第38話 条件
「その娘を助けたいかい、長次?」
女将は長次を見下ろした。
「た、助けてくれ! 頼む!!」
「どんな形になってもかい?」
「どんな形? どういう意味だ? 何でもいい、助けてやってくれ、頼む!!」
女将は、振り返ると、後ろにいる若い男に、老人を連れてくるように言った。
「医者でございますね」
「そう。お願いできるかい?」
「かしこまりました」
そう言うと、老人は一度外へ出て、すぐに白衣を着た医者と看護婦らしき女を連れてきた。
「緊急処置はしました。あとは、あちらで」
医者がそう言うと、どこからか白衣の男たちがやってきて、妙子を担架に乗せた。
「待ってくれ! どこの病院だ? 俺も一緒に行く!!」
そう言ってついて行きかけた長次を、女将が止めた。
「あの娘は、これから手術さ。お前の出る幕じゃない。それよりも、お前には話がある」
女将は自分の部屋に来るようにと、長次に言った。
「まあ、悪い話にはしないよ」
「どういう意味だ?」
長次は不安を感じずにはいられなかった。
「どうだ、いい眺めだろう?」
大きな刃物を持った男が笑う。
「うう……」
辰夫の目の前には、全裸で逆さまに吊るされたミエの姿があった。既に両腕を切り落とされ、痛みで悶え苦しんでいる。揺れる度にギシギシと足を縛っている縄が締まっていく。
「こいつにはな、あの娘の痛みも味合わせてやれと、女将から言われてるのさ」
男はそう言うと、ミエの背中をグサリと差した。包丁を抜くと、血が吹き出してくる。
「グゥ……ヴヴヴヴヴ……」
苦痛の声を喉から絞り出して、ミエは意識を失い、そのまま息絶えた。
「このあと、足も切り離して、皮を剝いで、肉にするが、それも見たいか?」
男が笑う。
「ウッ……ウゴッウガッウガッ!!」
辰夫は、口を塞がれたまま吐いた。吐いたものは行き場を失い、また飲むしかなくなった。何度もそれを繰り返した。
「で、次はお前の番な」
そう言った男の顔を、目を見開いて、辰夫は見る。
「まさか驚いてるのか? 捨てるのは女の方だけで済むと思っていた、ってか?」
男は高く笑った。
「自分からここに入ってきたんだろう、お前。捨てられにな!!」
男たちが辰夫を押さえ、服を脱がすと、縄で手足を縛った。
女だけ捨てられると、都合のいいことを思った自分が馬鹿だったことに、辰夫は今更気付いたのだった。
「記憶を消すだと?!」
長次が驚いて大きな声を出した。
「静かにしな。人に聞かれちゃ厄介だ。」
女将が言う。
「妙子は助かる。だが、奥の間に入ったことは許されない。本来なら殺されているところだよ?」
「殺す?」
「見てみな」
女将が窓の障子を開けると、ガラスの向こうに、両手をもがれ、血まみれで吊るされた、裸の女の姿が見えた。ミエの死体だと気付いて、長次は声もあげられなかった。
女将は障子を閉めると、長次の顔を見て言う。
「勝手に奥の間に入った仲居も、こういう目にあわされたのさ」
「なんてことを……」
長次が、掴みかかろうと手を伸ばした瞬間、
「助けてやると言ってるんだ!!」
女将が手を振り払うように言った。
「助けてはやる。だが、記憶は消す。全ての記憶を、だ」
「記憶を消して放り出すつもりか?!」
「放り出しはしない。奥で飼う」
「飼う?!」
「お前も、奥の間担当だ。ずっと一緒にいられる。いい話じゃないか」
「そんな形で一緒でも意味がないだろう!!」
「おや、そうかい。記憶のない妙子は、もう愛せないってことなんだね」
「そ、そんなことあるわけ……」
「『妙子』という名も捨てさせる」
「な、なんで……」
「妙子は全てを『捨てて』やり直すのさ」
女将は不敵に笑った。
長次からも、『妙子』と呼びかけぬこと。これが条件だった。長次は、妙子を助けたい一心で、女将からの条件を飲んだ。
妙子が手術と入院治療を終えて帰ってきたのは、ほんの1週間後だった。そんな短期間で、あの傷を治せるような医者がいたことに、長次は驚きを隠せなかった。
「刺されて、死にかけてたのに……」
「みんな、この
女将が奥の間で働く者たちを集めて言う。皆が「はい!」と返事をし、持ち場に戻った。
「夕子、この子はあんたに任せるよ」
「わかりました」
夕子と呼ばれたホステスは、妙子、いや、華を連れて更衣室に向かう。
華は、病み上がりで、まだボーッとしているようで、伏し目がちに夕子についていった。
「妙子……」
その背中を、長次は複雑な思いで見ていた。「華だよ」と紹介された時に、長次は、華の真正面にいた。さっきもすれ違った。けれど、華は、長次には何の反応も示さなかった。
「本当なのか……本当に忘れてしまったのか、妙子……」
生きて帰ってきてくれたことは嬉しかった。心から嬉しいと思った。
けれど、彼女は、記憶を失っていて、長次のことも何も覚えていないのだ。
「何でだ?! 俺たちが何したっていうんだよ!!」
長次は、心の中で叫んだ。
叫びは誰にも届かなかった。
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