第144話 あの頃のように

 フランとドルフからの告白を受け入れて二日後の午前中。

 一年前の日課だった散歩へ出かけた。

 この国の首都である聖都ラフィリアは大いに賑わい、歩道の向こうには馬車が何台も通り過ぎていく。


 今は早朝ではないため人が多い。だが、それも活気を肌で感じられて気持ちが上向きになる。

 あの時と同じ道を同じように歩きながら、変わらない街並みにそっと胸をなでおろす。暴動によって一時は壊滅的な被害が出た場所もあったが、復興も進んで人々は以前の暮らしを取り戻しているようだ。


「あなたたちが制服を着ていると、あの頃に戻ったみたい」


 見慣れた黒い制服に身を包んだ二人が右と左に並んでいる。

 彼らは復職するらしい。しばらくはボーマンの部下として治安部隊所属だが、叙勲されれば特別扱いになるとの事だ。


「これが一番着慣れているし、またあの頃の続きをリアと楽しみたいからね」

「リアも俺らも置かれた立場は様変わりしたけどよ、三人でいる時は昔のように何も考えないでいたいからな」

「そうね。私もそう思う。あなたたちといれば護衛はいらないから気が楽だわ」


 リアは歩きながら大きく伸びをして肺の中の空気を一新させる。

 ラフィリア殿下と呼ばれるようになってからは、どこへ出かけるにも護衛がついた。それは女王となる自身の価値を理解して受け入れていたが、やはり一度自由を味わった身には少々息苦しかった。気を許せるドロシーと出かけていても、やはりその存在が気になってしまうものだ。


「僕たちが守っているので、どうぞおくつろぎください、お姫様」


 フランは面白がって使用人がするようにうやうやしく頭を下げる。ふざけているように見えても、彼は万が一リアに危険が迫れば確実に役目を果たす。

 だからボーマンも安心してリアを外へ出してくれた。


「けどよ、実際リアってラフィリアの力を自在に操れるんだろ? それって俺らより強いよな。ぶっちゃけ護衛いらなくね?」

「まあそれは、そうなんだけどね」


 首を傾げながら正論を口にするドルフに苦笑いを返す。

 その通りなのだ。リアは道端で襲われたとしても対処できる力は充分にある。

 だからといって護衛も付けずに時期女王をふらふらと歩かせるのは体裁が良くない、という事で、ボーマンはいついかなる時も信頼の置ける部下を護衛にしてくれていた。


「アードルフ、お前は詰めが甘すぎる。そうやって油断した時にぶっすりやられるんだよ」

「俺は油断なんてしないから、その心配はない」


 山よりも高い自信を持ってふふん、と鼻で笑うドルフだが、かつて彼とオルコット家に行った際、彼の目の前でリアはルーディに刺されたのだ。信用はあまりない。

 それを言うと枯れた植物のように落ち込むのは目に見えているので、ぐっとこらえる。それが優しさだ。

 フランがドルフの神経を逆なでするような事を言うのではと気が気ではなかったが、呆れた目をしているだけで特に弟をいじる気はないようだった。


 リアたちは軽い足取りで進む。ほとんど沈黙することがないくらい笑ったり驚いたりしながら、町の雰囲気作りに貢献しているのではと思うほど楽しいひとときを過ごした。


 今日のお目当ては商店街の八百屋だ。

 おしゃべり好きの女将がいる、なじみの店。

 暴動があってから一度も訪ねていないので、上手く話せるかと緊張する。

 今は開店直後のはず。その姿はすぐに見つかった。

 店先で品出しをしている背中へためらいがちに近づけば、女将は気配を察知したのか折り曲げていた腰を起こして振り向いた。


「いらっしゃ……」


 こちらを認識した途端に声は途切れ、驚愕に口が開いたまま微かに震えている。

 リアは人見知りのような心地でちらりと女将を視界に入れ、笑みを口元に貼り付けた。


「お久しぶりです」

「り、リアちゃ……いえ、ラフィリア様」


 掠れた声は若干の恐怖を孕んでいた。その態度に、寂しさや胸の痛みを感じる。


「リアと呼んでください。女将さん」

「そんな、そんな……フランシス様とアードルフ様も……数々のご無礼、申し訳ありませんでした」


 女将は恰幅の良い体を縮めて、可哀想になるほど畏まった。もう女将と町の噂話をしていたあの頃には戻れないのだと、現実を突き付けられる。変わらないようでいても、時間の流れと共に少しずつ変化していく無常が肌身に沁みる。

 なんと声をかけようかと考えあぐねていると、リアよりも先にフランが口を開いた。


「女将さん、そんな堅苦しい対応はやめてください。今は完全プライベートですから、前のように気楽に接してくださると嬉しいです。僕らもそうしますから」

「そ。俺も久々に女将さんと会えて嬉しいからな」


 ドルフが続けば、女将は内から溢れ出る感情を我慢できずに泣き出してしまった。

 涙に濡れた瞳を上げ、フラン、ドルフ、そしてリアを見つめる。その顔にあるのは、激しい後悔だ。


「ごめんよ。あたしは、幼かった姫が力を持たずに地底へ落とされた時、なんて罰当たりな子供だと憤ったんだ。女神ラフィリア様を冒涜する力を持った貴族の兄弟も、内心で馬鹿にしていたんだ」


 許しを請うような懺悔ざんげだ。

 女将はリアたちの正体を知り、この一年ずっと悩んでいたのだろうか。

 リアもフランもドルフも、嗚咽から漏れる暗く淀んだ本音をただ黙って聞いた。


「そういう社会の風潮に踊らされて、それが事実であるかのように信じて、真偽を確かめる事もなく周りと笑って。あたしらの方がよっぽど悪人だ。実際の三人はとても良い子だったのに。あたしはなんてことを」


 泣き崩れる女将の背中を見下ろしながら、しばし掛ける言葉を考える。

 実際、町に暮らす一般人はそんなものだろうと、リアは驚くほど冷静に捉えている。

 基本的に住民は一国の姫や貴族と関わることなんてないので、真偽の程を確かめる術はない。

 大教会がリアを罪人として地底に落とすと声明を出せば、それがすべて。フランとドルフの噂も悪意を持って広まれば、貴族のスキャンダルとして面白がるネタにしかならない。

 だから、ここはリアの気持ちを素直に伝えようと、女将の背に手を当ててしゃがみこんだ。


「女将さん。そんなに自分を責めないでください。誰が悪いわけでもないんです。強いて言うならば、国そのものが悪かったんだと思います。女神をあがめる気持ちが時を経て歪曲し、力の有無や強弱で人を差別する結果を生んでしまった、ただそれだけなんです。だから、女将さんの考え方はこの時代では普通のことですよ」

「本当にごめんね。これからはみんなに、あんたたち三人は大層立派な方々だって広めるからね……! こんなあたしの事まで気にしてくれる素晴らしい方々だと」


 女将は悪い人ではない。とても気さくで商売上手な明るい女性だ。


「女将さんがそう広めてくれるなら間違い無いな」


 ドルフが笑えば、女将は立ち上がって涙を拭う。

 彼女はドルフの事をとても気に入っていたのだ。


「アードルフ様は、あたし自慢のドルちゃんだからね……!」


 その呼び名にドルフは律儀に赤面し、肩を縮めて視線を逸らした。わかりやすく想像通りの様子に女将の涙はすっかり止まり、いつの間にか口角も上がっていた。

 しばらく和気藹々わきあいあいと他愛もない話を交わした後、リアは店先でぺこりと頭を下げた。あまり仕事の邪魔をするのもよくない。


「これからは頻繁に訪れることはできなくなりますが、伺わせていただく際は町の様子を聞かせてください」


「あたしのところにはたくさん話が入ってくるからね! いつでも待ってるよ!」


 分厚い胸を叩く姿は頼もしい。

 女将の元気な声に活力をもらい、リアたちは散歩を再開した。

 商店街を抜けて、湖を取り囲む公園を散策する。一年前はここを通って大教会に帰っていた。

 木々の間から見える大教会の建造物群が懐かしい。

 もうすぐ、あそこに住むことが決まっている。今度は尖塔ではなくて旧国主邸宅ではあるが。リアは十年以上ぶりに生家へと戻ることになる。


 湖畔に整備された遊歩道をのんびりと歩いた後、リアたちは湖面を眺められるように置かれたベンチに腰掛けて会議を始めた。新しい姓を考えるという、大切な話し合いだ。


「私たちの名字、どんなのがいいかしら?」


 右に座るフランと左に座るドルフの顔を交互に見つめて意見を促す。


「かっこいいのがいいよな! アームストロングみたいな」

「それは強そうね」

「ちょっと待って。それだとラフィリア様のイメージとは違うだろ。ラフィリア・アームストロングとか、神聖さが足りない」


 フランはばっさりと切って捨てた。


「じゃあお前はどんなのがいいんだよ」


 ドルフは渋々認めてフランに会話の主導権を回す。


「そうだな……ラフィリア様の清らかで美しさを際立たせるような、かつ、覚えやすくて呼びやすい方が人に与える印象がいいから……カートライトとか」


 中々に良さそうな候補だ。リアは「おお」と感嘆する。


「でもさー、それ普通すぎじゃね? もっと特別感が必要だと思うんだよ俺は」


 リア的にはカートライトでも良かったが、ドルフの意見も一理ある。リアのみならずフランも小さく唸って眉を寄せる。

 思考に集中するあまり、沈黙してしまった場に鳥のさえずりが軽やかに流れていく。

 このまま各々が黙考していたのでは進みそうもないので、リアは湖の一点を険しく見つめているドルフをのぞき込んだ。


「特別感があるのって例えば?」

「えーっと……ぱっと思いつかないけど、唯一無二というか……今、湖のほとりにいるし、この思い出としてレイクサイドとか」

「それはセンスなさすぎだろ」


 フランが珍しく声を上げて笑ったので、リアもつられて吹き出してしまった。

 二人から笑い者にされたドルフは羞恥心に吞み込まれ、頬がほんのり赤く染まった。そのままそっぽを向いて、凍てつく眼光で周囲の温度を下げる。相変わらず怒っているかのような目つきの悪さだ。


「ごめん、ごめん。ドルフが真剣に考えてくれたのはわかっているのよ」


 ふふっと鼻から笑いが混じり、説得力がなくなってしまった。


「リアはどんなのがいいんだよ。さぞ素晴らしい名字が出てくるんだろうな」


 体の前で腕を組み、ベンチにもたれ掛かりながら横目で睨まれた。迫力満点だが、恥ずかしがっているだけだと知っているので怖くはない。むくれている姿が子供っぽく映り、リアにしてみれば愛らしいばかりだ。


「すごいプレッシャーかけられたわ!」

「リアがどんな候補を出しても僕がフォローするから、アードルフに勝ち目はないよ。安心して」


 体を前へ傾けてリアに微笑みかけるフランに、ドルフが対抗してリアの左側から顔を出す。


「お前はそうやって、いっつも良いところばっか持ってくじゃねーか!」

「それはお前の要領が悪いからいけないんだ。人のせいにするのは間違っている」


 このままではいつものごとくドルフが負けてしまう。彼は口喧嘩でフランに勝てたことは一度だってない。


「ドルフをそんなにいじめないであげてよ」


 座ったまま体をひねり、かばうように軽くドルフを抱きしめる。


「リア超優しい」


 ドルフは満足したようで、ふわりと抱き返された。

 フランは抱き合うリアたちを前にして面白くなさそうに口をつぐむ。反論は飛んで来ず、視線を外してこれ見よがしに大袈裟なため息をついた。

 ドルフにばかり構ったので拗ねてしまったが、放っておいても問題はない。兄弟喧嘩を事前に止められたのは偉業だ。

 リアは安心して新しい姓のために頭をひねる。きらきらと太陽を反射する水面みなもは何かヒントをくれそうだ。


「私は光の女神ラフィリアに成り代わるわけだから……光……」


 強すぎず、綺麗で、覚えやすいもの。


「光……ルーチェとかどうかしら? 光って意味があったと思うの」


 これで難色を示されたら降参だ。でも一つは候補を出したわけだし、あとは二人に任せようと軽い気持ちで両側の反応を窺う。


「とてもいいね! 優しげだし、呼びやすい」

「俺も賛成! 唯一無二だ!」


 思った以上に高評価だった。それにはリアの方が驚いた。


「こんな簡単に決めちゃっていいの?」

「満場一致なんだから決定でしょ? ルーチェ、とても良いと思う。リアのイメージにぴったりだよ。まさに光のラフィリアだね」

「そ。リアはみんなの光だ。自信持て!」

「ありがとう。なんだか照れちゃう」


 リアを全肯定する二人に気分が良くなる。

 公の場に出れば、ひりつく場面を潜り抜けなければならない。だからせめて二人には甘えさせてもらおうと、リアは素直に微笑んだ。

 ルーチェ家の誕生が楽しみだ。

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2024年12月21日 18:00
2024年12月25日 18:00
2024年12月28日 18:00

光のラフィリア 椎野 紫乃 @shiino-remon

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