09 研究所から来た男
研究所からやってきた金髪眼鏡ことフェルゼン・エクリプスは、ノーゼライト魔具修理店の扉を叩いた。
若き店主であるラズリ・ノーゼライトは、先代から店を引き継いだばかりの十六歳。先代店主のグリシナ・ノーゼライトは地元では名の知れた術者であったようで、その血を引いている彼女もまた優れた能力を有しているはずだが、自分の能力をうまく扱えていないのではないか、というのが魔法協会クロサイト支部の見解である。
研究所員であるフェルゼンなら、術に関する指導に長けているのではないかということで、協会員のひとりがラズリのことを相談し、フェルゼンもまた彼女に興味があったため、請け負った。
あの店が不思議なのか、彼女自身が不思議なのか。
とにかく、店で彼女と相対しているあいだ、フェルゼンは魔力が活性化するのを感じるのだ。
開かれる扉。そこにいたのは、ラズリではなく異国の青年だ。背が高く、態度もでかい男は、フェルゼンを見て笑みを浮かべる。ただし目は笑っていない。
「やあ、都の魔術士殿。今日もじつに暇にしているようで、私としてはうらやましいかぎりだよ」
「これも仕事の一環だよ」
「おや、あなたは休暇中であるとうかがっていたのだが、そうではなかったのだろうか」
「たしかに休暇は取得しているが、休みを取っていたとしても私は都の研究所の一員。困っている術者の悩みを解決に導くのも、所員の務めだ」
「あの子がいつ困っているとあなたに話したのだろうか、ああたしかに困ってはいるだろうね。頼みもしないのに押しかけて話しかけてくる男の存在など、迷惑でしかないだろうさ」
「そうか、それは迷惑なことだ。君がそれを自覚しているのはいいことだな」
一触即発。
ピリリとした空気が漂い、フェルゼンは嘆息する。
この男は魔導士であるらしい。先日見た腕輪はたしかに本物で、彼がそれなりの実力を持った者であることはわかったけれど、そもそもフェルゼンは「魔導」というものが好きではなかった。ゆえに、この男のことも気に食わない。性に合わないのだ。
他国の魔法が肌に合わないし、上からものをいうような態度もまた
ガチャリと扉が開いて、カウンターの奥から少女が顔を出した。ラズリ・ノーゼライトである。
「あ、おはようございます、すみません、お待たせしましたか?」
「いや、いま来たばかりだ」
「もしや、彼も一緒に出かけるのかい? それは大変だ、私もすぐに支度をしよう」
「なんでよ、ハジャルは留守番しててよ」
「留守番。おお、私に留守を任せてくれるというのかい、可愛いひと」
「今日はとくに予定はないし、もし誰かが依頼してきたら、預かるだけ預かっておいてね」
「承知した。キミのために立派に務めてみせよう」
もしやこの男はアホなのだろうか。
フェルゼンは呆れ、ラズリとともに店を出た。今日は彼女に同行し、領内での仕事を見学させてもらうことにしているのだ。
研究所員の象徴ともいえる黒のマントを着用するフェルゼンの隣を歩くラズリもまた、今日は魔術師の恰好をしている。若い娘らしくスカート丈は短く、歩くたびにひらひらと裾が揺れる。すらりと伸びる足はとても健康的で、普段目にする都の令嬢たちとは違った人種の彼女は眩しく見えた。
「エクリプスさんは、どんな研究をしているんですか?」
「そうだな、僕の夢は新しい魔術を編み出すことかな」
「開発ですかー」
「といっても、なかなか新しいことはさせてもらえない。年齢的なこともあるし」
フェルゼンは現在二十二歳。若手も若手だ。都の学院を首席で卒業し、乞われるかたちで研究所に就職した。自分の才覚を買われたと思っていたが、研究所というのはとかく慣習を重んじるところで変革が難しい。研究所というからには、新時代を担う機関だと思っていたフェルゼンは、あてが外れた気分だった。
こんなことなら、自分も技術屋になればよかったかもしれない。
学友が魔具製造にかかわっているのをみるにつけ、フェルゼンはやるせない気持ちになる。
「研究所も大変なんですねえ」
「君は創るほうに興味はないのか? あの術式は素晴らしかったと思うよ」
「……あー、えーっと、あれはわたしだけの手柄ではない、といいますか」
言いよどむラズリに、フェルゼンは言う。
「もしかすると、あの異国の男に言い含められているのか? 資格のない君を軽んじて、自分が優位に立とうとしているんだな」
「いえ、そういうわけではなくてですね」
おろおろとするラズリを見て、フェルゼンはますます彼女に同情を覚えた。ウングのターバン男は、飄々とした態度でのらりくらりと躱し、店主である彼女をないがしろにして、自分の好きにふるまっているにちがいない。
あそこは彼女が祖母から継いだ大事な店だというし、他人に――まして他国の、魔術とはなんの関わりもない無関係の人間が踏みこんでいい場所ではないはずだ。
ここは先輩として、年上として、いたいけな少女を守ってあげなくてはいけない。
自分がクロサイトへやってきたのは、そのためなのだ。
フェルゼンは思った。
訪れたばかりではあるけれど、クロサイトという土地は魔力の通りがいい土地である。協会の人間に言うと「そうですかね?」と頭をひねっていたが、彼らは地元の人間だというし、よそを知らないせいだろう。
とにかく、空気がいいのだ。
この場合の空気とは、人間が生きるために必要な呼吸で体内に取りこむものではなく、魔力の源のほう。目には見えないそれらは、魔法を行使し具現化する際に消費されるものだが、この周辺は魔素がとても多いし濃い。魔術師にとって、居心地がいいともいえる、素晴らしい環境だ。こんな場所に身を置きたいと思う程度には気持ちのいい場所。
――そうか、それもいいかもしれないな。
ふと、移住という選択が頭に浮かぶ。研究所の人間にはある程度の権限があり、転移陣の利用もそれにあたる。
つまり、クロサイトに家を持ちながら、転移して都で仕事をすることもできなくはないのだ。
ちらりと隣のラズリを見やり、フェルゼンの口に笑みが浮かぶ。自分が彼女と店をやるのもいいのでは? 他国の男より、自国の男のほうがずっといいに決まっている。うん、そうだ、それがいい。
フェルゼン・エクリプスという男は、少々――いや、かなり思いこみが激しい男である。
魔法協会クロサイト支部。
支部長が管理する書物室の鍵を借りて、フェルゼンはクロサイトの歴史を紐解いていた。
別の土地出身だという支部長に、クロサイトの魔素について問うたところ、さすが責任者というだけあってか、一般職員とは違いフェルゼンの弁に同意を示したのである。
彼によると、クロサイトは鉱山に囲まれ、山から湧いた水が大きな川に流れこみ海へつながるという土地柄、ちからの循環が大きいのではないかという。つまり、ちからが領外へ漏れにくい構造なのだ。それが魔素濃度につながっているのではないかと思われる。
クロサイト周辺の山から採掘されるのは、宝飾品としての価値が薄いものばかり。そのため、あまり山が切り崩されていないことも、エネルギーを多く含んでいる可能性を示唆しているだろう。
地図を広げたフェルゼンが次に考えたのは、「よし、山に行こう」であった。
町中にいて、これほど魔素を感じるのだ。もしも大自然に秘められたちからがあるのなら、山へ入ればそれをもっと感じられるはずだ。
そうして男は山へ赴き、しばらく帰ってこなかった。
◇
都の研究所員が山籠もりをしている。
笑って話してくれた協会員に「いや、笑ってる場合じゃないんじゃない? もし、野生動物に襲われでもしたら」とラズリが思わず返すと、相手はからりと晴れやかな笑みを浮かべたものである。
「大丈夫でしょ。定期的に帰ってくるし、すっごい生き生きしてるよ。山はいい……とか言ってたし」
「田舎に目覚めたんですかね?」
「都会生活に疲れてたのかもねえ……」
先日、連れだって町を歩いたときも、なにやら鬱屈したような愚痴を言っていたし、やたらと店のことに言及してきた。
(つまり、自分のお店を持ちたいのかな? 興味あるっぽかったし)
彼は開発するほうに重きを置いていたようだから、ラズリの修理店と敵対することはないだろう。むしろ、依頼をまわしてくれたら嬉しいぐらいだ。
立ち話ののちに別れ店へ向かっていると、北の方角から黒い服を着た男がふらふらと歩いてきた。陽光にきらりと輝く美しい金髪は、ついさっきまで噂をしていた人物だろう。声をかけるべきか否か迷っているラズリに気づいたか、フェルゼンのほうから近寄ってきた。
「こんにちは、悪いね連絡もせず」
「いえ、べつに」
やや疲れた顔をしてはいるが、五体満足で無事らしい。野生動物と格闘したようにも見えないし、彼はいったいなにを目的に山籠もりをしているのだろう?
訝しむラズリに対し、フェルゼンはここ最近のことを語りはじめた。
それは、いままで知らなかったクロサイトにまつわる歴史である。
クロサイトは、かつては秘境ともよべる僻地であり、独立した町だったという。
山に囲まれ、流れ出たエネルギーは海へ流れる。いまでも漁業が盛んな理由はそのあたりに起因しているのだとか。
狭い土地で、そこだけで循環した魔素。吹き溜まりともいえる強い魔素の中で暮らすクロサイト領の民は、強い魔法使いの素質を持っていたが、なにしろ彼らは自分たちしか知らない。それが当たり前として育ち、その価値を見出したのが、山を越えた向こうにあるエーデルシュタイン王国だった。
エーデルシュタインの魔法使いは、クロサイトの民に教えを説き、導いた。
知識を与えてくれた王に敬意を表して、クロサイトの長はエーデルシュタインと同盟を結んだ。
それが、クロサイト領の始まりだ。
「恥ずかしながら知りませんでした」
「秘匿情報らしいからね。なぜ隠されたのかはわからないけど」
ん? ではなぜその「秘匿情報」とやらをフェルゼンは知っているのだろう。
眉根を寄せたラズリに、フェルゼンは笑顔で答えた。
「禁書に載っていた」
「いや、駄目でしょ」
「これがその禁書なんだが」
「待って、見るのも駄目なら、持ち出していいものじゃないしっ」
「これも研究のためだ」
駄目だ。ここにも駄目なひとがいた。薄々はわかってたけど、やっぱり駄目なひとだった。
どうして自分の周囲にはおかしなひとばかりがいるのだろう――
ラズリは天を仰いだ。
空がとても青かった。
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