07 都からの使者
しーんと店内が静まりかえった。
もともとひとけもない店だが、外を歩くひとや馬車の音すらも聞こえない気がする。頭のなかに木霊するのは、男が言った「違法行為」という言葉。
魔法に関することは、罰則がとても厳しい。容易にひとを
(おばあちゃん、ごめんなさい。ラズリは犯罪者になってしまいました……)
魔術を行使できないようにする拘束具をはめられて、連行されてしまうんだ。
脳裏をよぎるのは、ここ最近のことだった。ホーキンスにモルガノ・モルガン。新参者のディクトリウムは、あのなかではまだラズリに気をつかってくれるいいヤツだ。
そして、ここ一週間ほど見かけていない、異国のターバン男こと、ハジャル・アズラク。
ウング使節団の一員らしいので、ずっとここにいるわけではないとは思っていた。あれだけ入り浸っていた男が姿を現さないということは、どこかへ出かけているのだろう。あいさつもなしに、帰国してしまうひとではないと信じている。
頭がぐらぐらと揺れ、喉が渇く。
どうしよう。どうしたいいんだろう。
ひとつ唾を呑んで口を開いたとき、ふたたび扉が開いた。
「待ちたまえ、そこの君。私の可愛いひとに怯えた顔をさせてほしくはないね。それは私の役目だよ」
「……なんだ貴様」
「ははは、なんだとはなんだね。私はこういう者だよ」
ゆったりとしたシャツの袖をまくると、褐色の肌が現れた。思いのほかがっしりとした腕を見せつけるように掲げる。窓から射しこんだ陽光が、腕にはめられた装身具をキラリと反射させた。
「そ、それ、は――」
「私の国は魔導を主としているけれどね、これは国際資格。魔術を扱う国であっても、問題はないはずだ」
金の腕輪。国際魔法連盟によって管理され、ナンバリングが振られている有資格者の証が、ハジャルの腕に輝いている。
「彼女とともにそれを作った。まだ試験段階であるため、身内と呼べる近しい者に試していただいている状態だ。もしもそれを入手したものがいるとすれば、むしろそのほうが問題だろうね。
「盗人という言い方は失礼だ。彼は善意で進言してくれたまでのこと」
「ならばその『彼』とやらに言ってやりたまえ。この品もまた、彼女の善意のうえで成り立っているものだと。不正などする気は毛頭ないし、困っているご婦人がたのちからになりたいという、ただそれだけの行為であると」
「法とは遵守しなければならないものだ。とはいえ、そちらの言い分もわかる。この魔術も、必要最低限に抑えられた効率のよいものだ。だが、ほんのすこしの書き換えで、異なるものへ変化する可能性を秘めているのが魔法陣というものだ」
洗浄の魔術。布地から染みや汚れを消し去るもの。
しかしその対象を別のものへ向けたとしたら、どうだろう。
強制的な脱色。肌や髪の色を変化させることができるかもしれない。美容整形の分野に与える影響は大きいが、問題はそこではない。
見た目を変じることができるのであれば、犯罪者が意図的に姿を変えて、容易く逃げることが可能になるということなのだ。
「……そんなことは、考えてもみませんでした」
「普通はそうだろう。しかし、どんなものも悪用する人間が必ず出てくる。そのときに、どういった術であるのかを把握しておくために、研究所を通しておく必要があるということだ」
「はい、そうですね」
ラズリが頷くと、研究所の男性の態度もゆるんだ。
「今後、気をつけてくれたらそれでいい。あなたの術式はとてもおもしろいものだった。感心したよ」
「ありがとうございます……」
五百年前の知識を持ったホウキとモップとデッキブラシが考えた、とは彼も思っていないだろう。あははと苦笑いを浮かべるラズリを見つめた男は、あらためて礼を取った。
「申し遅れた。僕はフェルゼン・エクリプスだ。あなたはその若さで、これだけの術を考案できるのだから、恐れ入ったよ。これで資格持ちではないとはね」
「制御が甘いって言われます。だからよく、手に傷を作ってしまって」
手のひらをフェルゼンへ向けると、男はくいと眼鏡を押し上げる仕草をして、ラズリの手を覗きこむ。荒れた手を見て眉根を寄せると、顔をあげてラズリを見つめた。
「最初に流す魔力量が多いのではないか? 相性もあるし、反動を考えるともうすこしじわじわと浸透させるべきだろう。杖は使っていないのか? 媒体を用意すれば、身体に受ける傷は半減できるはずだよ」
「杖って、研究所に勤めるぐらいのひとじゃないと、持てないんじゃないんですか?」
「それは単に比率の問題だ。ありとあらゆる術に対応するために、安全性を考慮して杖を使うことが多いというだけで、一般の術者が持っていけないというものでもない」
意外な話を聞いた。地方の魔法学校では「杖持ちは特別」と言われていて、都出身の学長ぐらいしか所持者はいなかったのだ。
ぼんやり考えていると、ぞわりとした感触が走る。フェルゼンが手を取り、最近できたばかりの走り傷に指を這わせていた。
「傷の数は勲章というが、君のこの手もそうなのだろう。小さな手でたくさんの魔具を直してきた証だね」
「こらこら君、女性の手を取るなんて、失礼じゃないか」
褐色の大きな手がフェルゼンの手をほどく。そうしてそのまま、ハジャルの大きな手がラズリの手を包み、じんわりと熱を持った。鼻白んだようすのフェルゼンだったが、すぐに表情を整え「これは失礼」と呟くと、笑みを浮かべる。
「今日はこれで失礼しよう」
「今日、は?」
「クロサイト領に来たのは初めてでね。ラズリさんの術といい、この土地の魔術にも興味が湧いた。しばらく滞在してみようと思う」
こんななにもないところに?
なんて物好きな。都会人は田舎がそんなにめずらしいのだろうか。
喉まで出かかった言葉を呑みこんで営業スマイルを浮かべたラズリに、フェルゼンも微笑みを浮かべた。
「なんだいあの男は。とてつもなく失礼だな」
いつも笑顔で優雅な振る舞いをするハジャルにはめずらしく、トゲトゲしい物言いだ。そのあいだもずっと握られたままの手をはずすタイミングがないまま、ラズリは隣に立つ彼を見上げる。
ひさしぶりに見たハジャルは、あらためて見ても美男子だ。さきほどの男も美形ではあったけれど、なんというか属性が異なる美しさなのだ。シャープな顔立ちで、ほっそりとした印象とは裏腹に、意外と筋肉質なのだと握られた手が告げる。
なによりも驚いたのは、彼の頭だ。
いや、頭の具合がおかしいとかいう話ではなくて。
じいと見上げるラズリの視線を受け、ハジャルはゆるやかに笑む。
「どうしたんだい、可愛いひと。ああ、たしかにとても怖かっただろうね、すまない、もっと早く駆けつけてしかるべきであったのに私としたことが。こんなときにクロサイトを離れていただなんて、まったく腹立たしい」
ぺらぺらとよくまわる口は、いつもの彼で。やはりこれはハジャルなのだとわかってはいるけれど、不思議な気持ちになった。
「私の顔になにかついているのかい?」
「ついているといえば、ついてるかな。ハジャル、髪の毛そんなに長かったんだ」
むしろ生えてたんだ――と、内心では付け足して呟く。
デッキブラシを届けに来たゴルディアが禿頭だったので、やっぱりそうなんだろうと思っていたけれど、ところがどっこい、ハジャルには髪の毛があったらしい。やや癖のある黒髪をうしろでゆるく結わえている姿は見慣れないけれど、悪くないと思う。まとめきれていない長い前髪が幾筋が垂れているさまは、違う意味で
「……しまったな。すまない、見苦しい姿を見せてしまったようだ」
「え、どうして?」
すごく綺麗なのに。
それとも宗教上の理由で、髪を見せてはならない、とかそういうのがあるんだろうか。
常にしっかりと巻きつけてあるターバンは清潔感があるし、白を基調としたゆったりとした服装も清廉な印象を与える。
口を開かなければ、ハジャルは神秘的な美男子なのだ。口を開かなければ。
「国では、人前に出るときは常に身なりを整えておかなければならない。こうしてターバンを解くのは、家族や恋人の前だけなのだ」
「それは宗教的ななにか?」
「どうだろう。慣習、だろうな。昔ながらの悪習ともいえる。なくしてしまって、もっと自由になっていいはずなのだけれど、なかなかどうして難しいのだよ」
複雑な表情を浮かべるハジャルに、ラズリは思う。
都の軍人である父親は、なにかと規律に縛られているところがある。一般人ならば咎められないことでも、立場が違えば眉をひそめられるのだ、面倒なことに。
使節団に入って外国を訪問するぐらいだ。ハジャルもまた「お偉いさん」の一人なのだろうから、適当なことはできないし、怒られたりもするのだろう。
「なんだ、誰かと思えば貴様か」
「おお、ハジャル。今日は頭を晒しているのだな」
「麗しい黒髪ですな」
昼寝から覚醒したらしい三本が、口々に声をかけてくる。
「しばらく留守をしておりました、閣下」
「ふん、我らに恐れをなして国へ逃げ帰ったかと思うたがな」
「まさか。都へ顔を出しておりました」
「都へ?」
ハジャルの発言に驚いたのはラズリである。
都への往来はそう簡単におこなえるものではない。なにしろクロサイトは辺境だ。いったいどうやって行き来をしたのだろう。
「都にいる者がね、私を拉致しに来たのだよ」
「使節団のお仲間さん?」
「そういうことだね。都における仕事は私の役割ではないはずなのだけれど、一度も顔を出さないというのは具合が悪いらしい。魔術に関することは都のほうが情報も多かろうということで、ついでに調べものをすることにしたというわけさ」
「なにが知りたかったの?」
「彼らのことだ」
「ホーキンスたち?」
たしかに、あれは少々――いや、かなりおかしい。
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