03 異国からの客人
来客用の応接机で待つ青年の前にお茶の入ったカップを置くと、対面に座る。ラズリの横には、三脚に腰かけるホーキンス。青年の隣には同じくモップの姿がある。三つセットで購入したスタンドは早速役に立ち、モップもホーキンスと同じ体勢だ。
青年は細い指で磁器のカップを取り上げると、鼻先でまず香りを確認した。ごくごくありふれた紅茶だが、コーヒーのほうがよかっただろうかと内心で焦ったところで、ふっと口元をほころばせてカップを傾ける。
「うん、とても美味しいよ」
「はあ……」
ティーバッグですけどね、という言葉は喉の奥に押しこんで、もうひとつのカップに注目する。モップの前に置いたカップには、同じ色の紅茶が揺れている。ほわりと立ち上がる湯気が、ふと色を変えた。紅茶に似た色へ転じた湯気――霧状になった紅茶はモップの先へ向かい、その白い布を紅茶色に濡らしたかと思えば、瞬く間に元の白へ戻った。
どういう変化だろう。ホーキンスでは見られなかった色の変化だが、藁束ではそもそも色合いの移ろいなど見て取れるものではないか。
思わず凝視していたラズリの視線を受け、モップが動いた。
「儂の顔に、なにか付いているのか」
「いえ、べつに!」
そもそも顔がどこなのかわからない。その布地のところでいいんですかね。
ところで、これはどういう状況なのだろう。
ラズリはこっそりと、前に座っている男に目をやった。
美青年である。
美形は髪の毛を剃っても頭の形が美しいと聞いたことがあるが、ターバンで髪を隠した彼もまた、それに合致しているように思える。あの下がハゲだったとしても、彼はとても美しい。
ほっそりとシャープな線を引いている顔だが、冷淡な印象は感じない。薄い唇は黙っていてもやや上向きに弧を描き、瞳は穏やかだ。透き通った紫水晶のような瞳に見つめられると、なんだか恥ずかしくなってくる。化粧というほどの化粧も施していない平凡顔の自分は、こんな美形とはいままで縁がなかったのだから。
(ってか、結局誰なのよ、このひと……)
祖母を訪ねてきた、この男。
ラズリの知るかぎり、祖母は外国に長期旅行をしたことはないはずで、ずっとこの町で暮らしていた。ラズリが幼いころに亡くなった祖父もこの町出身で、ふたりで店をやっていたと聞いている。
知らず、眉を寄せていたラズリの抱えた疑問を察したのか、男はカップをテーブルに置くと背を正す。
「名を名乗ろう。私はハジャル・アズラク、二十歳だ。ウングからグリシナ殿を訪ねてきたわけだが、その理由が彼だよ」
「儂はモルガノ・モルガン。ホーキンス殿の知己だ」
モップが揺れた。ふさふさの布がモップの先で生き物のように動く。
ウング国は、エーデルシュタインより東にある、隣の隣の隣の――まあわりと離れたところにある国だ。そんな遠国の人物がわざわざ訪ねてきたことには驚いたが、王都にウング使節団が来ることになっていると新聞で読んだので、彼もその関係者なのだろうと推測する。
「モルガに会ったのは、半月ほど前だっただろうか。蔵の整理をしようと立ち入って、床の汚れを落とそうと備え付けてあったモップを手に取ったところ、彼の声が聞こえたのだよ。天啓だ。神が私にもたらした奇跡なのだと感じたね」
「……はあ」
やおら熱を帯びたように語りはじめた彼に、ラズリは思った。
あ、このひともちょっとアレなタイプだ。
「このモルガノ・モルガン氏と語り合った私は、彼の望みを叶えるべくエーデルシュタインへとやってきた。使節団を送ることが決定していたこともまた運命だと思ったね。ああ、案ずることはない。今回の使節団における私の役目はたいしてないのだ。いなくとも問題はないさ。さて、エーデルシュタインへ足を踏み入れた私はグリシナ殿を探したが、どうやら王都の研究所にはいらっしゃらない。そのような名は聞いたことがないとまで彼らは言い、私は驚愕した。ああ、なんということだ、嘆かわしい」
憂いを帯びた表情で目を伏せ、ふうと溜め息を落とす。すべてにおいて芝居がかった口調だが、それが不思議とさまになっている。
もしかしたら、役者なのだろうか。
美形だしなあ――と思うラズリの前で、青年の口は止まらない。
「地図を手に彼女の痕跡を探し、クロサイト領を見出した。こちらへ足を踏み入れてからは、モルガの導きによってここへ
よく口がまわるなあと呆然と見つめていたラズリの手を取り、そっと指に口付ける。ぞわりとなにかが背中を這い上がり、ラズリは咄嗟に手を引いた。呆気にとられたようすの青年はポカンとした表情でこちらを見たかと思うと、柔らかく相好を崩す。
「これは失礼。可愛いひと。許可なく触れるのは失礼であったね。とても美しい手をしていたものだから、つい」
「……あの、見え透いたお世辞は結構ですから」
取り戻した手を握りしめ、膝の上で握る。なにが「美しい手」だか。
魔術の書き換えには、それなりにリスクがあり、術の上書きをするためには、ちからが必要だ。元の術者の癖が強いと反動が起きる。それは時として文字通りに手を焼き、切り刻む。おかげでラズリの手は傷だらけなのだ。
「祖母のお知り合いなんですか?」
「ああ、世話になった。彼女は我がウングでも名の知れた偉大な魔法使いだ」
「名の知れ、た? おばあちゃんが?」
「おや、もしかして知らなかったかい? グリシナ殿はウンガの出だよ」
「……知りませんでした」
「それは――そうかもしれないね。すまない、彼女が来歴を隠していたのだとしたら、それは我々の落ち度だろう。大きなちからを厭う輩は存在し、それが女性であったことを快く思わなかった男たちが、かつては多かった。いや、いまもきっと残っている。とても前時代的な考えだ」
辛そうな顔で俯いた青年に、ラズリは口をつぐむ。
グリシナの過去を、ラズリは知らない。
ラズリは、六歳になるまで祖父母に会ったことはなかったのだ。両親が離婚して、父の故郷だというクロサイトへやって来て、そこで祖父母と初めて会った。明るい性格の祖母と、同じく陽気な祖父。とても明るいふたりで、言葉少なく厳格な性格の父親の両親がこれなのかと驚いたものだった。
父は軍人で、今も都で暮らしている。魔力量が少なく、母もまた似たような状態であったため、そこから生まれたラズリに対して、母は懐疑的だった。ありていにいえば、壊れたのだ。
母は他国の人間で、その国では魔術や魔法は活発ではなかったことも、それに拍車をかけた。
自分が産んだ子どもが、魔女であるわけがない。
心を病んだ彼女を思って父は離婚を選び、母は自分の国へ帰った、らしい。
父親との関係が悪いわけではないけれど、彼には彼の仕事があるし、ラズリもまた祖母から継いだ仕事がある。ラズリの選択を父は咎めなかったし、時折手紙もくる。武人らしい厳格さはちょっと苦手で、離れて暮らしているほうがきっといいのだと思っている。
グリシナには世話になったと語った青年は、ラズリよりは年上。彼が祖母と知り合ったころのことを知らなくても当然かもしれない。
「私が知るかぎり、祖母はとても明るくて元気なひとでした。暗い過去があったようには全然感じませんでしたし、失敗は成功に変える、というのが口癖でした。もし本当に嫌なことがあったのだとしたら、とっくにやり返してますよ」
「……うん、そうだね。そういう方だ」
寂しそうに笑ったあとで、「ありがとう」と微笑む。むずがゆい空気を打破するため、ラズリはモップに質問をした。
「モップ――モルガノさんも、祖母をご存知なんですか?」
「ほんのわずかな邂逅であった。彼女は儂に言葉を残した。必要なときは訪ねよ、と。そこには同輩がおり、同じく蘇っているであろうと。それはホーキンス殿のことだと儂は確信した」
「ふむ。つまり貴殿もまた運命に導かれ、吾輩の元へ集ったということか。やはりな。下僕、面倒を見てやれ」
「え?」
「おお、ホーキンス。我が友よ」
「いやあ、よかったねモルガ」
ラズリの返事など待たず、話は勝手に決まっていく。
いや、ちょっと待ってよ――と口の端を引きつらせるラズリに微笑んで、青年は言った。
「心配することはないよ。私は宿を取っているから、ご厄介になるような真似はしない。キミが望むならやぶさかではないが、物事には順序というものがある」
「ふむ、わきまえておるな貴様。ハジャルと申したか」
「はっ。ホーキンス・シュタオプザオガ殿」
「閣下と呼べ、ハジャル」
「仰せのままに、閣下」
「下僕、この者たちの世話を頼むぞ」
「みんな出ていけ、ここはわたしの家!」
「手厳しいな、可愛いひと。しかし、その愛らしい唇から出る言葉はとても甘美だね」
モップとホウキが互いの柄をカンカンと叩き合わせながら旧交を深めるかたわら、美青年は寝ぼけたことを言う。変人ばかりだ。
おばあちゃん、この変態になにしたの!?
勝手に紅茶のおかわりを入れはじめた青年・ハジャルを睨みながら、ラズリは肩を落とした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます