主人公は郤缺(げきけつ)。歴史書の彼に関する記事はごく僅かです。
春秋の英傑たちの傍で、まるで地を這うように郤缺は人生を刻みます。逆臣の父を持ち、前半生を不遇に過ごした彼には、役者を志し、けれども長く下積みにあった名優、トミー・リー・ジョーンズに通ずる渋味があります。
後世に晋随一の宰相と評される天才、士会との友誼は、物語のハイライトの一つです。
なぜ、作者は彼を主役に据えたのか。それは分かりません。ただ、郤缺自身はさぞ驚き、そしてこの大河小説を喜んでいるに違いありません。
お勧めします。
素敵な作品をありがとうございました。
(メモ、長編45、完結済、全話読了)
本作に用いられた言葉を歪めて用いる悪逆を、ご苦笑願わねばなるまい。
この陰惨絢爛なる政治劇では、為政者たちの才能を「情」「理」に区分けする。それらがつかず離れず、ときに「理」が「情」を組み伏せ、あるいは「情」が「理」と韜晦する様が描かれる。当レビュー筆者は、敢えてこの「理」「情」を“情”としてまとめ上げる。すなわち、意図、計算、反応、感情。この物語では、これら“情”が強固に縒り合わされ、歴史的事績が、さも必然であるかのように仕立て上げられている。化物か、である。
春秋。
その解釈書としての左氏伝、穀梁伝、公羊伝。
それらの換骨奪胎のだしがらし、史記。
あえて史記にのみ話を絞ろう。この後世に不動の地位を築く史書において、物語の主人公である郤缺は、わずか二箇所にしか名前が出ない。春秋にレンジを広げれば増えるのだが、それにしても、やはり情報に恵まれた人物ではない。そうした人物の物語が、約五十万文字ぶんにまで展開される。何故か。“理”の上で必要であった、と言うしかあるまい。では、当レビューに言う“理”とは何か。
河曲の戦い。
趙盾弑其君。
作者氏は類推なされている。こうした大事件を経て、何故逆臣の子が春秋晋の頂点にまで立てたのか、を。それらを“情”として示されるに当たり、想像を絶する膨大な思考を凝縮し、取捨選択し、提供の順を精査なされた足跡がうかがわれる。「あまたなす歴史事件を必然と思わせる」だけの“情”の集成である。「この“情”たちが集まったのであれば、この結末にもなるだろう」と納得させられる。これが“理”でなくてなんだろう。
レビュー者は二点、この物語に驚嘆の念を抱いた。それは「ここまで考えを深め続けてこられたのか!」と「ここまで噛み砕いて提供されたのか!」だ。そこには作者氏の迸らんばかりの“情”を感じずにおれず、ならばこの物語が“理”を得るのもまた必然だったのだ、と納得せずにおれない。
とんでもないものが、ごろりとネットには転がっているものだ。
実はこの「晋」という国、馴染みのないように見えて、(おもに)宮城谷昌光氏によって、いろんな人物を中心に据えて小説化されている。
『重耳』『孟夏の太陽(趙盾含む趙家)』『沙中の回廊(士会)』
私は宮城谷昌光氏のファンなので、このあたりの作品は全部読んでおり、登場人物の来し方、行く末はだいたい頭に入っているわけですが……
それでも、この作品は充分に面白い。
本作は末代までを描いてはいないものの、人ではなく「晋」という国のありよう、その覇権国家としての栄華とやがて来る凋落の予感を描いている。
主人公に据えたのは、「郤缺」で、逆臣の子、という立場から卿にまで上り詰めたその人生は華々しいものの、ある意味、あまり注目されてこなかった。
(おそらく同時代の天才、士会や、主君との不幸な関係で有名な趙盾が目立ちすぎるせいだと思う)
しかしこの人物を主人公に据えたことで、晋という国を奥行きをもって描けていると思う。
また、ほかにもおりおりに祭礼や気候の描写があることで、古代中華の空気も感じられる。
いわゆるBL表現はかなり抑制的に描かれているのであまり人を選ぶ描写ではない。加えて、彼らはもちろん一族の長として、女性を娶っているわけだが、彼女たちとメロドラマ的なやりとりがあるわけでもないので、その手の恋愛にまつわるごたごたを歴史物語に求めていない方の拒絶感もないように思う。
けれども、作者の描く「関係」に基づく情趣は非常にきめ細やかで「体温」が感じられる。そう、しみじみと、哀しく、愛おしい。
何度でも言いたい。本作は、ほんとうに面白い。
春秋戦国時代……なんだかんだで「キングダム」に続くんですよね? ていどの知識で読み始めた者です。難しいかも……腰を据えて掛からねば、と思っていたのですが、読み始めたら先が気になって仕方なくて次から次へと読み進めて、気付いたら読了していました。
歴史ものは「史実」というどうしようもないネタバレが存在してしまうのですが、読み終えるまで検索は封印しよう! と決意させるほどに、主人公格の郤缺はじめ、彼を取り巻く人々と当時の情勢、それらが織りなす物語に惹き込まれていました。魅力的な登場人物は多いのですが、特に郤缺について。礼節を弁え自己抑制に長けたストイックに描かれた彼をして感情のコントロールを忘れる幾つかの場面には、いずれも心動かされました。
この没入感がどこから来るのかと言えば──恐らくは、本来は淡白かつ簡潔な史文の記述から、その時代をどのような人々がどのように生きたのか、その言動の意味を鮮やかに浮き上がらせる筆致の賜物でしょう。二君に仕えること、祖先の祭祀、長幼の序、子弟の教育等々……ともすれば現代人には理解しづらい古代中国の大夫の価値観を、分かりやすく面白く、嚙み砕いたり脚色したり説明したりしてくださっていると感じました。歴史を、単なる事実の羅列ではなく物語として描くとはどういうことか、のひとつのお手本のように思います。
この時代が好きな人なら楽しめるはず、とはほかのレビュー者の方々が多々延べられている通り。一方で歴史知識がゼロでも非常に楽しく読めましたので、必読の作品と言えましょう。
読ませていただきました!
昔春秋戦国時代大好きでガッツリハマった時期がありまして…ただほぼ忘れておりましたので、郤氏、晏氏が活躍する前あたりだったかな?とふわふわした感じで読み始めてしまいました。
迂闊でしたね、作者様の情報収集等が読んでみてとれました。歴史書逸話とかあるならまだしも、大抵一文とかしかいない事あるから…
これは春秋戦国時代大好き人間たちに進めたいです…!なんだか普通の歴史の単行本見た気分になるくらいめっちゃ重厚な物語。
私はまったり読ませていただきました。
作者様の注釈などもあり、この時代をわからない方もすんなり入れるのではないでしょうか?!
舞台は晋、郤缺という逆臣の子としてのレッテルを張られながらも士会たちのように決して亡命せず、六代に渡って晋公に仕えた男が主人公。
個人的にグッと来たのが、彼が正卿となった時。
主人公もまた涙してましたが、これで本当に許された感じがして…
是非読んで欲しい逸品です。
古代中国、時は春秋と呼ばれる頃。
家父長制や礼や徳、そういった思想の根ざした古代中国である。その時代において父の喪も祀ることも赦されぬというのはどれほどのものか。
人々の思想というものを、現代日本人が丸ごと全て理解できるかといえば、きっとそうではないのだろう。けれど「どう思っていたのか」ということをこの作品は十分に推し図らせてくれる。
長い長い歴史の中、この時代すら一瞬であるのかもしれない。しかしそこを切り取り寵臣ではなく逆臣とされた者の子を中心に描き出す、これが非常に興味深い。
古代中国史を知らずとも、十二分に楽しめる作品だろう。噛み砕いて咀嚼しやすくしてくださっている。
彼は何を思い、何のためにその時代を駆け抜けたのか。まるで歴史書を捲っているかのような、そんな歴史小説でした。
ぜひともそのはじまりから終わりを見届け、後のことに思いを馳せて欲しい。ぜひご一読ください。
10話まで拝読したレビューになります。
紀元前630年頃の古代中国史を舞台に繰り広げられる人間ドラマが魅力的な本作。
主人公は晋国の君主である重耳と敵対し死没した郤氏の息子、郤缺。蹂躙を逃れるため貴族から没落し農民として質素に暮らしていたが、貴人としての礼節を忘れることはなかった。ある日、その姿を重耳の重心に見初められ「私が君公にお前を許すように言ってやるから戻ってこい」(めちゃくちゃ私訳)と言われて、再び戦と政の動乱に身を置くようになる。
君主に尽くすのか国に尽くすのか。晋の未来を憂う臣家たちそれぞれの立場が物語を動かしていきます。
中国史はまったくの初心者なので、馴染みのない言い回しや国名などを噛み砕きながら読み進めるのに少し時間はかかりましたが、慣れてくればサクサク読めました。合間にはさまる現代風な台詞や地の文もシャレが効いてて面白いです。きっと知識がある方ならもっと楽しんで没入できるはず!本来は脇役の郤缺に焦点を当てて作者様の想像力で描いたストーリーということですが、史実の厚みと作者様の解像度の高さで違和感なく、むしろ人間味増し増しで面白い内容になっています!
そして郤缺を囲む人物たちも個性豊か。タグにBLとありますが、これも不思議なことに「愛はないけど情はある」という印象の、しっとりとした描写になっております。郤缺に情婦という仮衣を着せて抱く権力者おじさん欒枝、食えなくて好きですね。郤缺の息子を弟にしたい士会もさっぱりとしていて好印象。人間味を感じるキャラクターたちとそれを生かす描写力。圧巻です。
最初は少し敷居が高く感じるかもしれない。だけどそこには私たちに馴染みのある人間ドラマが芽吹いています。ぜひご一読ください!
能遇到喜欢中国春秋时期历史的日本朋友,真让人开心。
对不起,因为我是用翻译软件阅读的,所以可能看到的内容和您想表达的内容有些偏差。
首先,春秋时期,晋并不是一个国家。当时的国家只有一个就是——周。周王朝是一个奴隶制国家,他的最高统治者称为天子。
晋是周的分封地,晋的最高统治者是公爵。
晋的最高统治者和周天子是一个祖先,都是周文王姬昌的后代。
春秋时期很类似日本战国时期,周天子就像当时的日本天皇,理论上拥有最高权利,其实势力很弱。已经控制不了大臣们之间的互相攻伐。大臣们互相攻伐的时候为了取得政治上的正义性,又需要借助周天子的名义。
晋,因为和周天子的血缘关系最亲近,所以分封地处当时的中原,黄河流域。当时是中国最肥美的地区。土地肥沃,道路通畅,文化中心。同时燕和秦又抵挡了犬戎(草原少数民族)的侵略。
在这么多因素的集合下,晋是当时最强大的分封地。(类似日本战国时期的织田信长)
额!说的好像有点多。
对不起了!
其次春秋时期的战争很有意思的。和大家想象的可能不一样。首先士兵只有国人(贵族,相当于日本的武士)才能担任,不是国人连上战场都不可能。
然后因为当时各个封地的统治者和国人基本上都有血缘关系,所以虽然打仗,但是战争的形式很形式化,要有流程。具体的操作步骤如下:
写一封信送给周天子陈述准备和谁开战以及开战的理由(理由例如他偷了我家的鹿啦,在什么酒席上骂我啦什么的)——周天子再去信询问另一方看理由是否成立——当开战理由成立后周天子再让他们约定开战时间——这时候准备攻击的一方要特别诚恳特别礼貌的写一封战书送到被攻击的一方(如果写的战书不礼貌不诚恳对方不回复就不能开战)——对方再特别诚恳特别礼貌的回复并约定时间(什么时候打,打多长时间,带多少军队)——双方向周天子备案,周天子审核后给对方可以开战的回复——拿到回复后,开始占卜,祭祀(人牲,宰杀奴隶祭天)——然后开战。
当然,在战场上也有很严格的规定。中国有句古话说“五十步笑百步”就是说的春秋时期的战争。
战场上不得砍杀背对着你的敌人。当转身就意味着放弃抵抗,不再参加战争了。这时候你可以从容的拿着你的武器穿着你的铠甲回家。
是不是很有意思?
春秋时期的战争,是君子之战。这种战争的改变有一种说法是从孙膑开始改变的。
也就是中国战国时期的开始。
对不起,说这么多,打扰了!
您能写中国春秋时期的故事真的很让我感动。