第36話 タナトスを喰う
ミューのその行動にタナトスは目を見開き、驚きあらわだった。お互いが相手の胸を爪で突き刺した状況。あと少し力を入れれば身体を貫通することもできそうだ。
そんな危うい状況で、ミューはタナトスに声をかけた。
「タナトス! 今の僕なら君の不安も少しはわかるつもりだよ。僕も最初はこの身体になって、みんなに不安な目で見られて、どうしようかと思った。けれど僕にはセラとベリーと僕のことを受け入れてくれる人達がいた。数は少なくても、それで僕はこの先も大丈夫だと思えたんだっ!」
近くにいるセラとベリーが息を飲んだのがわかる……そう、君達のおかげだ。僕が二人に“情”があるように、二人からの“情”が僕を救ってくれた。
「これから先のことなんてわからない、もしかしたら混血だと知れ渡って処分されるかもしれない。でも僕はこの世界に今生きているし、世界も僕を受け入れてくれている。だったらこのまま生きることもできるんじゃないかって、そう思えたっ!」
タナトスはイラ立ち、胸を突き刺す手に力を入れた。痛みに叫びたかったが、グッとこらえた。
「タナトスが生きていた時代には、まだ魔物の存在がそんなに知れ渡っていなかった、だから理解が少なかったんだよ。それは悲しいけれど、時代だから仕方なかった。けれど今は違う。時代はどんどん変わっている。僕はこれからは人間と魔物は堂々とこの世界で共存していけると思っている。魔物も普通にやりたいことをして暮らして、人間もそれを自然に受け入れている世界。僕はそんな世界を作る、なんて大きなことは言えないけど、見て、感じてみたい」
「うるさい、うるさい、うるさい。くだらない、そんなことはできないよ、くだらないっ」
「くだらなくない、絶対に!」
強く口にして、ミューもタナトスの胸を突き刺す手に力を込めた。すぐそこにタナトスの心臓が動いているのを感じた。
それはタナトスもしっかりとこの世界に生きているという証だ。
「けれど君のことは放っておくわけにはいかない! これからは僕の中で共に生きるんだ! それなら孤独じゃないから。君は僕とずっと一緒だから!」
ミューが渾身の力を振り絞ると、タナトスは空間を揺るがすような絶叫を上げた。
「ミュー! くそっ、離せ、離せぇぇ!」
ミューは背中の翼を大きく広げるとタナトスを覆い隠すように、彼の全身を包み込んだ。
「何してんだっ、ミュー!」
ベリーの叫びが響く。ミューの翼の中でタナトスも叫んでいたが、叫びも存在自体も真っ白な光に包まれ――自分の内側にあたたかい何かが注がれていくのがわかる。自分の身体の中がどんどん満たされていく。それはまるで何かを食べてお腹が満たされていくような感覚だ。
そう、自分は今タナトスを喰っている。タナトスという存在を自分の中に取り込んでいる。タナトスは抵抗しているけれど、逃げることはできない。叫ぶだけだ。自分も息苦しいけれどあったかくて声が震える。
あぁ、これが満たされる感覚なんだ。ベリーもセラも自分から力をもらうと、いつもこんな感じになるのかな。
タナトスを孤独から解放するには。もう二度と外に出さないようにするには。こうするより他はなかった。
心臓が大きくドクンとはずんだ。タナトスのうめき声が次第に消え、存在も徐々に消えていくのがわかった。氷がゆっくりと溶けるように、翼の中のタナトスが消えていく。スーッと溶けて自分の中に染みていく。
「ふぅ……」
ミューは息を吐く。
光も収まり、翼を広げてみると。翼の内側にいたはずのタナトスは完全に姿を消していた。
そして周囲はさっきまでの紫色の空間と、 少し離れた場所に大理石の魔界の門がそびえるだけ……。
ベリーとセラが滞空しながら心配そうに自分を見ている。
「タナトスを、喰ったのですか」
セラがその事実を信じられないというふうに口にする。ベリーも驚きながら「マジかよ」と言う。
二人の不安そうな様子に、ミューはドキッとした。二人の信じられないものを見るような視線が、ひどく痛く感じた。
この感覚は……そうだ、恐怖だ。周囲にいる存在が自分に対する恐怖の念を抱いている時に起こるものだ。
怖い、何あれ、信じられない。
生き物じゃないよ、化け物だよ、あれじゃ。
一緒になんていられないよ。
頭に浮かぶ言葉の数々。それは過去にタナトスが人間や魔物に投げかけられた言葉だ。その言葉が次々に浮かぶ。タナトスが何百年と言われ続けてきた恐怖の言葉。大丈夫だと思っていた自分の心も不安になってくる。
僕はベリーとセラに嫌われてしまった。二人は自分を怖いと思っているのだ。
そう考えると胸が撃ち抜かれたように痛くなった。先程タナトスにつけられた傷なんて、タナトスを喰ったせいか、もうすっかり治っていたけど。
タナトスによる傷よりも、今の傷の方が断然痛かった。
「やだやだ、やだよっ!」
全身が熱くなった。自分が燃え尽きそうなくらいの熱気だ。それが全身から自分の意志とは関係なく放たれ、ミューは頭を抱えた。
これは……力が勝手にあふれ出ている、こんな加減のできない果てしない力では近くにいるベリーやセラだけじゃなく、この空間も突き破って全てのものを燃やし尽くしてしまうかもしれない。
「やだ、とめて! 力が、やだよっ!」
ミューは叫んだ。その叫びに呼応するように自分の中で「だから言ったじゃない」と冷たく蔑む声が聞こえた。自分の中のタナトスだ。
『いくら綺麗事を言っても大いなる力の前では、みんな引け目を感じるものさ。これで君も孤独だね』
タナトスが笑っている。
ミューはイヤだと頭を振る。
タナトスをせっかく静めたのに。これでは今度は自分が悲劇を生み出す存在になってしまう。そうなったら意味がない。
だったらその前にベリーとセラに、僕という存在を消してもらうしか――。
「ベリー、セラ、お願い! 僕を止めて。僕を消してっ、お願いだから!」
ミューの叫びを聞いた二人が、フッと息を飲んだのがわかった。
そして二人は視線を合わせ、うなずき合う。
二人はミューに向かって手を伸ばした。いつかも見たその光景。
そう、初めて二人が力を見せてくれた、初めて会ったあの日のことだ。二人の力は凄まじかったのを覚えている。だって僕の自慢の、最強のパートナーだもの。
その力で僕のことも、やってくれる。
もう大丈夫。
そう思って安心したミューは安らいだ気持ちで目を閉じた。
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