第5話 オープニングセレモニー
運転手が左折のウインカーをだして、バスは細い坂道に入った。アーチ型の入り口には『ホテル パラダイスラグーン』の文字が大きく描かれていた。
「ご乗車のみなさん、まもなくこのバスはパーティ会場であるホテルに到着します!」
井上の声のトーンが上がった。両脇に雑草が生い茂っている坂道の勾配が急になる。バスのうなるような低いエンジン音が、しんと静まりかえった杉林に吸い込まれていく。ほどなく、急だった坂の勾配がゆるやかになってくると、地上八階建ての白壁のホテルが姿を現した。井上が言ったとおり、ホテルの入り口にも駐車場にも他の宿泊客の人影は全くなかった。
(なにこれ? ホテル貸しきりだなんて言っていたけど、つぶれたホテルじゃない?)
遥は目の前に現れた薄汚れたホテルを見て、なんとも言えない複雑な気持ちになった。
「お待たせしました、会場に到着です!」
マイクロバスは、しんと静まりかえった駐車場の木陰のある場所に止まった。井上の説明では、ホテルは貸しきりのはずだったが、こうして間近で見ると、閉鎖されたか、休業中かのどちらかだろう。手入れのされていないホテルの外観や雑草が伸び放題の駐車場を見ればあきらかだ。
「本日は、私共主催のゲームパーティに参加して頂きまして、本当にありがとうございます。これからバスを降りましたら、ゲームの説明をいたします」
井上は後ろに座っている十名の参加者に、元気のよい声で話しかけてバスの扉を開けた。遥は井上のすぐ後を追いかけるように、眩しく照りつける太陽の下、バスから降りた。後ろには、さっきなれなれしそうに井上と話していた女が大きなあくびをしていた。退屈な気持ちを演出しているのだろうが、周囲を注意深く観察している視線は抜け目がなく、何かに怯えているようにもみえた。
(こんなところに連れて来て、いったい何やらせる気なのかしら?)
バスの外に出ると風景を見る振りをして、遥はちらっと後ろの参加者を見てみた。一見して一癖ありそうな人達の匂いをすぐに感じた。所々ひび割れているアスファルトの地面が熱い。遙はまぶしい太陽の光を見上げた。
「みなさん、ここがゲームのスタート地点となりますので、私の前に横一列にお並びください!」
参加者の年代は幅広く、十八歳くらいのギャル風の女から五十才は軽く超えているだろうスーツ姿の男まで、親子ほどの年齢の開きがあった。井上はゲーム参加の十人が目の前に揃うと、丁寧にお辞儀をした。
「本日は私共が開催するゲームパーティに参加して頂きありがとうございます。担当の井上と申します。さて、みなさんもご存知であると思いますが、今回のゲームには素晴らしい特典を用意しています。なんと、この中の一名様に三千万円を贈呈します。また、当社においての全債務の棒引きも副賞としてついおります!」
井上は抑揚のある通りのよい声で話を進めていった。
「それではこのゲームの説明をいたします。このゲームの目的は、目の前のホテルのどこかに置いてある賞金三千万円の入ったケースを、ひとりで持ち帰ってくることにあります。二人以上で持ち帰った場合、賞金は没収となってしまいます。ケースは隠してはありますが、壁に埋め込んだり、天井に隠したり、金庫に入れて鍵をかけたりはしていません。少し考えれば見つけられる場所に隠してあります。一人で探すか、皆さんで力を合わせて探すかは自由です。タイムリミットは二時間です。がんばって賞金を手に入れてください。
また、ゲームの途中で必要な情報をお知らせする為、待ち受け専用の携帯電話をお渡します。かわりに皆さんがお持ちの携帯電話はこちらにお渡しください。また持っているお荷物も貴重品を除いて私共が責任を持ってお預かりします。それでは一人づつ名前を呼びますので、名前を呼ばれた方は前へどうぞ。1番、加藤さん!」
井上が印刷した名簿用紙を見ながら一人目の名前を呼んだ。派手なTシャツを着た長身の若い男がすぐに声を上げた。
「何言ってるか意味わからねえけど、そんなに金持ってるんならケチってないで俺に全部くれてもいいじゃん!」
「それは無理というものです。正式にゲームに勝った人しかお金はもらえません。また事前の抽選の結果、加藤さんは三分間遅れてスタートして頂きます」
井上が丁寧な口調で言った。
「ちょっと待ってくれよ。なんで俺が三分遅れなんだよ。スタートが遅れたら金を見つけるのが遅くなるだろ!」
横柄な態度で加藤が怒鳴った。
「そのかわりゲームの終了時間も、三分間延長となりますのでご安心ください。それともゲームへの参加をやめておきますか?」
「なんだよ! そんなんありかよ!」
加藤は声を荒げたがそのまま黙った。
「何のゲームかと思ったら、私達を肴に楽しもうって魂胆だね?」
目元のきつい太った中年の女がいやみたらしく言った。
「佐野さん、私達は皆さんの為にこれを企画したんですよ。まあ、いやなら参加しなくても結構です。その代わり債務の取立てはこれまで以上に厳しくなるでしょうね」
井上は丁寧な口調で佐野に答えてから、二人目の参加者の名前を呼んだ。
「2番、宇佐美さん! このお金でまたレースで一発当てる事が出来るといいですね!」
「要はホテルに隠してある金を一人で持ってくればいいんだろ?」
派手な黄色のジャージを着た中背の男が短く刈り込んだ頭をなでた。参加者の誰が見ても最年長の部類に入っている一人だ。
「その通りです。先ほども申しましたが、特典として三千万円の賞金と債務の棒引きを用意しています」
井上がゲームの特典をもう一度説明した。
「わかった。それを聞いて安心したよ」
日に焼けた宇佐美の肌は茶色というよりこげ茶色に近かった。
「次! 先ほど文句を言っていた佐野さん。あなたは3番です。賞金が手に入ればお母さんの介護は業者に任せて、パチンコやスロットを思い切り楽しむことが出来ますからね。がんばってください」
「わかったよ、ここまできたらやるしかないね。まあ、損することは何もないんだから」
典型的な肥満体型の佐野が観念したように返事をした。
「4番、遥さん」
「はい! なんだかゲームの趣旨がよく分からないんですけど、勝ったら賞金はちゃんともらえるんですよね?」
期待と不安が入り混じった声で遥が井上に問いかけた。
「安心して参加してください。ゲームに勝てば、賞金の三千万円は全部遥さんのものです」
「5番、内藤さん!」
「ういーっす! まあー、みんなには悪いけど賞金は俺がもらうぜ。へへっ」
ふざけた身振りで返事をした内藤は、まだ少年の面影を幾分か残していた。たぶんこの中では一番年下に違いない。井上は続けて次の参加者の名前を呼んだ。
「6番、中谷さん!」
中谷は自分の名前を呼ばれても、すぐには返事をしなかった。もったいぶった、ふてくされた態度は、あきらかに井上を挑発していた。
「井上さん、借りた金はいつかちゃんと返すからさ。うちの組も最近苦しくて、しのぎが減ってるんだよ。わかる? 警察の取り締まりも厳しくなったし、やばいことするとすぐ捕まるしさ。ここで愚痴を言ってもはじまらねえけど、まあ、これからも仲良くやっていこうぜ! 井上さんよ!」
人をこばかにしたような口調で、中谷は井上の足元につばを吐いた。
「わかっていますよ、中谷さん。これからも宜しくお願いします」
井上はあっさり中谷の言うことを受け止めて微笑んだ。
「次、真樹さん。あなたは7番です」
井上が名前を呼ぶと、背のすらりと高い年齢三十歳程の女がこちらを向いた。
「相変わらずやる事がゲスだね」
ぞっとする程の色気を女は漂わせていたが、その表情は無表情で精彩がなく、目は暗く沈んでいた。
「真樹さん、そういう事は言っていはいけませんよ。もとはといえば、真樹さんが入ったばかりの構成員と浮気をしたのが原因なんですから。いくら会長の奥さんでもやっていい事と悪いことの区別はつけて行動して頂かないと」
「次、統合教団の佐々木さん! あなたは会長の人の良いところに漬け込みましたね。会長の前世に悪い霊が取り付いているといって、高価なお払いや書物を無理に購入させました。そして最後には行方をくらましました。あなたを信じていた会長は大変悲しんでいますよ。あなたは8番です」
「私は逃げたのではありません。会長をお救いするために、本部に修行に行っていただけです」
詰襟の上下の白いスーツを着た男は、冷めた声で面倒くさそうに言った。
「あまり嘘をつかないほうがいいですよ。全部ばれているんですから」
井上が不敵な笑みを浮かべた。
「次! 9番の加奈さん。大切な彼氏のためにも、がんばって賞金をゲットしてくださいね!」
井上が笑いかけると、気の抜けた声で小柄な女が返事を返した。
「はーい! ヒカルのために頑張りまーす!」
加奈は下着が目に見えるほど短いミニスカートをはいていた。
「最後10番の中堂さん。あなたは架空の投資話を持ちかけて、ずいぶん善良な人を騙していたそうですね。幸い私達はあなたの罠には落ちませんでしたが」
ところどころ顔にあざのある中堂はむっつり黙ったままだ。
「参加者は全部で十名です。皆さん、がんばって大金が入ったケースを見つけてください。皆さんの行動は各所に取り付けた監視カメラでチェックしています。監視カメラを壊した方は即失格となりますのでご注意ください。それでは三分遅れの加藤さん以外はスタートです!」
井上が右手を高く上げて、ゲーム開始の合図を出した。加藤を残した参加者九人はラブホテルの入り口に向かって、はじめは戸惑いながら、だがすぐに全速で走り始めた。
「全く、なんでこんなことしなきゃいけないのよ!」
走るのが苦手な佐野は、ふらふらした足どりで前を走っていく八人を追いかけた。
「佐野さん、早く行かないと賞金とられちゃいますよ!」
井上が佐野の背中から声をかけた。残された加藤は早くスタートしたくてたまらない様子だ。
「まだ? もう三分たったんじゃないの?」
「もう少しです。その前に一つ面白い事を教えてあげましょう。前回、三分遅れでスタートした人は、ホテルの入り口に入った途端、他の人にボコボコにされましたよ。大金がかかると、時として人間というのは、別人のようになってしまうものですね……」
井上は腕時計にちらっと目をやってから、横目で加藤の不安を煽った。
「脅かすなよ、あの腰抜けどもに俺がやられる訳ないだろ!」
ちょっとびっくりした顔で加藤が答えた。
「そうならないといいですが。それではスタートしてもいいですよ」
「分かったよっ!」
加藤は井上の前を力なく通りすぎて、ホテルに向かって走っていった。井上は音のない強暴な嵐の前触れを感じた。
「秋葉、先に出発した九人にメールは送ったか?」
運転席で携帯のボタンを押している男の耳に井上の声が響いた。
「はい! 送信完了しています」
「面白くなりそうだな……」
太陽の強い光で熱くなったアスファルトが靴底を焦がす。山々を流れる心地よい風はまだ吹く気配はなかった。
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