08 たゆたう魔素
「いってみれば、彼らはジンだろう?」
「ジン? なんですか、それ」
「そうか、こちらにはいないのだね」
虚を突かれたように目を丸くしたハジャルは、話しはじめる。
モルガノ・モルガンに出会ったハジャルは、彼が
かつては人間と交流がもたれていた彼らは、時を経て姿を消してしまったと言われているが、果たしてそうだろうか。ひとびとのちからが薄れるにつれ、存在を感じ取れなくなってしまっただけなのかもしれない。もしくは――
「魔素が濃くなったのかもしれない?」
「すべてにおいてそうではないと思うけれど、具現化される魔法のちからが強くなったような気がするのだよ」
「ほう、なかなかおもしろい見解だ」
ホーキンスが鷹揚に発言した。藁束の先っぽがまるで触手のように蠢いてわさわさと音が聞こえてくる、素晴らしい怪奇現象だ。すっかり慣れてしまったラズリは、たいして気にもとめずホーキンスの弁を待つ。
「吾輩がこの時代へ舞い戻ったことには、なんらかの意味があると思ったが、そうか、つまり魔素を操る術を説くべく降臨したわけだな」
「でもそれだと、モルガとディクトリウムは?」
「奴らは吾輩の同輩。吾輩のみでは成し遂げられぬほどの危機が迫っている証でもあるか」
「危機?」
「下僕め。足りぬ脳でもっと考えろ」
「……はあ」
魔素濃度があがれば、発動するちからは強くなる。
それは、よいことばかりではない。大きなちからは、大きな被害をもたらすからだ。悪用する者は必ず現れる。
まして今は魔法道具が開発され、少量の魔力で魔術が発動する。同じだけの魔力量でも、具現化するものは何倍にもなるだろう。
「……最近、魔具の不具合が多いのって、そのせい?」
「多いのかい?」
「故障とまではいかないけど、たとえば火力の調整とか、温度調整とか。細かい変化があるっぽいんだよね」
一般調理器具ではたいした問題にはならないが、食事処やそれらを売買している店は影響が出ているようだ。いつもと同じ温度で設定しても高温になるものだから、焦げたり、火が通りすぎて固くなったり。家庭内では問題がなくても、商売となればそうはいかない。
買い物に行った際、雑談まじりに相談されることが、ちょくちょくあるのだ。
見せてもらっても、とくにどこも不具合はない。魔力の通りも悪くないし、たしかに通りすぎるきらいもあるため、制限を厚めにしておいた。設備も古いし、そろそろ買い替えかねえ、なんて話をしていたけれど、そういう問題ではなかったのか。
だが、それならばもっと大きな話題になっているのではないだろうか。それこそ、都の魔術研究所が黙っていないはずだ。
と、そこまで考えたところで、気づく。
あのフェルゼンという男。しばらく滞在すると言っていたのは、もしかすると調査なのかもしれない。
(とはいえ、正面きって訊ねても、口を割るとは思えないよねえ……)
◇
極秘調査をしているのかと思っていたフェルゼンだが、そんなようすはまったくなくて、むしろ休暇を満喫しているようだ。
そう、休暇である。
有給休暇が溜まっているので、それを消化しているらしいと、人伝に聞いた。
クロサイトの中心街にある役所には魔法協会の支部が併設されており、魔術研究所ともつながりがある。各地の諸問題は協会を通して研究所にあげられ、共有されるからだ。
研究所員であるフェルゼンは、クロサイトを訪れるにあたり協会支部に声をかけているし、滞在するにあたりそれを告げている。顔見知りの協会員に町中で会った際、都から来た研究所員の話題になり、どうやら彼が休暇を申請して滞在していることを知ったラズリである。
「休暇?」
「らしいよ。そのくせ研究だーとか言ってあちこち出歩いて、うちの研究室の一角を陣取って、なんかやってるよ」
「はあ」
「いやあ、変わったひとだねー。いっちゃなんだけど、クロサイトでなにを研究するんだか」
「ですねえ」
同意しつつも、ラズリは頭の片隅で疑問符を浮かべる。
本当に魔素――魔力の根源たるなにかが増しているのだとしたら、研究所の人間がもっと押し寄せてきそうなもので。彼らは転移陣を使えるだろうから、調査となれば対応は迅速だろう。
にもかかわらず、フェルゼンが来てから数日経過しても平穏ということは、彼はこのことについて報告をあげていない、ということだ。
(ホーキンスたちの考えすぎ、なのかなあ?)
よくわからない。
わからないことを考えても仕方がない。
基本「難しいことは後まわし」がポリシーのラズリは、店のほうに専念することにする。点検の依頼は増えているのだ。
あれからふたたびクロサイトに居を置いているハジャルは、足しげく店に通ってきている。彼曰く「私はここの従業員ということになっているのだから、当然だよ」とのこと。
たしかにフェルゼン相手に大見得をきった手前、ハジャルが無関係の人間だと知れるのはよろしくない。ラズリが裏で家事をしているあいだ、来客の相手をしていることもあるため、ハジャルは半分ぐらい店の人間と化しているのは間違いがなかった。ラズリが出張して術式点検をしている最中も、店番をしてくれているのだ。とても助かっている。
都から戻ってきたあとのハジャルは、魔法協会のほうへも顔を出しているらしい。
協会は、国際機関でもある。国際魔法連盟が運営している実務機関で、魔導を主とするウングにも当然協会は存在するし、こちらの魔術について学ぶとすれば、そこを訪ねるのがいちばんの早道だろう。実際、書物を借りてきて読んでいる姿をよく見るようにもなった。
ちらりと見せてもらったけれど、古語で書かれているもので、ラズリにはなにかの記号にしか見えない。ハジャルは読めるらしく、じつはめちゃくちゃ頭がいいのかもしれないと、ほんのすこしだけ彼を見直した。
熱心に読んでいるのを邪魔しないよう、保温術を敷いたコースターの上に紅茶を置く。ホルッドじいさんのパン屋で買ってきたメープルとナッツのスコーンも小皿に置いておくと、大きな褐色の手がそれをつかみ、口へ運んだ。中はしっとり、けれど表面はさっくりと仕上がっているスコーン。そのカケラが男の薄い唇に張りつき、ぺろりと舌で舐めとるさまがなんともエロちっくで、ラズリはドキリとする。
視姦だ。これでは変態である。
いかんいかん。彫刻のように整った顔から視線を剥がして、店内を見渡す。
高い位置にあるガラス窓から降り注ぐ光は、明るく店内を照らしている。あの窓には拡散術が施してあり、この程度の広さなら他の光源を必要としないぐらいには、昼間の太陽光を室内へ拡散させてくれるのだ。
ラズリにとっては、生まれたときから存在する当たり前の術式だが、そういえばホーキンスはひどく驚き、あるいは満足そうに発言していた。光を集約する魔法を編み出したのは自分なのだとか。あいかわらずの大言壮語で、つっこむのも疲れてくる。
「どうしたんだい、可愛いひと。ああ、そこに立つと天からの光がキミをとりまき、まさしく天使のような輝きだね」
「天使なのはむしろハジャルだと思うけど」
いつものように白い装束に身を包んだハジャルにそう言うと、花のような笑みを浮かべる。
「それで、なにをぼんやりと見上げているんだい?」
「えー、あー。ホーキンスはよく偉そうなことを言うけど、どこまでが本当なのかなーと、いまさらのようなことを」
そもそも存在自体が嘘くさいのだけれど、それはともかくとして。
んーと眉根を寄せるラズリに、ハジャルが考えこむように顎の下に親指をあてがう。
「モルガもそうなのだけれど、彼らはとても思考が柔軟であり、思いもよらぬ部分から既存の魔法を展開させてしまうところがある。たとえば私がこの国へ赴く際に使用したのは転移陣なのだけれど、モルガの時代にはなかったであろうそれを驚くかと思えばそんなこともなく、私が考えたことすらなかったことを言ったのだよ」
「なんですか?」
「声や像は届けぬのか、と」
「声?」
転移陣は、陣を敷いた箇所へ転移するとても便利なものだ。手足を使って旅をせずともよいため、時間の短縮であり、道中の危険から身を守ることもできる要人にはうってつけの技術。ただ、物体を移動させるため、人数が多くなればなるほど必要な魔力エネルギーも増えてしまう。一般人が使いづらいのは、そこもある。
「けれど、だね。たとえば身体そのものではなく、声や絵といったものだけを飛ばすのであれば、必要魔力量は抑えられるのではないかという話だ。ウングは魔導の国であり、そこには呪文が存在する。発する声そのものに魔力を宿すこともできるため、声を遠くへ送るのであれば、他に魔力はいらない。声そのものが魔力を帯びているのだからね」
「えーと、よくわかりません」
魔導における呪文の概念は、魔術で育ったラズリにはよくわからない感覚だった。
素直にそう告げると、ハジャルは笑みを浮かべて、手のひらを上に向けた。
「輝きよ、我が手に来たりて白き翼と踊りたまえ」
するとどうだろう。まっしろい光の球体がハジャルの手に生まれた。ボール遊びをするように手のひらで転がし、指の上でくるくるとまわる。やがて天井近くまであがると、ハジャルが指で円を描く軌道に合わせて光の尾を描きながら旋回し、だんだんと薄くなっていって消えた。
「……いまの、なんですか?」
「光の魔導だね。さっきのものは固定化を目的としているわけではないから、ほんのすこし、わずかなあいだだけ女神の御力をお借りている状態なのだけれど、もしも部屋を照らす光源としてのものを求むるのであれば、媒体を用意して、そこへ固定化する必要がある。魔導というのはそこが少々面倒で、うまく宿るかどうかわからないのだよ。エレメントは気まぐれだ。そのため最近は我がウングでも、術式が施されている魔具を利用するようにもなっているのだよ」
ハジャルがよくしゃべる理由の一端が見えた気がした。
魔導の呪文とはつまりあのように、褒めて褒めて褒めて褒め殺して、魔法を具現化させることなのだろう。魔力を流して、決まった術式を発動させる「魔術」が主流になっていった理由もわかった気がする。あれは、無口なひとには不向きだ。
「モルガの考えとしては、身体そのものを移動させるのではなく、声や姿のみを遠くへ届けることだ。私がウングにいて、キミがここにいたとしても、なにか――そうだな、たとえば鏡を媒介にして互いの姿を見ながら会話をするという、そういったことだね」
「それは――、すごいけど、危険、だよね」
「ああ、そうだとも。媒介を装身具のようなものへ加工してしまえば、誰にも知られぬように密談だってできてしまうだろう。情報はたやすく漏れる。いったいいつ、どこで、誰が。疑心暗鬼のはじまりだろうね」
ヘタをすれば、戦争の勃発だ。
ぶっとんだことを言い出すのは、なにもホーキンスだけではなかったらしい。
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