囚われる

緋雪

葉月の場合

第1話 同じ夢

 気がつけば、曲がり角にいた。


 人が二人並んで歩くのがやっとくらいの細い道。ここまできた道は、薄らぼんやりとしか覚えていない。両側ともブロック塀だったような気がする。そして私の右手側に続く道もそうだった。

 それは、両側にブロック塀のある細い道の曲がり角。


 左手に、大きな屋敷の裏口があった。その数メートルだけが低い生け垣で仕切られ、角までの途中に低い木製の門戸がある。角を過ぎると、またブロック塀が続いていた。「道」というよりも、この入口への「通路」になるんだろうか。狭い狭い空間に思えた。上を見上げれば空はあるのだけれど、なんだか息が苦しいような、空気が薄いような感じだ。その屋敷の緑を除いては、全てが灰色に見える。



 覚えている。私は何度もここを通っている。

 と言うより、この空間から、ずっと逃げられずにいるのだ。


 一か八か走る。走り抜ける。この先、右側に屋台がある。何の屋台かは知らない。醤油の焼ける匂いがするから、焼き鳥か何かだろう。そこの店主に見つかると、またやり直しだ。そうっとそうっと、左側へ、反対側へと歩を進める。

 よし。屋台が見えなくなった。走ろう。この先は川だ。ここを渡りきれば逃げられるはず……逃げられるはず。


 私は、川の中に少し入って、向こう岸の木に、落ちていたロープに石をくくり付けたものを投げて巻付け、それを頼りに向こう岸に渡った。

 よし、これで大丈夫だろう。追いかけてはこないだろう。何に追われているのか自分でもわからないのだが。


 少し歩いて、ハッとした。目の前に、屋台があったのだ。反射的に逃げた。

 またか? またなのか?


 私は、また、同じ曲がり角に戻ってしまっていた。



 バサッ!!


 布団を蹴り飛ばすように飛び起きる。凄い寝汗。

 私は軽くシャワーを浴びると、一旦部屋着に着替えた。


 あれは夢だ。夢だと知っている。何度も何度も同じ夢を見るから。多分、夢の中の私も、夢の中だと気付いているはずだ。



里中さとなかさん、同じ夢って見ることありますか?」

ランチ休憩の時、その日のシフトが一緒になった2歳年上の女子社員に、聞いてみた。

「ん〜。どうだろう。夢ってそんなにはっきりと覚えてたことあるかなあ」

里中さとなか利恵りえさんは、頭の中を探すように斜め上を見る。

葉月はづきちゃんは、夢ってはっきり覚えてる方?」

「ええ。私、夢もオールカラーで、ストーリーもほぼ覚えてるんです」

「へえ~、凄いね。毎日?」

「毎日ってことはないですけど、夢はよく見る方だと思います」

「寝てる時までいろんなことしてたら、起きたときに疲れてない?」

「あ、ああ、それはあるかも……」

「なんか対策考えて、ゆっくり眠るようにした方がいいよ」

「そうですね」

「ちなみに、うちの『グッドヤスミン』がオススメですよ、お客様」

あはははは。二人して笑った。「グッドヤスミン」は、うちのドラッグストアで扱う、安眠を助ける薬だった。


「ホントに飲んでみようかな……」

チラッと、そう思った。



 疲れてるのかなあ。……そう言われてみれば、最近、シフトを入れ過ぎな気もする。世の中に蔓延まんえんする新しいウイルスのせいで、保育園が休みになったりして来られなくなったパートさんや、本人が感染して出てこられない社員がいるので、どうしても人手が足りない。

 その点、独身で身軽な一人暮らしの女は格好の労働力だ。いやいや、仕事は嫌いではない。私でよければ使ってください。そう思う。会社にしてみれば、パートに払うお金が多くなる方が、痛いような気がするから、社員がその分補った方が安く上がるというメリットがあるのかもね、と思ったりするけれど。


 その後、しばらく見ていなかったので、その夢のことは忘れていた。



 今日も一日よく働いた。店長が、また、ちゃんと説明しないまま商品を売ってしまって、レジのカウンターをガンガンと叩いて文句言ってきたお客さんがいた。まあ、そんなことは、よくあることだ。「申し訳ございませんでした」と、とっとと店長を差し出せばいい。

 自分がわかるからって、他の人も当然わかってるでしょ、とか思ってるからだわ。反省しろ。そう思いながら風呂上がりのビールを飲み、

「あ〜、生き返る! 幸せ!」

と、そのまま寝てしまった。



 気がつくと、また、あの曲がり角にいた。もう夢の中だということはわかっている。このまま、目が覚めるまで、ここでじっとしていても別にかまわないのだ。でも、こう何度も何度もここに「囚われる」夢を見るのは、精神的によくないよなあ、絶対。


 ふと、気付く。


 いつも、前に逃げることばかりを考えていなかっただろうか?


 そう考えて、恐らく、初めて後ろを振り返った。同じく細い通路。随分長く続いているけれど、向こうに抜けているのはわかる。

 私は、そっちへ向いて、そろそろと歩き始めた。この夢に何度も捕まっていて、進行方向には何度も逃げているから、そっち側に何があるのかはわかっていても、反対側のことは何も知らない。「焼き鳥屋台」みたいなトラップポイントも知らないのだ。どこから何が飛び出してくるかもわからない。そうっとそうっと歩いて行った。


 入口に低い柵のような扉はあったが、鍵はかかっておらず、簡単に外に出られた。

「何? こっちから出ればよかった、ってこと?」

呟きながらあたりを見渡す。


 商店街? 出てすぐ左に、八百屋さんがあった。その向かいは床屋さん、印鑑屋さんがあって、雑貨屋さん……、私は通路から出て、右側へと歩を進めた。この、大きな建物が何なのか見たかった。


「あれ?」

建物がない。通路を出て、左の八百屋を確認し、その向かいの店を見ている間に、私が通ってきた通路はなくなり、そこは広い駐車場になっていた。

「えっ? どういうこと?」 

いや、夢にはありがちなことじゃないか。そう思いながら、隣の八百屋のおばさんに声をかけた。

「あの、ここにお屋敷か何かありませんでしたか?」

「大きな宿があったのさ。昔はね」

「昔は……」

「もうとっくの昔に取り壊されたんだよ」

取り壊された? 今通ってきた通路はなんだったんだろう……。

「誰にも言うんじゃないよ、この隣にね、細い通路があったのさ。……そこに入ってね……逃げられなく……逃げられなく……逃げ……逃げろ……」



 バッ!!


 なんだ今のは?! 最後の、おばさんの言葉。どんどん低くなって、最後に、男の人の声で「逃げろ」?

 屋敷、いや、宿が取り壊されて、駐車場に? 通路がそこに入って逃げ……? 逃げろ??

 

 まったくわからなかった。まあ、夢なんてそんなもんだし。全部辻褄の合う夢なんて殆ど見ない。


 それにしても……と思う。

 

 この訳のわからない、気持ちの悪い通路の謎を解かない限りは、この夢に囚われ続けるのではないだろうか。


 寝て起きたら疲れている。まさにそんな状況だった。

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