10 魔の山


「そしてこの禁書を持って、僕は山に挑んだんだ」

 話は続いた。耳をふさぎたい気持ちでいっぱいだったが、どうも逃がしてくれそうにない。目が輝き、とても嬉しそうなのだ。

 ラズリは、研究バカと呼ばれていた先生を思い出す。魔術学の教師は自分の考えに没頭すると授業を放棄して延々と語り続ける男で、今のフェルゼンはそれによく似ていた。

 もう、しゃべるだけしゃべらせておこう。

 語り続ける言葉に適当に相槌をうちながら、ラズリは夕食メニューについて考えることにする。三本はよく賭けをしていて、今日はディクトリウムが勝利していた。彼のリクエストは、クリームシチュー。プリンも食べたいという。

 デッキブラシが「我はプリンなるものを食するために、ここに蘇ったのではないかという気がしている」などと重々しく呟いている図にも慣れてしまい、いまやすっかり日常だ。ちなみにプリンに関しては勝負ごととは関係がなく、ラズリが商工会の書類を作る際に手伝ってくれた御礼の品である。ディクトリウムは「これでも書き物には一定の評価を得ていたものだ」と自称するとおり、書類仕事には長けているのだ。もっとも、ホーキンスに言わせれば「あれは戯言」「弁が立たぬゆえに文字に逃げただけの弱者」だそうだが。


「さて、ここクロサイトは高名な魔法使いを輩出しているんだが、それだけではなく、魔法学の基礎を確立したといわれる三賢人さんけんじんもまた、クロサイトに住んでいたらしいんだ。彼らが興味を持つようなことが、この地に眠っているという証拠でもあると思う」

「あー。三賢人の話は聞いたことありますね。港のほうに史跡も残されてますけど、住んでいたというよりは、滞在したとか通りがかったとか、そういう類だったかと思います」

 そもそも賢人伝説はそこかしこに存在し、たいして珍しいものでもない。

 智者・ヴォーンズ、豪傑・オルグー。そして、ヴォーンズの唯一の弟子とされる、ディート。

 彼らの物語は半ば神話のようなものであり、今では娯楽小説の題材にもよく使われている。ラズリは、三人の珍道中を描いたコメディ小説のシリーズが好きだった。彼らは世界を旅していたともいわれていて、世界中あちらこちらに史跡があるのもそれを裏付けているのではないかという。しかし近年では、史跡自体が後の世につくられた、いわば創作物の一種ではないかともいわれており、学者たちのあいだでしばしば論争の種になっているのだとか。

「これを見てくれ」

「はあ……」

 フェルゼンが差し出した手のひらにあるのは、石だった。成人男性ならば、手の中に握りこめてしまうのではないかと思える大きさで、黒とも灰色ともつかない色をしている。原石といわれるものは、割ってみないとわからないものだろうが、これもまたなにかの価値があるものなのだろうか。

「これは僕が山に入って見つけたもので、とても不思議なものだ。これはね、吸うんだよ」

「吸うって、なにを?」

「魔力だ」

 そう言った瞬間、フェルゼンの手にある石がほのかに光った。石の表面に刻まれた模様のようなものが白く浮かびあがり、そのさまは魔法陣に魔力を走らせたときを彷彿とさせる。

 フェルゼンが言うには、魔素の根源を追って歩いているうちに辿りついた場所で見つけたのだという。

 そこは採掘所跡。生い茂った木々を超えた向こう側に、ぽっかりと開けた場所があったという。草もろくに生えていないのは、地面に対してなにかしらの加工を施していたのだろう。一角には平屋の作業小屋も残されており、保存の術が掛けられていたためか、倒壊もせずに残っている状態だった。

 近づいてみると、侵入者除けの魔法がかけられていて、フェルゼンはためらいもなくそれをこじ開ける。研究所の人間にとって、それは日常的なことだった。遺物にかけられた鍵や封印を解いて、中身を確認するのは業務の一環なのである。

 内部に足を踏み入れると、鼻にカビ臭さが突き刺さる。どんなに封印を施してあっても、空気は澱むものだ。手のひらに防護の膜を張り、調度品や壁を検分する。壁には一般的な耐震術が掛けられていて、記述から見るとやや古い。こういった術を建物に施す方式を生み出した黎明期のものと推測する。それでいて飾られた調度品がもっと古い時代の物であることを考えると、小屋の封印はずっとあとになって掛けられたものなのだろうと知れた。いずれ、採掘を再開させるつもりだったのかもしれなかった。

 小屋の内部は広くない。元来、採掘所の周囲にはもっと大きな建物があるはずだが、その跡地すら見当たらないのが不思議だった。ひょっとしたら、この開けた場所がその名残なのかもしれないが、それにしては建物があった形跡も見当たらない。この小屋だけがぽつんと残されている。それはひどく不自然な光景だった。

 一番大きな部屋でも、十人を収容できるか否かといったもので、労働者たちの休憩場所には不向きに思える。この場所を管理する数名のための場所、といった雰囲気だ。入口から近い扉を開けるとそこは煮炊きができる調理場で、水道も設置されている。蛇口をひねるときちんと水が出ることに驚いたが、それはつまり、ここは打ち捨てられた場所ではないことの証だ。本来の調度品に加えて、あとになって持ちこまれたと思われる魔具もいくつか設置されている。しかし、ところどころに穴が開いている。魔力を流すと稼働はするが、これではいつ壊れるかわからない。いくつかの道具には、穴を塞ごうとしたのか石が詰められているようだった。応急措置にしては、お粗末だ。

 他の部屋を確認していると、廊下の奥にある扉に厳重な鍵がかかっていることがわかった。何重にも封印がかけられていて、突破が難しい術式。

 学生のころから、こういったパズルめいた術を解くことが好きだったフェルゼンは、目を輝かせた。魔法陣の術には術者の癖があり、それがわかれば解くことはそう難しくないのだが、これは見たことがない形式だったものだから、俄然やる気が湧いてくる。

 決して簡単ではなく、解除には日付を要した。通いつめ、突破を試みた。

 そうしてようやく開いた扉の向こうは、狭い部屋だった。両手を広げると壁に手が触れてしまう程度の幅で、奥に数歩進むと台座のような物が設置されている。そこを照らすように天窓があり、フェルゼンは導かれるように近づく。そうして見つけたのが、石だったのだ。

 両手で抱え持てる程度の大きさ。研磨されているのか表面はつるりとしていて、光沢がある。厳かに鎮座していて、まるで祭壇に掲げられているかのように映った。

 採掘に際しての、願掛けのようなものなのかもしれない。

 なんとなく拝んでおき、フェルゼンは部屋を出た。次に向かったのは、封鎖している採掘場だ。用意していた魔術ランプに光を灯し、奥へ進む。しかし、さほど進まないうちに行き止まりとなり、フェルゼンは肩を落とした。足元に転がっている石を拾い上げ、ランプの光に近づける。ゴツゴツとした黒に近い灰色の石は、魔術の光を浴びるとキラリと不思議な光を放った。それどころか、手に持っているだけで熱を持ち、ちからが吸われているような感覚がある。

 フェルゼンは、手のひらに対して意識的に魔力を集中させる。

 すると、集まったエネルギーはそのまま石のほうへ流れこんでいき、石が淡く光を放ったのだ。


「不思議だろう? だから僕は試してみることにしたんだ」

「えーと、なにを?」

「どれほどの魔力を吸い取るのかだ」


 拾った石は小さく、手のひらで転がせるほどの大きさでしかない。あまり間をおかずに石は熱を帯び、そしてカツリと音を立ててふたつに割れた。鋭い刃物で斬ったような断面。さらにちからを流してみると細かく震えはじめ、やがて脆く砕ける。最終的には粉末状と化し、塵となった。

 こうなると、次はもうすこし大きなもので試したくなるのが、人間のさがというものだろう。

 坑内を見渡し、隅のほうに転がっている石を拾いあげる。ただの小石もあれば、濃い灰色の不思議な石もある。これと見定めたものには片っ端から魔力を流し、試してみる。その結果、大きさに関わらず、硬度に差があることがわかってきた。耐久度といっていいのか、すぐに砕けてしまう脆い石があれば、小さくとも魔力を吸う石もある。

 耐久度の高い石は、魔力を溜めこむ。燃料容器のような役割を果たし、自身の魔力を使わずとも魔法陣を動かすことができることもわかってくる。魔力の少ない者にとって、これは非常に便利なものになりそうで、そう考えたときにあることに気がついた。

 あの、穴が開いた魔具。詰められていた石は、この不思議な鉱石だったのではないか。魔力を補う石。自身の魔力を使わずに稼働が可能となる。

 フェルゼンは小屋へ戻ると、石を取り出して魔力を流してみる。

 しかし淡く輝いたあとに砕けてしまった。使用回数に制限があるのか、それとも経年劣化によるものか。

 ついさっき手に取った新しい小さな石に魔力を流し、穴に中へ入れてみる。

 すると、部屋の明かりがついた。天井に吊り下げてある複数のランプ、それぞれに光を灯すのではなく、一斉に稼働させるべくひとつの装置に紐づけていたらしい。

 明々と灯る光は、フェルゼンの心も輝かせた。

 これは、すごい発見だ――。


「僕はこれを魔鉱石と名付けた。協会に戻ってさまざまな書物を探してみたが、どこにも載っていなかった。あの封印状況から考えると、知られないようにしていた可能性が高い。研究所の同僚にそれとなく問い合わせてみたけれど、彼もまた知らないようだった。発見だよ、世紀の大発見だ!」

 男の高揚した言葉に呼応するように、石が輝く。表面に走る文様は魔法陣の術式に似ているが、なんの効果があるものなのか読み取れない。ただ、とても大きなちからを秘めていることだけは伝わってきた。

 オーラ。あるいは波動。

 近くにいるだけで、並々ならぬちからを感じる。すこし、おそろしいほどに。

「エクリプスさん、これはいったいなんですか? なんの魔術が発動するんですか?」

「この石単体でなにかをなすものではないと思う。これに込めた魔力は、別の場所に集められているんだ。そうだな、いってみればこれは、ちからを転移させる術かな」

「ちからの転移?」

 転移の陣。

 ただこれは、ひとではなく、魔力を飛ばす。魔力を指定された場所へ集めるもの。

「おそらく、溜め込んでおいて、いざというときに備えたんじゃないかな。クロサイトは辺境だ。よその土地との行き来が制限されたときには、困るだろう」

 また、これがあれば採掘現場と町を行き来する機会も少なくて済む。

 それだけではなく、個人差がある魔力量。少ない者はこれを用いて補填できるし、少人数で大きなちからを扱うこともできる。岩盤を砕くために使うことも可能だろう。

「はあ、なるほどです。それで、このちからはどこに集まってるんですか?」

「それが謎なんだよ」

「――え?」

「だからちからを送っている。そうすれば、魔力反応を確認することによって、どこに集められているのかわかるだろう?」

 なにかわかったら、君にも知らせるよ。

 そう言って去っていったフェルゼンの背中を見送って、ラズリは店に戻った。それからしばらくはフェルゼンの顔を見ない日が続き、石がどうのといったことなんてすっかり忘れていたころ、山のほうから地鳴りのような音が響いてくるようになったのだ。




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