第21話:炎と拳


 黒いもやが指先に触れると体の力が抜けていく。


「エナジードレインかよ」


 魔力がじわじわと吸い取られていく。 ここのままここにいるのは危険だ、と脳が警告を鳴らしている。


 魔力が尽きれば物語よろしく人は意識を失ってしまう。


――やっちまったなあ。


 ペレネールの暴走は完全に俺の言葉がトリガーとなっている。

 しかし今更後悔したところで遅い。 突き進むしかないだろう。


「死にたいって言ったよな!? その死になんの意味がある? そんな形で罪を償ってもお前のお姉さんの傷は消えないのに!!!」


「うるさいうるさいうるさい!」


「私を誰も助けてくれない!


「姉さんも父上も誰も助けてくれない!」


「自分で死ぬ勇気だってない!!だったら私はどうしたらいいの!!!?!」


「どうしたらこの苦しみが消えるの!!?」


(話通じねえ……)


 見当違いの叫びに俺は途方に暮れた。

 彼女の言っていることは本心だろう。 しかし我を失っていて、俺の言葉が届いているかも怪しい。


「そうだそうよそうね!」

「おい、何を」


 ペレネールは一人のはずなのに、まるで誰かの意見に賛同しているようだ。


「全部燃やしちゃえばいいんだ! そしたらきっと私も楽になれる!」


 弾んだ声で彼女は言った。


「みーんな灰になっちゃえ!」


(狂ってる)


 狂わせた張本人は俺自身だが、元より彼女の心は限界だったのだろう。 そして俺の言葉で最後の均衡が崩れた。


 扉の向こうで凄まじい魔力の高まりを感じた。


「アハッハハハハハッハッハハハハハハハハ」


 狂った笑い声。


 ごう、と濁流のような音と共に巨大な火柱が立った。


「これはどうにもなんない」


 俺は主人公ではないのだ。 ここで覚醒できるような隠された能力は持ち合わせていない。


「命だいじに、人命優先」


 俺はこの階を唯一利用している、使用人を連れて屋敷の外へ避難するのだった。





 完全に火に吞み込まれた伯爵邸、それを見上げる俺の心はいでいた。


 正直こんなことになるなんて予想していなかった。 言い合いでも構わないから彼女と本音が知りたかっただけだったのだ。


「おい、君か」


 ぼんやりしていると、胸倉をクルーガ伯爵に掴まれた。


「私の娘に何をした!?」


 こんな事態になってしまっては嘘で誤魔化すこともできない。


「殺してくれと言われたので、断りました。 言葉は少し強かったかもしれません。 全ては私の責任です、申し訳ありませんでした」


 この世界では物語のように、不敬罪で首を軽く刎ねることはしない。 しかし不用意な発言で娘を暴走させ、伯爵邸を燃やし、多大な損失を与えたことは犯罪にならなくともそれ相応の罰は与えられることになるだろう。


 伯爵の振り上げた拳を俺は抵抗せずに受け入れた。


「謝って済むか! 私の大事な娘になんと酷いことを!」


 馬乗りになって、伯爵は俺の顔を殴打し続ける。


「娘は傷ついていた!」


「娘は助けを求めていた!」


「だが」伯爵は顔を両手で覆って、天を仰いだ。


「私には救えなかった。 だから王女殿下と関わることが何かきっかけになれば、と藁をもすがる思いで託したというのに。 それがこのざまか」


 まるで自分を責めるような口調で呟く伯爵を押しのけて、俺は伸びを一つ。


「伯爵様、王女殿下は私のことを何と?」

「君なら娘を救えると……信じた私がバカだった。 自分の娘を人に託すなんて愚かなことをした……もう何もかも手遅れだがね」


 渇いた笑みを浮かべる伯爵の瞳にメラメラと赤が反射する。


(なんでかなあ)


 王女はどうして俺をそこまで過大評価するのか理解できない。


 どうして今ここにいるのが勇者佐々木じゃなく、モブの俺なのか理解できない。


 主人公にはなれないし、なりたくもない。

 けれど自分で起こした問題の責任くらいは取ろうとするのが、一般的な人としての考え方である。


 だから、俺は魔法で創った水を頭から被った。


「は? 君は一体何を」

「人命救助です。 まだ一人、取り残されてますから」


「やめなさい!!!」その言葉に振り向かず、俺は屋敷に向かって走る。


 正直ペレネールがどうなろうが知ったこっちゃない。

 命を賭けるほどの情も、使命感もない。


(お前が死ぬと俺の平穏ライフも終わる)


 こんな時に、そんなことを考えている俺はやっぱり主人公には成り得ない。


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