仕事の範疇なのでは」

 やれやれと肩をすくめているハジャルを見やり、ラズリは呆れ顔を浮かべた。

 彼の故国であるウングと我がエーデルシュタインが、魔法を高めていくために手を結んだのが去年のことだ。使節団として訪れ、ホーキンスたちの騒動が収まったあとで帰国。そののち今度は駐在員としてやってきたハジャルは、そういえば一度もウングに戻っていなかった。

 魔法協会のクロサイト支部が空き室を貸し出しており、ハジャルはそこに住んでいる。そしてなぜか毎日のようにノーゼライト魔具修理店へ出勤してくるのだ。


「報告は入れてあるとも、文をきちんと送ってある。その送付自体がすでに新たな魔術のひとつでもあるわけなのだから、私はこの仕事にとても貢献していると自負しているのだよ」

「そっか。うまくいってるんだね」

 以前、モルガが転移魔法の改良版について言及していた。

 人間を運ぶのではなく、音や声のみを届けるようにすれば、使用する魔力は減るのではないか、ということだ。ギールには話をして、ハジャルとともにひそかに研究は始まっているが、まだ軌道には乗っていない。

 だが、軽量版として、荷物のみを届ける実験をスタートさせており、ハジャルはそれを使ってウングの魔導研究所へ手紙を送っている。送付自体が実験であるというのは、そういうことだ。

 これは画期的なことだ。この技術が普及すれば、物流業界は大きく変わる。

 個人宅への配達はひとの手でおこなうことにはなるだろうが、長距離輸送は馬車や船を使わなくてもよくなるのだ。時間の短縮は大いに喜ばれるに違いない。なにしろラズリが住むクロサイトは山に囲まれており、物流のほとんどは港を中心にしておこなわれている。

 つまり海が荒れると物流が滞るという意味で、わりと深刻なのだ。

 しかしこの簡易転移にも問題はある。

「とはいえ、これはまだ一方通行なのが惜しいところだね。こちらから送ることはできるけれど、あちらからは難しい。魔法を行使する者の技量ということなのか、魔法陣の記述に不備があるのか。こればかりは実際に目で見てみないことにはわからない。なにしろウングは魔導の国だからね。記述式の魔法陣には不慣れなのだよ。今回の里帰りは、その確認も兼ねているといえるだろう」

 そう。これはまだハジャル発信でのみ成功しており、返事は届いていないのだ。

 ハジャルの手紙が届いていることは、転移陣を使用しない、通常の物流便での手紙で判明している。こちらからの送信はおそらく数分だが、あちらからの返事は数週間。このタイムラグを解消するのが、今後の課題だった。



「いつ出発するの?」

「キミの準備が整い次第、出発するとしよう」

 物理的に距離が離れているので往復に時間もかかることだろうと思ってラズリが問うと、ハジャルはそう返してきた。どういう意味だろう。

「お弁当の準備?」

「キミの手料理が食べられるのはいつだって歓迎なのだが、今回は領主館にある転移陣を使用させていただく許可をすでに得ている。ウングへ行くのはそう時間はかからないのだよ」

「えーと、じゃあなんの準備をするの」

「ウングへの滞在日数は不確定ではあるのだが、術式の確認と、せっかくならは魔法陣の普及もしておいて損はないだろう。ウングへ派遣されている魔術師もいるとはいえ、彼らは主に研究所にこもっており、市井のようすは見ていない。魔術は生活魔法として素晴らしい可能性を秘めている。魔力量の少ない者にこそ与えてしかるべきものだから、すこしでも広めていきたいと考えている」

「うん、だから?」

 ラズリが辛抱強く尋ねると、ハジャルは笑みを浮かべてようやく結論を口にした。

「私とともにウングへ赴こうではないか、可愛いひと。キミを案内できる機会がこんなに早く訪れるとは思ってもみなかったが、これはよい機会でもあると私は考えている。これも神の采配であり祝福であるだろう」

「……は!?」



     ◇



「いらっしゃいラズリちゃん」

「……おはよう、ギーおじさん」

「どうしたんだい可愛いひと。随分と沈んだ顔をしているじゃないか。たしかに異国へ赴くというのは大いに不安もあるだろうが、なに案ずることはない。この私がついているからには大船に持ったつもりでいてくれたまえ」


 ハジャルの帰郷に、なぜか帯同することになったラズリである。

 これはいつもの彼の暴走であり、さすがに許可はおりないだろうと踏んでいたが、知らないあいだに手続きが済んでいたらしく、領主であるギールから「ラズリちゃん、本当にウングへ行くのかい?」と問われたのは、その日の夕刻だ。飲んでいた紅茶を噴き出しそうになったのは言うまでもない。

 ギールはクロサイトの領主であるとともに、エーデルシュタインの魔法研究所の所長でもある。ウングからの客分であるハジャルが一時帰国する連絡は当然入っているだろうし、転移陣の使用許可を出すのもギールなのだから、日程その他についても把握していることだろう。そしてその転移陣使用申請書に同行者としてラズリ・ノーゼライトの名があることも知っていて不思議ではない。

 ならば止めて欲しかった。

 ラズリは心からそう思った。

 なんで許可しちゃったのよギーおじさん、そこは不可を出そうよ!


「まあ多少強引かなあとは思ったけど、だけどいい機会でもあると思うんだよね」

「強引すぎるよおじさん」

「ラズリちゃん、国外へ出たことってないだろう? アサドはああいう仕事だから、外国へ行くことはあっても家族は連れていけないし。グリシナさんも店があるから、長期間どこかへ行くこともない」

「それはまあ、そうだけど」

 たしかにラズリは、旅行には縁のない生活だった。学校行事で出かけても国内で、友達同士の旅行もやはり国内。祖母が亡くなり、店を継いでしまえば、長々とどこかへ出かける機会もなくなってしまった。そういった意味ではたしかにいい機会なのかもしれないが。

「他所の魔法を直接見るのも勉強になるよ。ましてウングは魔導の国だ。我々が普段使っている魔術とは、行使の仕方がまるで異なる。魔導を基礎として魔術を構築していたグリシナさんの弟子であるラズリちゃんなら、より仕事に活かせるようになると思うんだ」

 我が国で誰よりも『魔法』を知っているであろうギールがそう言うと、ラズリは反論できなくなる。それにたしかにラズリのなかにも願う気持ちはあるのだ。

 グリシナ・ノーゼライト。

 ウング出身で、魔導師として暮らしていた彼女が、系統の違う魔法を扱う国へ嫁ぎ、今度は魔術師として働き、それをもっとも有意義に扱う魔法陣の修復師として店を開いた。

 ハジャルに出会って知った祖母の経歴は、ラズリにとってはワクワクするものでもある。なんだかんだ言ってもラズリだって魔法を愛する者のひとり。知らない技術、知らない世界を見てみたいという欲求はある。

 ただ、みずから望んで赴くのではなく、知らないあいだにお膳立てされて、強要されて意思の確認すらされなかったことが腹立たしいだけで。


「気負わずに行っておいで――と言ってあげたいんだけど、まあそんな単純なことでもないよね。相手はハージャール殿下だしねえ」

「……ハジャルがああいうひとなのは、もうわかってるからいいんですけど」

「うん、ラズリちゃんのそういう思い切りのいいところ、すごくいいと思うよ」

 ラズリが嘆息しながら言うと、ギールは乾いた笑みを浮かべた。

 ハジャルはとにかく自分本位で、マイペースな男だ。こちらを慮っているようで、いつのまにか自分のペースに巻き込んでしまうところがある。店に立っているときもその弁舌で客を巻き込み、いつのまにか大型の修理契約を結んでしまうことも多々ある。彼は有能な営業マンとしての側面もあるのだ。

「よし。行くのは決まっちゃってるんだし、ここはもう覚悟を決めていくことにする。向こうの技術を盗んでくるぐらいの気持ちで!」

「よし、頑張っておいで。アサドには、まあ、うまいことごまかしておくから」

「ごまかすって、おじさん」

「だってねえ、殿下とふたりきりで旅行でしょう? 俺だって心配だよ。父親としてはもっと心配だろうね」

 敢えて考えないようにしていたことに言及されて、言葉に詰まるラズリ。

 そこへ割って入ったのがハジャルである。

「安心してくれたまえ領主殿。私とて分別は持っている。ご家族の許可も得ず不埒な真似など、風紀に反することはおこなわない。天の神は常に見ているという教えもあるからね。ああすまない、宗教の類は相いれない話題であったね、失礼した、だが――」

 いつも以上に長々と語りはじめたハジャルの言葉を適当に聞き流しつつ、ラズリは転移陣の準備が整うのを待つことにした。忘れものがないか、チェックも怠らない。

 父に会うため都へ行く機会も増え、転移陣も月に一回ほど使わせていただいている。けれど今回の転移先はウングで、ギールはいない。ハジャルがいるとはいえ、ギールが一緒という絶対的安心感がなくなってしまうのは、若干の不安要素だ。

 だからこそだろうか。転移陣の術式をいつも以上に念入りに点検しているギールの背中を見ながら、ラズリは緊張を抑えるように深呼吸を繰り返す。

 ハジャルはまだしゃべっていた。

 うるさかった。



     ◇



 転移陣が張られているのは、結界が施された一室。

 誤作動を防ぐために封印もされており、万が一にも誰かが立ち入ったとしても、稼働しない設定にするよう、国際的な規則で定められている。

 クロサイトにある転移陣は領主館の敷地だが、あれは特例中の特例だろう。本来、あの陣は個人が所有することはできない。設置するのは国営の施設にかぎられる。

 今回の転移先であるウング王都では、王宮近くにある魔導研究所に設置している。遠距離用と近距離用、両方が揃っていて、今回は遠距離用の転移陣へ出ることになっていた。


 陣がある部屋から出て、窓のない長い廊下を歩く。

 侵入者対策として窓を排除しているおかげで薄暗く、なかなか息が詰まる場所だ。空気を循環させる方法として、エーデルシュタインの魔法陣を壁に組み込めないかという研究をしているとハジャルが語る声が、壁に反響してラズリの耳にも木霊する。

 相変わらずよく口がまわる。

 喉が渇かないか心配になるぐらいだ。

 ハジャルのおかげで、転移時の緊張が薄らいだのも事実なので、文句は言わないが。



 「ああ、ようやく外だ。不自由をかけたね可愛いひと。さあ、こちらだ」

 先導していたハジャルが扉を開いて、外へ出る。そして横へ一歩ずれた。そうすることでラズリの視界に、ウングの景色が飛び込んできた。

 むわりと肌に感じるのは異国の風。

 押し寄せる熱気。耳に届くざわめき。

 雲のない青空から降り注ぐ日差しは眩しく、暗いところを通っていたからこそ、余計に目をくらませる。

 色鮮やかなタイルが施された建物は、陽光を受けてさらに輝き、その色を映えさせているようだ。山と海に囲まれて暮らしてきたラズリにとって、この極彩色な光景は異質であり、あまりにも別世界。

 ここが、ウング。

 ハジャルが育ち、暮らしてきた国であり、ラズリの祖母が生まれた国。

 もしかしたら、自分も生きていたかもしれない魔導の国。


 友好国として手を結び、これまでよりもさまざまな情報が入ってくるようにはなった。新聞等の媒体で、色付きの絵が出回るようにもなり、どういった雰囲気の国なのか、庶民にも知られるようにはなってきている。

 だが、それはあくまで『情報』でしかない。

 知ったように感じていたウングという国がラズリの目前に広がったいま、踏み出すための一歩がなかなか出ない。

 肝が据わっているほうだと思っていた。

 若いながら独り立ちをして店を商い、商店街でも「立派でしっかりしている」と褒められてきたから、多少のことで尻込みなんてしないと自負していたのに、ただ知らない国へ来ただけで、こんなにも足が震えるような恐怖に駆られるとは思ってもみなかったのだ。

 魔具の修理師として、魔法陣の不具合を解消させる。

 本当にそんなことができるのか。

 自分のような小娘が、そのような大それたことを成すだなんて、恐れおおすぎて震えが止まらない。


「どうしたんだい可愛いひと。転移陣に酔ったかい? 距離が遠ければ遠いほど、身体への負担は大きくなるといわれている。こういったものも改良していきたいところではあるが、個人差があるものだから仕方がない部分ではあるだろう」

「酔ってはない、と思う、大丈夫。ただ、こういうの初めてだから緊張しちゃって。あれだな。おとうさんたちが離婚して、私がクロサイトで暮らすことになったとき。初めておばあちゃんたちの家に行ったときに似てるかも」

 祖父母と会うのは都だった。

 彼らが上京してくるばかりで、ラズリは祖父母の家に行ったことがなかったのだ。あの父の生家ということで、いったいどんな場所なのかと思っていたら、印象とは真逆の牧歌的な地方都市で毒気を抜かれたことを思い出す。

「緊張、そうかキミも緊張していたのだな。私ばかりかと思っていたが、安堵したよ」

「ハジャルが? 緊張?」

 この世で一番、そういった単語と縁がなさそうなハジャルから『緊張している』などという言葉が聞けるとは思わず、ラズリは驚愕する。

 するとハジャルはいつもとはすこし違った、照れたような、はにかんだ笑みを浮かべる。

「それは勿論、当然のことではないか。だってウングへ行くのだ。私が生まれ育った国、私が暮らし、過ごした場所へキミを案内できる喜びと不安は尽きない。常に私の胸の奥底から湧き上がってくるというものだ」

 緊張と不安。

 またしてもハジャルらしからぬ言葉だ。

 いつだって悠然と構えて、芯というものを持っているハジャルが揺らぐことがあるだなんて、ラズリには信じられない。

 ぽつりとそう漏らすと、ハジャルは目を見張る。そして苦笑。

「そう見せることが私の役割であるからね。私が揺らぐと下の者が不安になる。上に立つ者として、私は自信を持っていなければならない。常にそうであるよう、幼少のころより言い聞かされて育っている。これは私の責だ」

「そっか。ごめんね、勝手な思い込みばっかりで」

「なにを謝ることがあろうか。責といえど、それが押し付けになってもいけない。ならばこそ、高圧的にならぬようにも心がけねばならないのだと思っている。キミが私に対して『緊張や不安など無縁である』と感じたのであれば、それは私がきちんとそれを体現できていたという証ではないか!」


 ハジャルはいつだって長文を話す。

 そうやって他人の弁を煙に巻いているところはあるとは思うけれど、自身の心をも惑わせ、ごまかし、鼓舞しているところがあるのかもしれない。

 そう思うと、いままでの彼の言動も違ったように思えてきて、ラズリは申し訳なさと同時に楽しくもなってくる。

 知らなかったこと、気づこうともしていなかったことの片鱗が見えるのは、探求心がくすぐられる。

 ハジャルと一緒なら、この見知らぬ国も楽しく過ごせるだろう。

 そうであるように心を砕いて行動してくれる。

 ハジャル・アズラクという男は、そういうひとだと、ラズリは知っている。



「ねえ、ハジャル。連れていってくれる? この国のこと、もっと知りたい」

「勿論だとも。さあ、行こうではないか。お手をどうぞ、愛しいひと」

 柔らかく笑ったハジャルが手を差し出す。

 見慣れたハジャルの顔が、なんだかいつも以上に眩しく見えて、ラズリはごくりと唾を飲む。

 さっきとは別の意味で緊張し震える手を握り返され、さらに息が詰まった。

 呼吸が乱れて、身体の熱があがっていく。


 ウングの空気は、とても暑い。


 これはつまり、そういうこと。

 今はまだそういうことにしておこうと、ラズリは呟いた。






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ラズリと魔法の道具たち 彩瀬あいり @ayase24

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