エピローグ

エピローグ 継ぐ者たち

 白から赤、赤から紫、最後に緑。

 手に持った細い紙の筒の先から、色鮮やかな火花が勢いよく噴き出す。

 不意に方向転換した風に煽られ、もうもうと上がる白煙が視界に被さる。鼻と喉の奥がつんと来て、僕は思い切り咽せ込んだ。


はじめくん、大丈夫?」


 茜ちゃんの小さな手が背中をさすってくれる。

 うっかり、涙が滲んだ。


「あぁ、うん……風下にならんようにしんとかんね」

「風、強いね。台風が来るかもって天気予報で言ってたよ」


 なるほど、ぬるい風が時おり強く吹き付けて、茜ちゃんのワンピースの裾を揺らしている。辺りの草むらの虫たちは、そんなの意にも介さず元気に羽音を鳴らしているけれど。


 花火には少し期を外してしまった九月中旬。茜ちゃん家の近くの児童公園には、僕たち二人の他に人影はない。

 高度を上げ始めた月が明るい、いい天気の宵だった。


 僕は着火ライターを片手に、笑顔を作った。


「よしっ、花火はまだまだあるし、じゃんじゃんやろう! 次どれにする? このヒラヒラしたやつ、やったっけ?」

「それ、さっきと同じじゃない?」

「そっかぁ、そしたらこっちにしよう!」

「朔くん」

「ん?」

「何かあった?」

「え?」

「何か今日、テンションがちょっと変」


 ぎくりとする。こういう時、上手く誤魔化せないのが不甲斐ない。


「……ごめん」

「ううん、謝らなくていいよ。どうしたの?」


 じぃっと真っ直ぐ見つめられ、白状せざるを得なくなる。


「実はね、今日から『懐古堂』の取り壊しが始まったんだ」

「そっか……お店、なくなっちゃうんだね」


 とても足を運ぶ気にはなれなかった。無骨な重機があの建物を崩す様子を想像するだけで胸が塞ぐ。

 だとしても、せっかく茜ちゃんを花火に誘っておいて、これは駄目だ。


「ごめんね、茜ちゃんにこんな話して」

「どうして? 朔くんにとって大事なことなんでしょ?」


 ショートボブの髪がさらりと揺れる。


「哀しい時はちゃんと哀しまなきゃ。我慢して抑え込んだら、ずっと心の奥に残ったままになっちゃうよ」


 つぶらな瞳から注がれるまなざしは、僕の心をふんわり包む。

 茜ちゃんはおもむろに線香花火を取った。


「ねぇ、次はこれにしよ?」


 風を防ぐのに、二人でぴったりくっ付いてしゃがんだ。

 二本の線香花火の先端に火を点ける。この最初の火の玉を、『牡丹』と呼ぶそうだ。

 次第に、掌を広げたような形の細かな火花が、コマ送りみたいにパチパチと散り始める。生まれては消え、消えては生まれ。この状態を『松葉』というらしい。

 火の勢いが落ちてくると、それは『柳』と名を変える。最後の細い火花は『菊』に例えられる。

 ……と、せっかく覚えてきた線香花火の蘊蓄を披露する余裕もなく、僕は火花の中心にある玉に見入っていた。

 少しずつ育っていくそれは、まるで魂みたいだった。


 どうか、消えないで。


 触れ合った腕の、Tシャツ越しの緩い熱。線香花火の先に引っかかった、小さな赤い玉。

 そのどちらにも鼓動が伝わってしまいやしないかと、気が気じゃなかった。

 だけど強い風が回り込んできて、二つの火球は呆気なく落ちた。


「あっ……」


 見合わせた顔が、思いのほか近い。

 茜ちゃんが真剣な表情になった。

 息を呑む。瞳に吸い込まれそうだと、ぼんやり見惚れているうちに、ぐっとうなじを引き寄せられた。

 唇に、温かくて柔らかな感触。

 その一瞬で。

 僕の思考は停止した。


「あっ……あ、かねちゃ……っ」

「ふふっ、朔くん、泣きそうな顔してるんだもん。ちょっと悔しいから」


 腰が砕けてへたり込む。身体が熱い。全身が心臓になったみたいだ。

 そんな情けない僕とは対照的に、茜ちゃんはすっと立ち上がって、花火の束を掴む。


「さぁ、次はどれ行く?」


 にっこり微笑む茜ちゃんは、何だかとても男前だった。




 それから約ひと月。昼より夜が長くなり、視界が秋色に染まり始めるころ。

 百花もかさんの店が、オープンした。


 名古屋駅西の駅裏通り商店街へ、樹神こだま先生と共に赴く。

 先生はいつもの伊達男スタイルで、大きな花束を抱えている。例によってそれがやたらと様になっており、この寂れた商店街では絶妙に浮いていた。

 でも前と比べて、この辺りも新しい飲食店が増えた気がする。


 百花さんの店『この』も、元々の駄菓子屋を活かした造りで、レトロモダンな店構えに生まれ変わっていた。


皓志郎こうしろう、服部くん! いらっしゃい」


 百花さんが、華やいだ笑顔で出迎えてくれる。今日はセピア色した花柄の着物だ。落ち着いた店の雰囲気によく合って、小洒落ている。

 一歩踏み入れるなり、ふわっと上品な甘い匂いに包まれた。棚にはお香や香水、綺麗な和柄の匂い袋などが、所狭しと並ぶ。


 先生が百花さんに花束を手渡しながら、甘ったるく微笑んだ。


「おめでとう、いい店だね」

「わぁ綺麗な花! ありがとねぇ」

「何、百花さんの美しさには及ばないさ」

「この期に及んでそのキャラで来る……?」


 店内には、他にもお祝いの花がいくつかあった。百花さんはその傍らにそっと花束を横たえると、カウンターの向こうから人形を抱えてきた。

 『懐古堂』にいた、ショートボブの市松人形だ。今日は赤い振袖を着せられており、ハレの気を纏っている。


「姫子ちゃん、服部くんたちが来たよ」


 『姫子』とは、カイコの異名であるらしい。

 そんな名前を与えられた人形を、初めは樹神探偵事務所に置こうと思っていた。

 しかし、とある事情があり、百花さんの店に置いてもらうことになった。なぜなら……


も、分かるかな?」


 人形の体の中、姫子ちゃん自身の魂に寄り添うように、小さな小さな思念の欠片がある。


 カイコさんと別れたあの夜、僕たちはくだんの御神札をいったん『懐古堂』の神棚へと戻していた。

 店舗をテリトリーとする神棚の力は、なお有効だったらしい。

 あの御神札には、僕たち三人のカイコさんに対する強い想いが宿っていたようだ。

 それが、姫子ちゃんの中にあったカイコさんの記憶と結び付いた。

 こうして人形を依代とし、彼女の思念の一部が再生されたのだ。


 つまり。

 もしも姫子ちゃんを事務所に置いたりしたら、カイコさんが壁に転生したのと大差ないことになってしまうのである。


「事務所に置かんでも、こうやって会いにこられるのは良かったですよね」

「しかしカイコさんの例の趣味に関しては、どうしてそうなったのか謎が残るな」

「あたし、本人から聞いたことあるよ。暇を持て余すあまり、店内にある商品を擬人化して絡ませる妄想をしとったら、いつの間にかそっち方向行ってまったらしいわ」

「あの界隈の人んら、無から有を生み出すことに躊躇いがないでな」

「あぁ、無機物に宿る魂みたいな感じですかね」

「それはちょっと違うでしょ服部少年……」


 一郎さんの祈りを綺麗に昇華したカイコさんは、前のように姿を具現化させることができない。

 だけど僕に憑依させれば、それが確かにカイコさんだと分かる。


 僕は持参した手土産を人形に見せた。


「カイコさん、今日は鬼まんじゅうを持ってきました」


 鬼まんじゅうとは、もっちり粘り気のある黄色い生地の中に、さつまいもの角切りがゴロゴロ入った郷土おやつだ。


 百花さんの香の術で取り出された思念の欠片を、我が身に宿す。

 すると、自分の内側から涼やかなトーンの声がした。


『鬼まんじゅう! ちょうど季節だもんねぇ』


 甘いお菓子が好きで。


『百花ちゃんがいろいろ話しかけてくれるで退屈しんけど、やっぱ君んら来てくれるとわ』


 がっつり腐っていて。


『服部くん、早よ食べりん』


 以前のカイコさんと全く同じわけではないけれど、紛れもなくよく知るカイコさんだ。


 鬼まんじゅうをひと齧り。自然な優しい甘さが、噛み締めるほど口いっぱいに広がる。


『うーん、美味しい!』

「美味しいですね」


 同じタイミングの、同じ感想。

 僕たちはまた、何度でも共鳴できる。


 おやつの後、カイコさんの思念を姫子ちゃんに戻し、店の真新しい神棚を拝んだ。

 こうしていればカイコさんの力が大きくなって、いずれ姿を取れるようになるかもしれない。


 これまで『懐古堂』が受けていた仕事は、樹神探偵事務所で引き継ぐことになった。

 先生と僕、それから百花さん。三人の異能で分担すれば、モノの『念』を祓う業務を大体カバーできる。


 先生は懐中時計型スマートウォッチを取り出す。


「しかし、困るのが道具のメンテだよな。実は今日も電波の調子が微妙に悪くてさ」

「電波ですか。ちょっと見してまってもいいです?」

「ん? いいけど」


 我が師匠の大事な仕事道具。それが発する、空間の階層をも越えて飛ぶ特殊な電波を、集中すれば何となく感じる。

 加えて、辺りを漂う清浄な気も。僕がよく『狭間の世界』に引き込むタイプのやつだ。

 ここかな、と思ったタイミングで、僕は指をパチンと鳴らした。ちょうどカイコさんがやっていたみたいに。

 そうして僕は時計を先生に返す。


「これでどうですかね」

「えっ……嘘、直っとる」

「道具の調子の見方、前にちょっとだけカイコさんに教えてまったんです。電波状況くらいなら今ので改善できますよ。カイコさんが階層を変える時のアレの応用です。修理や組み立ての仕方とかも、追々勉強しようかと」

「服部少年……!」


 先生が僕の手をがしっと握った。そして僕の目をじっと見つめ、心地よく響く美声で言う。


「今後ともよろしく頼む」

「えっ、あっハイ」


 その時、姫子ちゃんの中にあるカイコさんの気がほわっと膨らんだのが分かった。それについて、僕は知らないふりをした。



 商店街の組合の人がお祝いがてら心霊相談で百花さんを訪ねてきたので、僕たちはおいとますることにした。

 店を出るなり、柔らかな日差しに頬を撫でられる。

 空は抜けるように高く、透き通った群青色をしていた。まるで、この世の果てまで視認できそうなほど。

 胸をざわつかせる青を背景に、JRセントラルタワーズの白色がそびえている。

 傾き始めた太陽を背にして、僕と先生は並んで歩く。


「今日のお客さん、四時に見えるんでしたよね」

「おぉ、ちょっと急がんとかんな」

「帰ったらすぐコーヒーの準備しますね」


 二人揃って、名古屋駅へと向かう足を速める。

 爽やかな風が、後ろから僕たちを追い抜いていった。




 名古屋駅から名鉄あるいはJRで二駅。もしくは地下鉄東山線に乗り、栄で名城線左回りに乗り換えてから四駅。

 金山総合駅の程近く、とある雑居ビルの二階に、小さな事務所がある。


 看板は出しておらず、玄関扉の表側にレトロな風合いの小さな表札がかかっているだけ。

 そこには、こんな飾り文字が並んでいる。


『樹神探偵事務所』


 『樹神』と書いて『こだま』と読む。

 密室殺人なんかとは縁がないけれど、この探偵事務所にはちょっと変わった依頼が持ち込まれる。 


 僕の名前は服部 朔。

 ここで樹神先生の助手をしている、名古屋市内の国立大学に通う十八歳だ。


 さて、これからご紹介するのは、いったいどんな怪異事件か——。



—共鳴糸エンゲージメント 〜なごや幻影奇想メモワール〜・了—

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共鳴糸エンゲージメント 〜なごや幻影奇想メモワール〜 陽澄すずめ @cool_apple_moon

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