11 集いし者たち


 山への立ち入りを禁じます。

 領主の名前で通達があり、町はほんのすこし騒がしくなった。あの地鳴りはいったいなんなのか。お年寄り連中によれば、過去にも入山禁止になったことがあるらしく、そのときは都からきたひとたちが調査に入ったとか。今回もそうなるのでは? と、ホルッドじいさんはラズリに語った。

 ようするに、そこまで心配するようなことではないから、普通に暮らしましょうという、そういうことらしい。

 まあたしかに、用事もないのに山に入ったりはしない。山菜が豊富な季節でもないし、狩人でもないかぎり野生動物を狩ったりもしない。ラズリを含めた一般人は、山に立ち入れないからといって生活に困ったりはしないのだ。

 そう思っていたのだが、事態はそう甘いものではなかったらしい。

 いつものようにのんびりと店のカウンター内に座っていると、入口の扉が開かれる。そこにいたのは、ひさしぶりに顔を見る父親、アサド・ノーゼライトだった。

「おとうさん? なんで?」

「用事があってな」

「それってお仕事関係?」

「そうだ」

「……じゃあ、あんまり聞かないほうがいいんだよね。機密だろうし」

「ラズリ」

 固く尖った声。重々しい父の言葉は、いくつになっても苦手だ。咎められているような気がしてくる。縮こまるラズリの耳に、声が刺さる。

「なにか、変わったことは起きていないか」

「それって、山のほうから地鳴りがしたやつ? おとうさんの仕事って、それなの?」

「そうだな。それもあって来たんだが、その……」

 父にしてはめずらしく、言いよどんだような物言いを不審に思い、ラズリは伏せていた顔をあげる。

 ブラウンの髪と瞳。自分とよく似た容姿の父は、軍人らしく上背があり、ガタイもいい。常に皺の寄った眉根はいつだって不機嫌そうで、怒られているわけではないけれど、居心地は悪い。そんなふうに感じてしまう自分にも、辟易してしまう。

「どうしたんだい、可愛いひと。困りごとならば私にも手伝わせてくれ」

 カウンター裏の扉が開き、割って入った声にラズリは冷汗が流れた。

 まずい。これはかなりまずい。

 だって男だ。

 十六歳の、ひとり暮らしの娘の家に、男がいるのだ。

 店の奥の扉は家に続いているわけで、そこから出てきたということは、店に訪れた客ではないことが明白。

 どう言い訳をすればいいのか焦ったとき、アサドの固い声が驚きに満ちた声色で店内に響いた。

「殿下! なぜあなたがここに」

「これはこれは隊長殿。先日ぶりですね」

「クロサイトにいらっしゃるとは聞いておりましたが、しかし、ここは――」

「ノーゼライト魔具修理店。誓って言うが、ここが隊長殿の生家であるとは知らなかった。私は、グリシナ師を訪ねてきただけだ。もっといえば、あなたがエーデルシュタイン軍で隊長を務めていらっしゃることも知らなかった。すべて偶然です」

「偶然、と、おっしゃいますか」

「そうです。ならばこそ運命であると、私は考えている」

「――母の言いそうなことですね」

 しんと落ちた沈黙を破り、ラズリは声をあげた。

「待って。ちょっと待って! なに、え、なに、なんなの、どういうことなの」

「私とキミの出会いは運命の導きだということだよ、可愛いひと」

「ちがう、そこじゃなくてもっと前ー!」

「……殿下、あまり娘をからかわないでいただきたいのですが」

「それ!」

 でんかって。殿下ってなんだーー。

 慌てふためく娘に目をやり、アサドは大きく肩を落とした。

「ラズリ。こちらは、ハージャール・ウング・アズラク殿下。ウングの第五王子であらせられる」

「おうじ……」

 ラズリは絶句した。

 ぺらぺらよくしゃべる、脳みそお花畑じみたハジャルが、ウングの王子さま?

 そんなバカなことがあってたまるか。だって王子ということは、国の重鎮だ。そんな立場にあるひとが、ひなびた田舎にモップを持ってやって来て、日がな一日呑気に過ごしているというのか。ふつう、もっと忙しくしているものでは? いや、お偉いさんに知り合いなんていないからわからないけども。

 ぐるぐると考えているうちに、ひとつ気づく。

 祖母は、ハジャルの祖父の妹だったはず。

 ということは、祖母はウングのお姫さまだったということに?

 たしかに、おじいちゃんはいつも「儂の可愛いプリンセス」とか言ってたけども。

 呆然と父親を見ると、いつもの渋面で頷いた。

「おばあちゃんは、ウングの王家に連なる育ちだ。もっとも、位は相当に低く、平民と変わらない生活をしていたらしいがな」

「祖父の代は子どもが多くてね。グリシナ殿は、第七王女であったらしいよ。学舎でも優秀な成績を修めた才女だったが、以前にも言ったとおり、当時の我が国は女性の進出を歓迎はしなかった。そういった国際的な流れを受け入れようとはせず、どれほど才媛だと謳われようと、王家の人間からそういった女性を出すことを良しとはしなかった。彼女は、時代に殺されてしまったのだよ」

「殿下。母は、決して不幸ではありませんでした。出自について積極的に話すことはしませんでしたが、それらはウングの迷惑とならないよう考えてのことでしょう。それは、彼の国を思っていたからこそだと私は考えています。恐れながら申し上げますが、これらはあなたさまが負う責ではない」

「そ、そうだよ。前に言ったでしょ。おばあちゃんは暗い過去を抱えてるようには見えなかったって。ハジャルが気に病んでたら、おばあちゃんなら笑い飛ばすよ」

 ノーゼライト親子の弁に、ハジャルはゆるい笑みを浮かべる。いつもの彼にしては随分と弱々しいもので、ラズリは歯がゆく思った。

 お願いだから、そんなふうに笑わないでほしい。もっと自信満々で、無駄に優雅に笑ってみせてこそ、ラズリが知ってるハジャル・アズラクという男だ。

「ところで隊長殿、貴方がこちらにいらしたということは、なにか問題が起きたということかな」

「ええ」

「ならば、問題の解決に取り組まなければなるまい。心配は無用。彼女はすでに知っている」

「そうなのか、ラズリ」

「え、なにを?」

 突然、知っていると言われても、なにがなんだかわからない。頭をひねるラズリに、父は言った。

「三賢人が目を覚まして、ここに集っていることだ」



     ◇



「ふむ。なるほど」

「由々しき事態だな」

「対策を講じなければ、ですな」

 もたらされた「クロサイトに迫る危機」とやらに対して重々しく発言したのは、いつもの三本。ホーキンス、モルガノ、ディクトリウムだ。

 動きしゃべるホウキとモップとデッキブラシを見ながらも表情を変えない父親を、ラズリはひそかに尊敬したものである。

 父曰く、彼らは三賢人なのだという。

 そんなバカな。

 ラズリはテーブルをひっくり返して暴れたくなった。しかし、ハジャルもそれを肯定したものだから、たまらない。

 都での調べものとやらは、このことだったらしい。

 智の賢人・ヴォーンズ、豪の賢人・オルグー、書の賢人・ディート。

 かの三賢人が、この掃除道具三本だと言われても、にわかには信じがたい。むしろ信じるほうがどうかしている。

「そもそも、名前が違うし。ホーキンスだって、賢人だなんて言ってなかったじゃない」

「吾輩はホーキンスだ。ヴォーンズなどという名なんぞ知らん」

「それについては、発音や表記の問題だろうね。国によってそれらは異なるし、各国の文字で表しやすいかたちに変化した可能性はおおいにあるだろう。古い書物であれば、文字のかすれなどもあり、正確な名を残すほうが難しいはずだ」

「ディクトリウムよ、貴様の悪筆が元凶ではないのか?」

「なんとホーキンス様。我はあなたさまの偉大なる考えを後世に残さんと、書物を残し続けたというに、そのようなことをおっしゃるとは」

「だが、吾輩を賢人と称え、のちの世に残しておることは、よくやったと言ってやろう」

「ありがとうございます、ホーキンス様」

 機嫌がよさそうに藁束がわさわさ揺れるようすを、アサドは無表情で見つめている。さすが軍人。表情を崩さないのが得意である。

 この場で議題となっている「クロサイトに迫る危機」は、例の地鳴りだ。

 かつて同じようなことがあり、くだんの山を封印した。しかしこれらは一定のサイクルをもって繰り返されており、近い将来こうなることは予見されていたのだという。前回、問題解決に当たったのはグリシナ・ノーゼライト。だが、当時の彼女は完全ではなかった。子を宿していたグリシナは、山の封印を完璧におこなうことができなかったのだ。

 代々、魔女たちは百年は安泰であろう封印を施してきたという。

 しかしグリシナにはそれが適わなかった。その半分ほどの年月しか持たないであろうことがわかっていて、グリシナはいずれかの時に備えることにした。歳月が過ぎ、自身の命が次の封印まで持たないと悟った彼女は、次代の魔女――それを担うであろう孫のために、助けとなるものを残そうと考えた。

 それが、賢人の魂だ。

「……おばあちゃん、ぶっとびすぎでしょ」

「母さんは、まあ、ああいうひとだからな。まるで預言者のようなところがあった」

「あー、たしかに」

 なにかを言い当てたり、予知のようなことを言ってみたり。冗談半分に受け取っていたし、単純に勘が鋭いだけだと思っていたそれらは、魔女たる所以だったのだろうか。

(だからって、わたしが同じようなことができるとは思えないけど)

 術の制御に失敗して、いつだって手は傷だらけだ。魔力の相性がいいのは、祖母ぐらい。そんなふうだから、学校に通っているあいだも誰かとどうこうなったことがない。同級生の女子たちは、それなりに男女交際をしていたようだったが、ラズリは男子と手を繋ぐことすら苦労した。痛かったり気分が悪くなったりするのだから、ご遠慮申し上げたい。

 教師が言うには、それはラズリだけの問題で、ラズリの魔力は相手にとってさほど抵抗があるものではないのだとか。

 食べ物でいうところの「好き嫌い」のようなもので、ラズリ自身が考えを変えなければ、身体は誰かの魔力を受け入れようとしないのかもしれない。

 他人を信じ、受け入れる。

 そうでなければ、ラズリの魔力は一方通行。

 受け止めてくれともがいて叫んでいる、癇癪をあげる幼い子ども同然だ。

 俯いて、己の手のひらを見つめるラズリに、アサドが声をかける。

「ラズリ、おまえひとりに押しつけるつもりはない。だから私がここにいる」

「……おばあちゃんみたいなこと、わたしができるとはぜんぜん思えないんだけど」

「具体的な方策については、過去の文献も洗っている。領主館には蓄積した知識があるのだから」

「領主さま?」

 ウングの王子に次いで、どえらいひとが出てきてしまった。

 クロサイトの危機なのだから、領主が出てきて当然だけど、どんなひとだろう。

 胃が重たくなってきたラズリの耳に、ふたたび来訪者のベルが聞こえた。ラズリが立ち上がるよりまえにハジャルが応対に立ち、店の扉を開けて入ってきたのは、父と同年代の男性。これもまたひさしぶりに見る顔だ。

 父の友人で、都にいた幼いころ、ラズリに魔法の才があることを見抜いて、基礎的なことを指南してくれた魔術師でもある。

「ギーおじさん、ひさしぶり」

「ギール、遅い」

「そう言うなよアサド。これでも仕事を片付けて急いで来たんだから。ラズリちゃん、我がクロサイトを守るべく、ちからを貸してくれるよう、お願い申し上げる」

「えーっと、わたしだって領民として、ここが壊滅しちゃったら困る、けど……」

 ギールはたしか、都の魔術研究所に勤めている。そんなひとがわざわざここに来たということは、彼はクロサイトの出身で、同郷人ということで、父と親交が生まれたのかもしれない。

 なんとなくそう思ったラズリに、またも爆弾発言が飛びこんだ。

「クロサイト領主として、魔術研究所の所長として。全力でラズリちゃんをサポートするよ」




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