ラズリと魔法の道具たち
彩瀬あいり
01 動くホウキ
祖母は、魔女だったらしい。
それも「本物の魔女」だったとか。
正直な話、それはうさんくさいとラズリは思っている。
魔法が体系化されて、はや百余年。いまや魔法道具は日常的な生活に溶け込み「生活魔具」として浸透している。術式はより簡素化され、少量のちからで複雑な道具を稼働させることも可能なのだ。
杖を持ち、呪文を唱える時代はもう終わった。
そんなものは、御伽噺の世界――夢物語である。
だからこれもきっと夢なのだと、ラズリは思ったのだ。
◇ ◇ ◇
「おい、なぜ扉を閉じた。ここを開けろ、小娘」
たったいま閉じた倉庫の扉の向こうから、くぐもった声が聞こえてくる。コンコンと内側からノックするような音も響いてくるが、荒い声色に反するようにその音は軽い。まるで細い木の枝で叩いているかのような音だった。
「いい加減にしろ。そっちがその気ならば、こちらにも考えがあるぞ」
ついには、取り立て屋のような文句がはじまる始末だ。
ラズリは一歩下がり、あらためて眺める。なんの変哲もない倉庫だ。
十六歳になり、亡くなった祖母が
かんぬきを外し、術式が埋め込まれた鍵を解除。そうして扉を開けて、まずは床の
「何奴。……ほう、貴様なかなか良い魔力を持っているな。美味である。我が
ビクビクと、まるで生きているかのように手の中で震えるホウキに驚いて、ラズリは思わず手を放した。普通なら、重力のままに地へ転がるはずのそれは直立したままラズリの前にあり、上下左右に揺れ動く。
「吾輩はホーキンス。
じりじりと後退し、身体が外へ出たあとにパタリと扉を閉じて、鍵をかける。
ふう。昼間から、随分おかしな夢を見た。
(おばあちゃんが亡くなって、お店をやらなくちゃって突っ走って、疲れたかなあ、わたし)
よし、いったん休憩しよう――と思ったところで、倉庫の内側からゴトゴトと物音がして、中からあの声が響いてきたのである。
コンコンコンコンコンコン。
押し売りのようなノックが続き、恨み節のような声が延々聞こえてくるさまは、なにかの呪いのようだ。
ごくりと息を呑みこんで、ゆっくりと扉を開く。
そこには古びたホウキが一本、直立していた。
どこの家庭にもある、日用品だ。倉庫内の掃除をするために置いていたのであろうホウキが、天井から糸で吊っているかのようにまっすぐに立っているのを見て、ラズリは黙りこむ。どうやら夢じゃないらしい。
「やっと開けたな。こんな扱いをしてよい相手だと思っているのか? 貴様、吾輩を誰だと思っている」
「ホウキ」
「そう、吾輩はホーキンス・シュタオプザオガ」
それが、ラズリ・ノーゼライトが出会った、最初の「おかしなもの」だった。
◇
ホウキ曰く、自分は魔素を操る高名な存在で、永い眠りについていたところ、ラズリの魔力に触れて目を覚ましたらしい。自分の身体が掃除道具になっていることに、ひどく驚いていた。
彼の言うことがどこまで正しいのかラズリにはわからないが、「魔素」というのは魔法を行使するために必要な要素で、魔術や魔導を学ぶ者でなければ縁のない言葉だ。そのことから、魔法について学んだ者であることはうかがえた。だが――
「なん、だと?」
「ですから、魔素という言い方はとても古いもので、最近はあまり使いませんよ」
「古いとは、どれぐらいだ」
「そうですねえ、文献によれば、五百年ぐらい前は一般的だったようですが。今はもっぱら専門用語です」
「ご、五百年だと!?」
ゴトリと床を鳴らして、ホウキがこちらに詰め寄ってきたので、ラズリは後ずさった。
「ならば、魔法はどうなった。貴様には魔力があるぞ」
「えーとですね、今は魔法は二手に分かれました。
ラズリは、魔法学の授業で習う、初歩の初歩を説明する。
魔法とは、大気に満ちた魔素を取りこみ、具現化する法則のことである。
それらは体内を流れる魔力の大きさによって変化し、強大な魔力を宿した者は大きなちからを行使することができるため、具現化するちからは個々の能力によって異なっていた。
大いなるちからを行使し、国家を揺るがす戦争に発展した歴史を鑑みた時の権力者たちは、ある時を境にして別の道を歩むことを提案する。
それが、俗にいう「魔法革命」である。
魔法は、ひとを傷つけるためではなく、ひとを救い、助けるためにこそ使われるべきだ。
遥か昔の文献に記されていた
特定の者にしか扱えなかった術を魔法陣として固定化し、それらを道具に埋め込むことによって、同じ術が発動されるようにしたのも、そのひとつ。魔法具――
専門性の高かった道具はより一般化され、庶民の生活へ浸透していった。蛇口をひねるだけでお湯が排出されるのも、それらの効果だ。
かつては大衆浴場でしか湯あみができなかったが、今では各家庭で風呂が楽しめる。火力調整が可能な調理台もそうで、大型のオーブンなどは食事処でないと完備できないが、
埋め込んだ魔法陣に魔力を流すことによって発動する術式魔法を、魔術という。
一方の魔導は、術者本人が魔力を行使するもので、昔ながらの「魔法」は、こちらのほうがより近しいか。
これらは行使する当人の資質に左右されるため、絶対数は少ない。国が定めた魔力量に適ったものが国家認定者となり、彼らによって魔法の研究が進められている。
ここエーデルシュタインは、魔術が進んだ国家だ。ラズリは魔法学に従事し、魔具の修復を
だが、仕事としておこなうことはできず、お手伝いの範疇。祖母が亡くなったあと、彼女の店を継ぎたくても、年齢が邪魔をして事業主として認められない。十六歳となり、ようやく独り立ちができたところだ。
遺品整理を兼ねて、倉庫を開けて出会ったのが、このしゃべるホウキである。
(しかも、なんか無駄に偉そうだし)
ラズリの語った「魔法体系の歴史」を聞いて、ぶつぶつと呟いているホウキを眺めながら、独りごちる。
祖母・グリシナは、ラズリのことを気にかけていた。どうしたって先に死んでしまうであろう自分は、孫になにを残せるのかを考え、彼女が持っているすべてを教えてくれたと思っている。仕事に関しては決して甘くなかった祖母は、それなりに厳しかったし容赦もなかったけれど、だからといってこんな遺産を残していくだなんて。
「小娘、おそらく吾輩の身体は朽ち、魂だけの存在となっていたところで、この
「えーと、いったいどれぐらい昔なんですか?」
「知ったことか。貴様の言い分を考えても、吾輩が生きていた時代から五百年は経っているというではないか、ふざけるのも大概にしろ」
「いや、わたしに怒られても。そもそも、どうしてうちの倉庫に?」
「倉庫というが、ここは店か? なにを売買している」
「うちは修理屋です」
魔具を扱う店にも種類があり、新しいものを売る店と、修理を主とする店に分かれる。前者は魔術、あるいは魔導の有資格者が在籍しておらねばならず、ラズリのように個人商店では人員の確保が難しい。有資格者を雇うには、お金がかかるのだ。そしてまた、資格を得るためにもお金がかかるため、魔力があったところでそこを志すものは少ない。
だが、修理店にも利点はある。
魔具は基本的に長く使えるものであり、術式を直せば問題なく使えるのだ。新しいものは値が張るため、よほどのことがないかぎり買い替える者は少ない。耐火耐震など、家屋自体に掛けられた術もあり、建物などは簡単に新しくできるものでもなく、仕事には事を欠かない。
「店は長いのか」
「どうでしょう。亡くなった祖母が始めた店ですし、長いといっても百年も経っているわけじゃないですよ?」
「ふん、修理師というのであれば、吾輩の身体もまた、損傷を負ってこちらへ運ばれたかもしれん」
「え、ってことは――」
あの倉庫にかつてミイラがあったということだろうか。
想像して、ラズリは身体を震わせた。
やだ、夜とか怖くて近づけない。
古いものがたくさんあるから近づかないようにと、祖母に言われていた。ちからの安定していない幼い子どもは、魔力干渉を起こしかねないからということで、それだけ「いわくつき」の品が多かったと推測される。
(おばあちゃーん、ちゃんと処分しといてよー)
どうすればいいのか、わからない。道具の直し方は学んだけれど、そこに魂が宿って意思を持って動いてしゃべるだなんて、聞いたことがない。
「おい、なにをぼーっとしている。聞け」
「な、なんでしょうか……」
「吾輩が目覚めたのは、貴様に声をかけられたからだ。ならば、なにかしらの意思があるのだろう。つまり、ここで吾輩がなすべきことがある」
「はあ……」
「貴様は我が
「しもべ?」
「忠実なる下僕だ。ひとまずは腹が減ったな、用意しろ」
え、食べるの? どこから? なにを?
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