第50話 潮時
夕子は、裏口から出ようとして、老人に止められた。
「
「夕子様、いけません。あいつには話は通じません」
「もうね、やめたいの」
「……そうですか」
「やめたいと言ったら、やめられるかしら?」
「大きな代償を負うことになるかもしれませんよ?」
「お金なら、もういいの。もう、これ以上人が死ぬのは耐えられない」
「世の中は捨てられても仕方ないやつがいる、そうおっしゃったのは、女将さんです。それに夕子様も頷いておられた」
「そうよ。でも、罪のない人たちも沢山殺されたわ」
「あれは仕方がありません。場所がそういう場所なのです。関係ない者も夢から入り込んできてしまうことがある」
「だからと言って、その人たちまで殺すことはないでしょう?」
「それは……あいつの商売の関係で……」
夕子はカッとなって、老人を振り切る。
「いけません、夕子様!! 危ない!! いけません、そちらへ行かれては!!」
夕子は、屋台の店主の所へ行くと、
「お話があります」
と切り出した。
「夕子様!!」
老人が追いつく。
「なんだ?」
店主が口を開いた。
「もう、この契約を切りたいのだけれど」
「そうか」
「やめろ!!」
老人が店主を止める。
「では、この宿にいる全員の肉を貰うことになるが、それでもか?」
店主がニヤリと笑った。
「そんな……」
夕子が
「帰れ。お前たちは、俺の言う通りに動いていればいい」
宿の中にいる全員……恐らくは、従業員だけでなく、宿泊客さえも……。あの「鬼」のような屈強な男たちに捕らわれて……。
夕子は目眩を感じてふらつく。
「夕子様、さあ、戻りましょう」
老人に支えられるように帰る夕子の背中を、店主の声が追いかける。
「この前の若い男の肉は、意外と評判が良かった。また頼むぞ」
夕子はフラッと倒れそうになった。老人は、それを支え、裏口へと連れて帰った。
「佐吉さん、あなたは、敵なの? 味方なの?」
夕子が老人の顔を見ながら問う。
「……あいつの相棒です。ただ、やり方が酷くて、時々手を焼くのです、私も。」
「敵……なのね……」
夕子は悲しそうに呟いた。
12月も残り1週間ほどになった。相変わらず、裏の仕事は繁盛している。女将は機嫌がいい。
「どんどん金を落としてくれて、助かるわ。表の方の屋根の
「……」
「ちょっと、夕子、聞いてるのかい?!」
夕子は、つと立ち上がると、女将の部屋を出た。裏の厨房へ行き、包丁を持ち出す。そのまま、地下に降りた。
この宿には地下牢がある。昔、客の相手をして病気を
「あなたも犠牲者よね。」
そこには、
こちらでは、時々気味の悪い笑い方をしたり、うわ言を言ったりしている。食事は、やつらが用意した看護婦が、何かドロドロしたものを直接胃に流し込んでいるらしい。
「どちらにしても長くは生きられないでしょう。あちらの医学ではまだ」
やつらの仲間の医者は、そう言った。そうか。この女はもう死ぬのか。
気の毒に……と思っていたけれど。
「今、ラクにしてあげるからね」
そう言うと、夕子は、持ってきた包丁で、薫の胸を刺した。殺してやらなければ、この女を捨てたことにはならない。きっと捨てに来た、あの子達も困っているはずだ。
私にできること。この女を殺して……
「う……うう……」
薫がうめき声を上げる。
夕子は、薫が動かなくなるまで刺し続けた。これで、私も本物の殺人犯だと言わんばかりに。
夕子は、包丁を薫の胸に突き刺したまま、立ち上がると、返り血で真っ赤に染まった着物のままで、表玄関から外に出た。誰も止めることはできなかった。
夕子は、そのまま、近くの交番に入って行った。
「人を殺しました。一緒に来てください」
交番にいた警官が驚く。着物が血まみれだ。慌てて、本部に連絡し、応援要請をした。そして、夕子についていく。
「こちらです」
夕子が指差す場所には、包丁が突き刺さっているだけ。
「どういうことですか、これは?」
「あら、死体が動いたのかしら?」
「動いた? だと?」
「中庭あたりにいるかもしれませんね」
警官は、応援に来た数名の警官と共に、宿の中を探した。
中庭では、今まさに、捨てられた男が殺されそうになっているところだった。
また、奥の間に入った警官たちは、そこで行われている違法賭博や、指名手配中の奴ら、逃亡者、詐欺師……犯罪者の群れを見つけた。
夕子が殺した魂は、どうやら、現実の本体の方に帰ったらしい。向こうでも、すぐに似たような形で死んでしまうのだろうが。
「夕子……お前……何を……?」
「人殺しですわ、お姉様。」
「お前は誰も殺してないだろう?」
「地下牢の女を殺しました。」
「どうせ消え失せるじゃないか!! そんなの黙ってりゃわかりゃしないのに!」
「もう、遅いわよ、お姉様。もう、この宿は、おしまい」
「何やら中が騒がしいな」
今日も端肉をつまみながら、老人が、店主に言う。
「そうだな。ちょっと早いが、そろそろかもな」
店主が笑った。
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