第7話 3分遅れの生贄

「あの野郎、脅かしやがって、あのフヌケどもに俺がやられる訳ないだろうが!」

 加藤はホテルの入り口に走っていきながらぼやいた。ホテルの入り口のドアが目の前に近づく。緊張が極度に高まっていた加藤は、ドアを押し開く前に大きく深呼吸をした。

「中に入ったら他の奴はあまり信用しないほうがいいかもな……」

 加藤は注意深く静かにドアを開けた。薄暗い空間が加藤の視界全体を支配した。緊張と恐怖の為に体が小刻みに震える。密閉したホテル内は蒸し暑くかび臭い匂いが充満して吐き気を引き起こすほどだ。

「この埃っぽい暑さなんとかしてくれねえかな……」

 閉まったドアの向こう側から、ドアに鎖を掛ける金属音が聞こえた。加藤は後ろを振り返らず一歩、また一歩と前に進んだ。

「外に出られないようにしようって魂胆か、ご丁寧なことだぜ…… おい! 誰かいないのか!」

 薄ぼんやりとしたの明かりの中で加藤が声を絞らせて叫んだ。

「誰もいねえのかよ……」

 かび臭いサウナに入ったように、じっとりと皮膚の下から汗が噴出してきた。しんと静まりかえったホテルのロビーをゆっくり見回してみた。人の気配のないがらんとした光景は、加藤を孤独と恐怖に突き落とすのには十分すぎるほどだ。

「まいったな…… これからどうするか。おい! 本当に誰もいないのか!」

 その時、焦燥しきった力のない声にやっと返事があった。加藤の目の前に現れたのは真樹という名前で呼ばれていた女だった。

「なんだよ! いるんなんら早く出てきてくれよ」

「悪かったわね。誰が来たか分からなかったから様子を見ていたのよ」

 その後ろには遥、加奈、佐野が不自然な笑みを浮かべて立っていた。

「他の連中はどこ行ったんだ?」

「あなたの後ろにいるわよ。ほら!」

「よっ!」

 加藤が呼び掛けられた声の方向に振り向くと、男がきらきら光る灰皿を頭上に振りかざすのが見えた。

「ま!」

 発音できたのは「待て」の初めの音だけだった。「て」の発音はあごを砕き割った灰皿の音にかき消された。口の中に溢れ出した血と砕けた前歯が床にこぼれ落ちた。

「ヴごぉーーっっ!」

 加藤は滴り落ちる真っ赤な血を両手で止めようと必死に抑えた。唾液と涙が泡みたいな

ピンク色の液体に変わった。

「ひぇっ! ひゃめっ! いひーーっっ!」

 激痛のために涙で顔がぐしゃぐしゃになった加藤は膝から崩れ落ちた。

「やめひぇーーっ! さすけてぇーーーっ!」

 両手を男達に向けて高く上げ助けを懇願する加藤に、三人の男が隙を置かずにまた襲いかかった。

「悪いが両足を折らせてもらうぜ! みんな、こいつの手足を抑えてくれ!」

「一人で遅れて来るのが悪いんだからな!」

「ちょっと往生際が悪いよ!」

 九人がかりでパニック状態に陥っている加藤の両手と両足を無理やり床に押さえつけた。

「よし右足からやるぞ!」

「いいよ! やりな!」

 力いっぱい振り下ろした灰皿が加藤の右足のすねを直撃した。鈍く骨の砕ける音がその場にいた全員の耳に響いた。

「あぁあーーっ!」

 絶叫した悲鳴は語尾が不自然に上がっていた。

「次は右足だ!」

 今度は真樹の振り下ろした灰皿が、加藤の左足のすねを襲った。ぐしゃっと骨の潰れる音がした。全身の神経が千切れたような感覚と、暖かい粘液のようなものが叩き割られた左脛から体中に充満した。

「おまへひゃーっ! 許ひゃねーーぇえっ!」

「がたがたうるさいんだよ!」

 持っていた灰皿をつかみなおすと、真樹はためらいなく加藤の頭を殴った。手加減したつもりだったが、額の肉がぱっくり割れて血が噴出した。

「しばらくのびてな」

 真樹はハイヒールの先で動かなくなった頭をこつこつ叩いた。真っ赤に充血した目は大きく見開き、更に大きく開いた口からはいちごミルク色の泡が床まで吹き出していた。

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