05 次なる出会い
ラズリが暮らすクロサイト領は、エーデルシュタインの南に位置する 港湾都市である。
転移陣の使用は、王侯貴族や特権階級に属する者にのみ権限が与えられており、一般市民の移動は陸路と海路が主流。船旅は富裕層の娯楽でもあり、沿岸に位置する町はどこの国でも賑わいをみせるものだ。
クロサイトはどうかといえば、こちらは秀でた観光名所もないことからほぼ燃料補給地と化しており、停泊するのは二日程度。旅行客の姿を領民が見ることは少ない。一方で他国への貿易便の数は多く、諸外国の船員の姿は町のそこかしこで見かける。
ゆえに、その男も取り立てて目を引く存在ではないはずだった。
頭に巻いたバンダナとがっしりとした体躯はいかにも『海の男』といったふうで、陽に焼けたわけではなさそうな褐色の肌は、異国の船員そのものだ。港にいればなんの違和感もないし、町中を歩いていたとしても、寄港中の休憩なのだろうと判断されるべき彼が浮いているのは、手に持っているものにあった。
もっと言えば、手に持ったそれに対して何事かを語りかけ、応酬をしているかのようなさまが、異様なのである。
思わず目で追ってしまった沿道の店員は、その男に睨まれてあわてて目を逸らした。
なんだあのひと。
コソコソとした囁き声を大きな背中に受けながら、男は目的の場所に向かってひたすら歩いていた。
◇
ラズリはカウンターに位置し、たいして客も来ない店内で魔具の調整をおこなっていた。
造りつけの棚には、修理が終わって引き取りを待つ道具が並んでいるが、ラズリが手にしているのは個人的な道具だ。ホーキンスの言に基づいて構成した術を、日用品に施している。
それらは役に立ったり立たなかったりと、いろいろだ。
速攻で「いらない」と思ったのは、補正鏡だろうか。洋品店用の大きな鏡に映る姿を、理想的な形に補正して見せてくれるという、まさにご婦人方の自己満足の極みである。現実の体形は変わらないのに、鏡の中だけをごまかして、いったいなんの意味があるというのか。
おまけにしゃべるのだ。これがまたうざいこと、このうえない。
いやあ、本当にお綺麗ですね。貴女のその美しい顔を映すことができることは、望外の喜びでございます。麗しい姫君。
平凡極まりない栗色の髪と瞳のラズリを相手にして、この始末だ。あからさまなお世辞は嬉しくないどころか、それを通り越して腹が立ってくる。
自宅の洗面台に試験的に設置した鏡のほうは、少々性格が異なっており、顔を映すと声をかけてくる。
起き抜けに顔を洗いに立つと、「朝っぱらから辛気臭いツラしてやがんな。そんなことじゃいい女になれねーぜ、お嬢ちゃん」と言い、店に出るために化粧をしようと思うと、「その色は似あってねえな。やめときな。あと、塗りすぎ。そんな厚化粧したところで誰に見せるってんだ、はん」と鼻で笑われる。
憂鬱になってきた。そろそろ叩き割りたい。
自動でインクを継ぎ足してくれるペンは便利だと思ったけれど、たまに色が変わるのが難点だ。どうやら彼の気分らしい。おだてないとまともな色を出してくれないため、面倒くさくて最近はペン立ての中が定位置と化している。
そんなふうに、実用化には程遠い道具たちに辟易し、ラズリは魔法道具を作り出しているひとびとに尊敬の念を抱くようになっていた。
魔具とは、誰にでも扱えて、便利すぎない便利さに留めておくことが大事なのだろう。
「ふん、貴様の魔力調整に問題があるのだ。愚か者め」
「はいはい、すみませんねー」
ガタガタと揺れるホーキンスのかたわらでは、モルガノがハジャルとカードゲームを楽しんでいる。見えない手によって裏返るカードは怪奇現象そのものだが、ハジャルは気にならないらしい。なんでも彼らは、今日の昼食について賭けをしているのだとか。モップの勝利宣言に本気で悔しがっているハジャルは、人間としてかなり間違っているような気がするが、そんな光景もすでに日常化し、ラズリ自身も麻痺している。
魔具修理店「ノーゼライト」は、今日も平和だった。
店の扉を叩く音がしたのは、ハジャルが三敗して食後のデザート権利を獲得したモルガノが、白い穂先をチョコレート色に染めていたときだった。
食卓を囲んでいるなか、来客を告げるベルが響いてラズリは立ち上がる。
引き取りの約束はなかったし、修理の予約も受けた覚えはない。この辺りの不文律として「食事時の訪問は控える」というものがあり、よほどの理由がないかぎり、食事処以外では接客する店も少ないのだ。
表からはなにやら声が聞こえてきて、それが男性のものであることを察すると、ハジャルはラズリの後を追う。店に繋がる廊下で彼女を追い越すと、先んじて店内へ足を踏み入れて扉を開く。
そこに居たのは、立派な体躯をしたひとりの男だった。
客人は、応対に出たハジャルを目にすると、大きく瞳を見開いて声をあげる。
「なぜここにで――」
「うん、黙ろうか」
普段の優雅な動きからは考えられない勢いで男の口を手で塞いだハジャルは、反面、艶やかな笑みを浮かべている。
「ねえ、ハジャル。そのひと、死にそうな顔してるけど」
「おや、失敬」
じわりと手をゆるめながらも、ラズリには見えない角度で男を凝視している。その瞳にごくりと息を呑んだ客人は小さく頷きを返し、そこでようやっと解放された。
見えない攻防に気づいていないラズリは、カウンターから出てきて、客人の前に立つ。
大きな男だ。ハジャルと同じぐらいに背が高いけれど、彼よりも厚みがあるせいか圧迫感がすごい。港付近でよく見かける船乗りのような出で立ちだが、なぜ地上でまでそれを持っているのだろう。
訝しんだそのとき、客人の筋肉質な腕が、ぐいと突き出すように向かってきた。殴られるのかと硬直したラズリの身体を、ハジャルが引き寄せ背に庇う。
見えないなにかに操られたように振り回した手に握られた『デッキブラシ』が、大きな声で叫んだ。
「ホーキンス様、お懐かしゅうございます! ディクトリウム・ブラームス、遅ればせながら推参いたしましてございます!」
あ、やっぱりしゃべるんだ。
ハジャルの背中越しに声を聞いたラズリは、あきらめたように独りごちた。
◇
ゴルディアという男は、その見た目どおりハジャルと同郷人で、物資搬入のためにエーデルシュタインに向かっていたという。
使節団は転移陣を利用しているが、一般人である彼らはそうはいかない。遅れること一ヶ月、エーデルシュタインへ辿り着いた一行だったが、ゴルディアが今こうしている理由は、言うまでもなくデッキブラシである。
「俺は倉庫番をしていたんだ。王家が用意した品々だから、海の上とはいえ見張りは必要だしな」
「海賊でも出るんですか?」
「最近はあまり聞かないな。昔はわりと多かったらしいけど。見張っている理由は、牽制だよ」
客船と違い、輸送船は娯楽性に欠ける。運んでいるのが他国へ献上する品物ということで横柄そうな貴人も乗船しており、慣れない船旅に不平を漏らし、船員たちに当たり散らすものだからストレスも溜まっていく。
これだけたくさんあれば、ひとつくらいちょろまかしてもバレないのでは?
休憩に立ち寄った町で即座に売っぱらってしまえば、証拠もなくなるし。
ピリピリとした空気を察した船長によって当番制の見張りが提案され、ひとつでも物がなくなれば連帯責任とすることが通達される。船乗りにとっての制裁は、命がけだ。ロープに縛られて吊るされたり海面へダイブさせられたりと、命がいくつあっても足りやしない。
そんななか、ゴルディアは暇つぶしをかねて倉庫へ続く一本道の廊下を掃除しようと用具室からデッキブラシを取り出したところ、脳内で声が聞こえたのだという。
おぬしのその魔力、覚えがある。魔女グリシナに通じる者ではござらぬか。そうでなかったとしても、我の声が聞こえておるのであれば頼みがある。クロサイトにあるノーゼライト魔具修理店へ連れていってほしいのだ!
「頭がおかしくなったのかと思った」
「でしょうね」
ラズリは頷く。ハジャルは溜息をついて、ゴルディアに向かった。
「まさか、おまえのところにもグリシナ殿の意思が届くとは思わなかったよ」
「半信半疑ではありましたが、このデッキブラシが夜な夜な枕元で呟きつづけるものですから、ノイローゼになりそうで……」
「うわあ……」
ほとんど呪いである。
ホーキンスにモルガノ・モルガン、加えてディクトリウム・ブラームスとかいうデッキブラシまで出現してしまえば、もうそこになんらかの意思を感じずにはいられない。
祖母は――グリシナは、なにがしたいのだろう。
そういえば。
「あの、ゴルディアさんは、おばあちゃんの知り合いなんですか?」
「それなんだが、よくわからない。グリシナの名は、こちらのハー……ジャル、殿から、お聞きしたことはあるが、俺自身はどこまで辿っても平民であり、そのような血が入っているとは思えない」
なにやらビクビクしたようにハジャルを見て言葉をすぼめたゴルディアに、当の本人は頷いて口を挟んだ。
「うん。それなんだけどね、私のせいかもしれないと思うのだよ」
口だけではなく、ラズリとゴルディアのあいだに割って入るように座り、長い指をピンと立ててゴルディアに突きつけた。
「私が渡した護符を身に付けていただろう、ゴルディア」
「はあ、そうですね」
「あれはグリシナ殿がくれたものなのだよ。エーデルシュタインへ渡航するにあたり、おまえに託した。無事に再会できるよう、引き合えるように願いを込めて」
「護符って、どんなものですか?」
ラズリが興味を持って問いかけると、ゴルディアはおもむろに頭に巻いたバンダナを外した。ウング国らしい鮮やかな色合いの一枚布を広げると、そこには不思議な文様が現れる。
破邪の紋。
身を守り、邪を祓う紋章として知られるそれだが、ラズリが見るかぎりすこし違うように思えた。
(アレンジしてる? でも、そんなのは普通の魔術師ができることじゃない)
祖母は魔女だった。
それも「本物の魔女」だったという。
魔導の国であるウング出身で、エーデルシュタインで魔術を学んだ、魔女グリシナ。
半信半疑だったそれが、真実味を帯びてきた。
だからといって、それがラズリになにかをもたらすわけでもないだろう。魔術すら上手く扱えずに手に傷を負ってばかりの自分が、「魔女」になんてなれるわけがない。
御伽噺に憧れた幼いころとは違うのだ。いまはもう、身の程を知っている。
バンダナを見つめて考えているラズリが、亡くなった祖母を想っていると考えたのだろう。ゴルディアがラズリに声をかけた。
「お祖母さんの形見だろう。お返ししよう」
「そんな。べつにいいですよ」
「無論、洗濯をして綺麗にしてから返却する」
「そういう心配をしているわけではなくてですね」
「替えはいくらでもあるから、気にするな」
ペチリと禿頭を叩いて笑ったゴルディアに、(いや頭髪の心配をしているわけじゃないんだけどなあ)と思いながら、ラズリは告げる。
「おばあちゃんが残したものは、この店にたくさんあります。それに、その護符はハジャルに渡したものみたいだし、だとしたらわたしが持っていてもあまり意味はないと思うんです」
祖母がハジャルに託し、ハジャルはゴルディアに託した。
正しく繋がったからこそディクトリウムは目覚め、ゴルディアは辿り着いた。そこにはホーキンスとモルガノがおり、旧知であるらしいハジャルまで待っていたのだから、運命の導きだろう。
どうか持っていてくださいと微笑むと、ゴルディアの顔もゆるんだ。
そのようすを、ひどくおもしろくなさそうにハジャルが見ていたのを知っているのは、命ある掃除道具たちだけであった。
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