第8話 捨てに来る場所
「葉月ちゃん?」
「葉月ちゃん、大丈夫なの?」
出社すると里中さんと竹田さんが一番にかけよってきてくれた。
「大丈夫? ホントに風邪だったの?」
里中さんが心配そうに言う。
「はい。ご心配おかけしました。すみません、人が足りないときに休んじゃって」
「いいのよ、いいの。最近、葉月ちゃん疲れてたみたいだったし、それでだったのかな」
「そうかもしれませんね」
竹田さんも声を落として言う。
「ホントに大丈夫? 店長になんかされたとかじゃないよね?」
「あー、それはないです。大丈夫です」
自分のことを本気で心配してくれる先輩二人に、心からありがたいと思った。
一方で、秀一郎は、急に二人して休んだことを同僚からからかわれていた。
「真田さん、ホントは雨宮さんとつきあってるんじゃないの〜?」
「時々、一緒に車で帰ってるの、見ますよ〜」
秀一郎は、
「そうだねえ。そうだと嬉しいんだけど」
と、かわしていたらしい。
うちの会社には、夫婦や恋愛関係にある二人を同じ部署には置かないルールがある。一緒にいればイチャついて仕事が遅れる、などという、馬鹿げた古臭い考え方をする、上の方々がお決めになったようだ。それで、一緒にいたい秀一郎と私は、交際を隠している。一緒にいるといっても、秀一郎は調剤薬局の方で、私は隣の店舗のドラッグストア。更衣室こそ、どちらもドラッグストアの上にあるが、仕事中は殆ど行き来がない。
わざわざバス停近くまで歩いて、待ってくれている秀一郎の車に乗り込む。
「いっそのこと、このまま一緒に住もうか?」
秀一郎が帰りの車の中、呟くように言う。
「え?」
「葉月さえ嫌じゃなければ、だよ?」
「嫌なわけないじゃない。でも……」
「でも?」
「私……もう、戻ってこれるかどうか……」
秀一郎は黙る。これ以上、この人を私に関わらせていいんだろうか? とさえ思う。
ふと、あの時に感じた疑問が横切る。
「私……何で見つかったんだろう? あの時……誰もいなかったのに」
「誰もいなかった?」
「そう。一瞬、誰かいる! と思ったら、鏡だったの」
「鏡?」
「うん。いろんな道具の入ってた部屋に、沢山鏡が置いてあって、その1つに自分が映ってた」
「それ……本当に自分だった?」
「私だったよ? あっ! ……ストールを……被ってなかったかも……」
「そいつだ……」
「……」
「俺も一緒に行くことはできないかな?」
部屋に戻って、着替えていると、ポツリと秀一郎が呟く。
「どうやって?」
「この前のストールみたいに……」
「手を握って寝てたって、途中ではずれるのか、一緒に行ってないんだもん、無理だよ。……それに」
私のことを辛そうな目で見つめる、彼の目を真っ直ぐに見て、私は言った。
「秀一郎をあんな目にあわせるくらいなら、私、今、ここで死ぬ」
「一緒なら、死んでもいいんだ……」
悲しみがこぼれ落ちるように、彼が呟く。
「秀一郎?」
「何にもできないまま葉月を失うくらいなら、俺だって、今、ここで死ぬ」
「……」
「……」
もう言葉にならなかった。
「これで、はずれないかな?」
「引っ張ってみて」
「うん、大丈夫みたい」
「これさ、夜中、トイレ行きたくなったらどうするの?」
「そうだなあ、引きずって行くさ」
あはははは。
二人の手をしっかりと布で縛って、抱き合って眠った。
秀一郎の胸の中は温かい。ぽかぽかと。いつもの寝息が心地良い……
「ほう、なんだ、お前さんも、連れてきたい旦那さんがいたのかい」
老人に言われて振り返ると、キョロキョロ辺りを見渡している秀一郎がいた。一緒に来れたんだ! ……喜ばしいことなのか? と思うけれど。
「彼は、私の恋人です」
私がそう言うと、老人は顔をしかめた。
「お前、連れてくる男が違うぞ」
「どういう……ことですか?」
と、老人は通路の向こうを見て、通路の反対側に私達を隠れさせた。
「これはこれは、毎度ありがとうございます」
老人が丁寧に迎えたのは、でっぷりと太った年老いて尚元気そうな男と、艶のある綺麗な女の人だった。
「いやいや、今日も楽しませて貰うよ」
男はそう言うと、お金だろう、紙を半分に折って老人に渡した。
「いつもありがとうございます」
老人が丁寧に頭を下げると、二人は中に入って行った。
すぐに、女の人が出てきて、老人に言う。
「なかなか金が尽きないみたいで嫌になるわ。早く肉になればいいのに!」
と、私達がいることに気付いた。
「じゃあ、あと、お願いね」
丁寧にお辞儀をする老人にそう言うと、私達の方をチラッと見て、
「ふんっ」
と
「今のは?」
恐る恐る老人に尋ねる。
「ここはな、要らぬ男や女を捨てに来るところだ」
「捨てにくる??」
「訳ありなんだよ。本当に殺したいほど憎い奴を捨てて帰る場所なのさ。あの男は、毎回ここで女や博打で金を吸い取られていくように仕向けられているのに、運のいいことに、勝ってそのまま帰ってしまう」
「負けたらどうなるんですか?」
「負け続けて金がなくなれば、お前さんが一番よく知っている死に方をする」
秀一郎が、サッと、私の前に出た。
「もう、死なせません。少なくとも、彼女一人では」
老人は笑った。
「このお嬢さんは、あんたをここに置いていけば、助かるんだ。何も無理してここから逃げることもしなくてよくなる。あんたの命をこの宿に捨てていけば、それでな」
「そんな!!」
私が叫ぶと同時に、秀一郎が叫んだ。
「それなら俺はここに残る。葉月を解放してやってくれ!!」
「秀一郎!!」
「いいから、葉月は帰れ!!」
「待て。待て待て、お前たち」
老人が、その場を止める。
「お前たちみたいに、本当に好き合っている奴等が来るところではない」
「だって……」
私が、もうぼろぼろに泣きながら言おうとする言葉を遮り、
「本当に、捨てたい男を連れてこい。今日はここを閉める。お前たちは、もう戻れ」
二人、同時に目が覚めた。腕はしっかり縛ったままだ。
「なんともない……」
二人で無事に帰ってこれたことを喜んだ。何より、秀一郎を死なせるようなことがなくて本当によかった。けれど……
「『本当に捨てたい男を連れてこい』ってどういうこと? 連れて行くったって……どうやって……」
もう一度、一人で逃げに行くか、捨てたい男を連れて行くか、どうすればいいんだろう?
私は、また頭を抱えなければならなかった。
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