04 祖母の秘密

「おはよう、可愛いひと」

「あー、はい、おはようございます」

 勝手口をガチャリと開けてのたまったハジャルに、ラズリは手を伸ばす。うやうやしく差し出された焼きたてパンを受け取ると、朝食の準備に戻った。

 保冷庫に入れてあった卵を三つ取り出すとボウルに割り入れ、塩コショウで下味をつけたのちにフライパンに流し込む。熱を入れた香味油はますますいい匂いを放ち、パチパチとたまごが気泡を生み出した。

 ヘラでぐるぐるとゆっくりまわしながら半熟のスクランブルエッグに仕上げると、テーブルに並べた皿へすこしずつ、等分になるように入れていく。水を切った葉野菜の脇に黄色を添えると、空いたフライパンにソーセージを落とす。あらかじめ入れておいた切り目は、熱を加えるとぱっくりと割れ、皮がいい具合に焦げ目をつけていき、食欲をそそる匂いが台所を支配した。

「ああ、とても素晴らしい。私もご相伴にあずかってもいいかい?」

「どうぞ」

「嬉しいよ、可愛いひと」

 彼とモップが訪れて二週間、このやり取りは続いている。

 ハジャルは毎朝のように店を訪れるのだ。宿を取っているというのは本当らしく、この辺りでは一番格式の高い宿に部屋を借りているらしい。着ている服は同じように見えるが、目をこらしてよく見ると、あしらわれている模様が異なっていることから、同じ服ではないのだとわかった。

 ウングは絹の産地だ。染色にもすぐれ、華美な糸を使って繊細な刺繍をした織物は、エーデルシュタインでも富裕層に人気である。織物の中でもとくに絨毯が有名で、厚手でしっかりしているそれを邸内に用いることは、上流階級のステータスになっているとか。無論、ラズリには縁がない品だ。

 ハジャルはといえば、白を基調にした服を着用しており、施された刺繍糸もまた白であるため、あまり目立たない。

 白い服なんて汚れが目立って仕方がないだろうとラズリは思うが、異国には異国の習わしがあるだろう。頭を覆うターバンもまた、宗教的な意味があるのかもしれない。

 ハジャルがこの店へ向かう途中にはホルッドじいさんのパン屋があり、彼はいつのまにかそこでパンを購入して、ラズリの自宅で食べるようになった。モップこと、モルガノ・モルガンがホーキンスとともに滞在していることもあり、ようすを見にきているのだろう。モップの所有者はハジャルなのだから。

 机の四辺それぞれに着席し、食前の祈りを捧げる。

 ラズリがおこなっている祈りは祖母から教わったもので、学校の友達は一様に「なにそれ、知らない」と言っていたが、これはどうやらウングのものだったらしい。両手を合わせて数秒、食物の神に挨拶をするそれを、ハジャルは当たり前のようにおこない、ラズリはドキリとしたものだ。

 いままでは異質なものを見る目を向けられていたのに、さも当然のように共有してくれる存在はひさしぶりで、そのことをすこし嬉しく感じてしまう。相手は変人なのに。


「今日は、どんな修理をするんだい?」

「店頭に飾る照明器具。光が灯らなくなったらしくて」

「以前から思っていたが、いちいち手で灯すのは面倒だろう。何故、そんな手間をかける」

 ホーキンスがスクランブルエッグを摂取しながら重々しい溜息をつく。ハジャルが右隣のホウキに向かい、「閣下、どういう意味ですか?」と問うと、摂取を停止したホーキンスが藁束をわさわさ揺らしながら答えた。

「周囲の光度を感知し、必要量に足りなければ光を発するようにしておけば、わざわざ人が手をかけずともよいだろうに。五百年後の人間の思考は退化しておると言わざるを得ない。下僕、茶を持て」

「はいはい」

 ホーキンスのカップにお茶を注いでいると、ハジャルは感心したように頷いている。

 驚いたことに、彼はこういった分野に長けていた。ウングは魔導の道を進んだ国で、魔術国家のエーデルシュタインとは違った体系の国家だ。同じ魔法でも具現させる方法が異なっており、ハジャルは魔術というものに並々ならぬ興味があるらしかった。

 魔法を学ぶ者、拒むべからず。

 研究所は強きを求め、さらなる繁栄を求めているので、学ぶものに優しい機関だ。報道によれば、ウングとの国交も、違った体系の魔法同士を組み合わせてさらなる高みを目指さんとする考えらしく、都の研究所ではウングの魔導士が何名も滞在しているとか。ハジャルはといえば、「私はモルガのために使節団に潜りこんだからね、国を背負った魔導士ではないんだよ」ということで、なぜかここでのんびりしている。

 まあ、いいけどね。

 ラズリは全員の皿を回収すると、洗剤水を張った盥に皿を沈め、底面に刻まれた風の魔法を発動させた。微弱な振動は皿の表面にある汚れを剥がれ落としていき、汚れをすべて落としたあとは蛇口からの流水で洗う。籠に食器を並べたら、温風を当てて乾燥。

 いやー、便利便利。

 ホーキンスに言われるがままに書いた魔法陣は、とても便利な家事魔法だ。水仕事に悩むひとびとはきっと大助かりになるだろう術式だが、それらを流通させる資格をラズリは所持していないため、これはこっそり秘密の魔法だった。唯一、手荒れに悩んでいる食堂のおかみさんに提供した程度である。

 カランコロンとドアベルの音が響いた。これは店の入口に反応があった証拠。自宅にいても、来客が把握できるようにしてある魔術だ。

 エプロンを外しているあいだにハジャルが向かい、ラズリが店のカウンター裏から顔を出したころには、すでに接客がはじまっていた。顔がよければ口もよくまわるハジャルは、やり手の営業マンだった。

「マダム、こちらのお品はいかがですか? 通せば通すほど艶が増すくしは、諸外国の富裕層で人気を博し、今こうして安価で手に入れやすいお値段となって、ここへやってきました。あなたの美しい髪を際立たせるために」

「以前、王都へ行ったときに見かけたことがあるやつじゃない。こんな地方でも売っているのねえ」

「うちの店は少々伝手がありましてね、流行の品を揃えるなど造作もないこと。術の効果が薄れた場合はすぐにお持ちください」

 ハジャルが売りつけているのは、都にいる父親が送ってきた品物だ。修理店だけでは生活が成り立たないだろうということで、魔術効果のついた日用品や装身具などを、折に触れて送ってくれる。

 姿を見せたラズリに、客人――食堂のおかみさんは、照れたような笑みを浮かべて手招きをした。

「おはよう、ラズリちゃん。ちょっと御礼に寄ったんだけど、これ綺麗ねえ」

「あー、あの、このひとのことは気にしないでください。あんたも押し売りみたいなことしないでよ」

「まあいいじゃないの。お兄さんも綺麗なひとだし、あたしたちも安心してるのよ」

「安心って、なんの話ですか?」

「勿論、ラズリちゃんの今後の話よ」

 曰く、グリシナが亡くなってひとりで店を切り盛りしているラズリが心配だった。

 都会で暮らす父親は滅多に帰ってこない。あの子は悪い子じゃないんだけど、昔からちょっと堅苦しい。

 そこへやってきた男。どうやらグリシナの血縁らしい。

 あら、ラズリちゃん、素敵なお兄さんができてよかったわね。

 めでたしめでたし。


 いやいや待っておばちゃん。

 めでたくないし、あのひとは他人だし、っていうか血縁って初耳なんですけど!?


「おや、言っていなかったかい?」

「グリシナさんはアウインが連れて帰ってきた、ウングのお嬢さんじゃなかったかしら?」

「聞いてないし、おじいちゃんなにやってんの!?」

 いままで知らなかった祖父母のロマンスを聞かされて、ラズリは頭を抱えてうずくまった。

 劇的だ。劇的すぎる。今よりさらに国交が薄かったであろう異国のお嬢さんを攫って帰ってくるとか、祖父はアグレッシブすぎるだろう。たしかにラブラブだったけど。

 食器洗い短縮魔術具の御礼をかねてやってきて(使い心地は抜群らしい)、食堂の割引チケットをたんまり受け取ったラズリは、おかみさんが帰ったあとにあらためてハジャルを問いつめた。洗いざらい吐いてもらおうじゃないか。


「彼女に会ったのは私が八歳の時分。二年ほど師事した。私がエーデルシュタインの魔術に理解があるのは、そのせいなのだよ。一度は国を離れた――おそらくは不当な扱いに苦しんで祖国を離れたにもかかわらず、ふたたびウングを訪れたのには理由があったのだろうが、すまない、よくわからない。異国の魔女に私は焦がれた。彼女はとても美しかった。ああ、そんな可哀想なひとを見る目でみないでくれたまえ。そんな意味ではない。純粋な憧れだ」

 あいかわらずぺらぺらとよくまわる口で語った話を要約すると、ラズリの祖母はハジャルの祖父の、腹違いの妹らしい。つまり、この男はラズリのはとこ・・・ということか。

 ウングは階級によっては一夫多妻が認められており、ハジャル父の一族はそれに属している。さもありなん、彼はどことなくお金持ちの匂いがする。

 母親のもとで育ったハジャルは、父親と暮らすことはなかったけれど、邪険にされていたわけでは決してない。彼には魔法使いとしての才があったし、その能力は貴重なものでもある。ウングの魔導研究所で学んでいるうちに、どうやら父の親族に優れた魔女がいたらしいことがわかった。

 名はグリシナ。嫉妬され、潰され、国を去った彼女が残した足跡は大きく、ハジャルはその美しさに憧憬の念を抱いた。母親はその女性と過去に親交があったらしく、何年も何年も乞い願ったあげくにようやく顔を出してくれたことを、とても喜んでいた。

 ――おまえさん、いい魔素を纏っているね。将来有望だよ、少年。

 そう言ってグリシナは、魔術を説いた。

 言の葉を用いて練り上げる魔導とは異なる、記述式の魔法。

 魔導は空間に干渉するが、魔術は物体に干渉する。

 似て異なる魔法なのだと、ハジャルは身をもって知った。


「二年ほどはいらっしゃったのだけどね、大事な用事ができるから、もうこちらには来られないだろうと、そう言った。いつかエーデルシュタインを訪れる際には、孫のことをよろしく頼むと言われたよ」

「孫って、わたし?」

「自分に似ているから、きっと大きなちからを持つ魔女になるだろう、と。大きなちからは他者を遠ざけるものだからね、グリシナは孫のことを案じていた」

 術の制御。

 祖母が何度も何度も念を押したのが、それだった。

「ウングとエーデルシュタイン。魔法の体系が異なる国家が手を結ぶ機会など訪れようもないと思っていたのだが、わからないものだね。時を同じくしてモルガに出会い、私は使節団に加わることにした。グリシナが会いにこいと言っているのだと思ったからだ」

「おばあちゃんに、会いたかったですよね……」

「たしかにそれは残念だけれどね、何者も死から逃れることはできない。世のことわりだ。けれど私はキミに会った。グリシナの導きは、それだったのだと思っている」

 ハジャルがモップに出会ったという時期は、ラズリがホウキを手にしたころと一致する。

 時を同じくして目覚めた二本は、祖母が施した最後の魔法なのだろうか。

(意味わかんないよ、おばあちゃん)




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