第11話 米軍によるキスカ島 上陸作戦 2

米軍はやっと、キスカ島がもぬけの殻になっていることを理解した。

厳重に海上封鎖を行っていたにもかかわらず、いつ、日本軍が撤退したのか、まるで分からなかった。

その後も、キスカ島の調査が続けられた。

ある建物の看板に書かれた日本語を解読した語学将校は、叫び声を上げた。

看板にはこう書いてあった。


『ペスト患者収容所』


ペストは、治療を行わなければ、60~90%の確率で死に至る伝染病である。

上陸した米兵はパニックになった。

上陸部隊は、サンフランシスコに向けて、大量のペスト用血清をキスカ島に送るよう緊急要請。

米兵たちは、自分がペストに感染していないか、毎日脅えることとなった。


実はこの看板は、撤退する際に日本兵が書いたいたずらであった。

ちなみに、これをいたずらと気づかずに翻訳して部隊をパニックに陥らせた将校は、戦後、日本文学を研究する教授となっている。


キスカ島に残された軍用犬は、1匹は地雷によって死亡したが、生き残った犬たちはその後、米軍によって飼育され、子犬を産んだという。


戦後、米軍の軍事評論家はキスカ島上陸作戦を、皮肉を込めてこう評した。

「史上最大の最も実践的な上陸演習」

「米軍史上最悪の軍事訓練」




敵から「逃げる」ことを恥としていた大日本帝国ではあったが、キスカ島撤退作戦は、奇跡にも恵まれ、無事に「逃げる」ことに成功した希少な作戦となった。


1回目の作戦で第一水雷戦隊司令が引き返しを決定した時、大本営は敵前逃亡であると激しく非難したが、あの時突入していれば付近に米軍の艦隊がいたため、日本艦隊は全滅していたものと思われる。

「逃げた」ことで、後の「逃げる」を成功させたとも言えるであろう。


この作戦に関わった将兵たちは戦後、このことを振り返り、運よく霧が発生したり兵員の移乗の時だけ霧が晴れたりしたのは、天佑神助としか思えなかった、と語っている。


アッツ島で玉砕していった英霊たちの加護があったのかも知れない。


< 終 >

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霧中の撤退作戦【実話】 神楽堂 @haiho_

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