第20話:悪魔のささやき


「初めまして、私フランツ・ラブルと申します」


 話始めたはいいもののペレネールを部屋から出す名案なんてない。 完全な見切り発車である。


「事情は伺っています。 壁越しで構いませんので、よろしければお話できないでしょうか?」


 いつもフランクに話す王女が隣にいて少々気まずいけれど、これが本来自分より高位の相手に対する言葉使いなのだ。 王女に文句は言わせない。


「うるさいな、嫌だって言ってる!」


「勇者なんか知らないし、どーーーーーーでもいい!」


「そんな御伽噺を持ち出す奴も、信じる奴もバカみたい!」


「あんたみたいなお上の権力に、すり寄る寄生虫に話すことなんかない! 帰れ!」


 拒絶、疑心、苛立ち、嫌悪。 黒い魔力が幻視できるくらい強い言葉に、俺の精神が削られていく。


「今日のところは」王女のその一言で、俺は張り詰めていた息をゆっくりと吐きだしていく。 顔合わせ初日からこれはキツイ。

 正直、俺にはペレネールを勇者の仲間に加えられるビジョンが、全く浮かばなかった。





「酷い顔をしていますよ」


 放心状態で馬車に揺られる帰り道、心配そうな王女の言葉に理不尽に苛立ちが湧いた。 ペレネールの感情に当てられて、心がささくれ立っている。


「明日も行くつもりです。 けれど無理強いはしません」


「付き合ってくれてありがとうございました」いつもと変わらない声色だ。 しかし今は王女がどんな顔をしているか見たくなくて、何も見えない窓の外を見つめた。


「…………今でもまだ彼女を勇者様の仲間にしたいと思ってる?」


 ようやく出た言葉がそれだった。

 まるで言い訳を求めて探るような質問だ。


「ええ、そのつもりです」

「心が弱く、協調性もないのに? 勇者様との相性がいいとは思えないけど」

「そうかもしれません。 けれどまだ本当の彼女と私は話せていませんから」


 本当の彼女、確かに俺はまだペレネールの殻に触れたに過ぎないのだろう。


「もしも代わりにあなたが、勇者様を支えてくださるというのであれば話は変わりますが」


 この人は俺をなんだと思っているのか。


「お断りします」


 相変わらず冗談が分かりずらい人だ。


「あら、残念」

「俺じゃあ雑用くらいしか務まらないよ」


 けれどもしも本気だとしたら、どうかしている。

 だって俺は神の使命も、チートも、才能も、知識も、出世欲もない、ただの転生者(モブ)なのだから。





 次の日。


「こんにちは」

「帰れ!」


 また次の日。


「また来ましたよ」

「か・え・れええええええ!!!!」


 そのまた次の日も、俺は毎日通うようになっている。

 半ば意地になっていたし、いつしか習慣にもなりつつあった。


 しかしその日は、


「申し訳ありません。 今日はお休みにしてください」


 王女が行けないと言い出した。

 彼女がどんな暮らしをしているのか分からないけれど、本来ならば忙しい立場なはずだ。 むしろ連日よく通ったと言っていいくらいだろう。


「いや、別にいいよ」

「いいよ、とは?」


 行ったところで終始罵倒とだんまりなのだから、王女が居なくても変わりない。


「俺一人で行くよ。 構わないよな?」

「……ええ、それはもちろん」


「一体どうしたんでしょう……まさか恋……?」俺は王女の戯言を無視して、今日も伯爵邸に向かう。


(ドМかよ)


 客観的に見た自分の滑稽さが少し可笑しかった。







「帰れ帰れ帰れ! 毎日毎日、ばっっっっっっかじゃないの?!」


 聞きなれた癇癪を聞きながら、俺は扉に背中を預けた。


「うるせーな。 俺だって」


――好きで来てるわけじゃない。


 出かかった言葉を飲み込んで、俺は息を吐いた。


 なんだかそれを言ってしまったら、もう罵倒さえ返って来なくなる気がした。

 それに何より、


(ダサすぎるだろ)


「お願いします。 私たちにご協力していただけないでしょうか? あなたの力が必要なんです」

「聞き飽きた、それ。 嫌だって言ってるのに、いつまで意味のないことを続けるつもり?」

「頷いていただけるまで通いますよ」

「……あんたも不憫だね。 予言なんてものを信じたバカな奴にも、勇者とかいう胡散臭い奴にも振り回されてさ」


 ペレネールが珍しく饒舌だ。

 いつもは拒絶するだけなのに。


「ねえ、今日ってあんた一人なんでしょ? 分かるよ」

「はい、そうです。 それは魔法で?」

「ううん、気配に敏感だから」


 なんだか機嫌が良さそうだ。

 少しは心を開いてくれたのだろうか、少しだけ嬉しくなった。


「一つ提案があるんだけど」

「なんですか? 聞ける範囲は結構広いですよ」


(なんてたって俺のバックには王族が付いているからな!)


 そんなふざけた気分は、彼女の言葉で吹き飛んだ。



「私を殺してくれない?」



――は?



 声にならず息が漏れた。


 ペレネールは、今なんと言ったか。

 聞こえたはずだが、脳が理解を拒否している。


「私は一旦、外に出るよ。 それであなたの仕事は達成! その後、ばれないように私を殺して欲しいの」


 彼女は甘えるような声で言う――俺に罪もない人を殺せ、と。


「意味が……分かりません、分かりたくない! 君は死にたいのか?!」

「そう、私は死にたいの。 だって私は生きてて良い人間じゃないから」

「生きてちゃいけない人間なんてっ」



――わたしはわるいこだから。



 子供みたいな幼くて不気味な声に、背筋に怖気が走る。


 パン、パン、パン、パン。

 俺は頬を叩いて、深呼吸をする。


(飲まれるな)


 彼女の声はまるで悪魔のささやきのように心を乱す。


「……で? どうする?」

「お断りします」


 俺の返事に扉の向こうの圧が強くなる。


「死ぬことは否定はしない。 生きているだけが正義だなんて俺は思わない」


「だけど」俺は初めて自分の言葉で話す覚悟を決めた。 後のことは後で考える。


 表面的に関わっているうちは、ペレネールの殻を破ることはできないことだけは分かるから。


「死ぬなら勝手に死ねよ。 人を巻き込むな」


 そう言った瞬間、黒い靄が部屋からあふれ出した。



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