3.流行の髪型
「いーやんセンセ、ほっといてよ!」
放課後の教室でそう叫んだのは叶依。まだ完全に慣れたとは言えない、始業式からたったの数日後。いつものように海帆と帰ろうとしていた叶依を田礼が呼び止め、叶依の髪のことを注意していた。
ほとんどの生徒は何もないのに、叶依だけが茶色かった。
「校則で禁止されてるやろ」
髪の染色や脱色が禁止されているのは知っていたが、
「そんな、誰にも迷惑かけへんねんからいいやん!」
それが人に迷惑だという話は聞いたことがない。色以外に形についてもいろいろ規則があったが、それはすべて、学校側が世間に対して良い評判を得たいがためのことだった。高校は義務教育ではなく、学びたいから来ているわけで、髪の色と学力には何の関係もない。中にはとりあえず来ている生徒もいるが、個性は尊重されるべきだ。
「……明日、黒くして来いよ」
そう叶依に言って、田礼は職員室に帰っていった。
「いーやでーすよーだ!」
田礼が遠くへ行ってから、叶依は変な顔でそう言った。
「ずっとこれでワカナしてんのにさぁ、黒くしたらイメージ変わるやん」
しばらくブツブツ言って、海帆や史と喋りながら叶依は学校を出た。いつもなら直帰するのだが、今日は自分の寮の前で海帆と史を待たせていた。駅ビルの広場でギターを弾く日で、史と海帆はそのままバイトだったのだ。
二人のバイトが始まるまで時間があるので、しばらく三人は座って喋っていた。それでも暇なので叶依は持って来たギターを出して何か適当に弾き始めた。叶依オリジナルで、海帆も史も、その曲を知らない。というより、タイトルが決まっていない。
「あれ? いっつもこのギターやっけ?」
叶依のギターを見てそう言ったのは史だった。前は歩きながら、最近はバイトをしながらワカナを見ていたのでついでにギターも見ていたのだが、いつも持っていたものより大きい気がした。
「
「めっちゃ高そうやでこれ。いくらしたん?」
史は値段を聞いてきたが、
「知らん。なんか……家にあってん」
いつもは自分で買ったギターを使っているが、今日持っているそれはどこで手に入れたのか叶依は記憶になかった。綾子がくれたのかと思って聞いてみたが、綾子は「買ってないよぉ。叶依ちゃん誰かに貰ったって言ってなかった?」だった。けれど叶依にギターをくれるような知り合いもおらず、他に心当たりはない。
叶依が次の曲を弾いている間に史はバイトの時間になり、海帆と叶依に「じゃあな」と言ってコンビニに入って行った。叶依の周りにもいつしか人が集まり始め、時刻はもうすぐ夕方五時。学校帰りの学生や、仕事帰りのOLが多い時間帯だ。叶依は宿題があるので午後六時頃にはギターをやめ、コンビニでお菓子を買って帰ることにした。まだ史がバイト中で、叶依は敢えてそのレジを選んだ。海帆もバイトがあるらしく、五時半頃に叶依と別れていた。
(みんなバイトかぁ……私もバイトしよっかなぁ……)
けれど叶依はギターの予定が多くあるので、バイトをする時間はなかった。
次の日、叶依は田礼に『髪を黒くして来い』と言われていたが、もちろん茶色いまま登校した。海帆が入学式のときに叶依が同じクラスだとすぐにわかったのは、髪の色のおかげらしい。史も、式場が薄暗かったのでその時はわからなかったが、教室に戻ってから叶依の存在に気付いたと言っていた。
「だから私は黒に出来んのよ」
叶依がいつものように海帆と喋っていたとき、誰かの視線を感じた。
「ん? えっと……片瀬さんやっけ?」
やはり誰か・おそらくクラスメイトの片瀬珠里亜が叶依と海帆を観察していた。彼女は見た感じは普通だが、叶依は心成しかそこから変なオーラが出ているのが見えた。けれどいきなり避けるのも良くないので、とりあえず話してみた。
「片瀬珠里亜でーす。よろしく」
名前が珠里亜というのにちょっと笑ったが、とりあえずは普通の子だった。叶依と海帆も適当に挨拶し、珠里亜には浜名時織、木桜夜宵という友人もいた。三人は叶依や海帆に比べれば控えめだったが、どうやら珠里亜は美術部とコーラス部を掛け持ちしているらしかった。人は見かけによらないとよく言うが、このことか。
その高校では月に一度、服装・髪型などの検査があった。制服はちゃんと着ているか、制鞄に変なものをつけていないか、その他学生らしくない格好をしていないかというチェックだったのだが、
「若咲、おまえまだ茶色いぞ」
やはり叶依は田礼に怒られた。
「地毛やったらいいけど地毛ちゃうやろ」
「ほっといてって! 黒には出来ん!」
年齢的には田礼のほうがはるかに上だが、態度だけは叶依のほうが確実に上だった。検査のときや他の先生が近くにいるときはとりあえず叶依に注意したが、それだけだった。田礼は絶対に叶依には勝てないことを自覚していた。田礼がいなくて他の先生に怒られることももちろんあったが、叶依の両親が海外にいるために保護者呼び出しはなかった。代わりに綾子に注意することはあったが、綾子自身は叶依のそれを認めていた。
「叶依、一人暮らしで良かったなぁ」
「うん。でも私……親の顔知らんで」
叶依は小さい頃から綾子に育てられていたため、両親の顔は覚えていない。綾子からは『海外にいる』と聞いていたが手紙や電話を貰ったことは一度もなく、本当は両親はいないのだと思うようになっていた。もしいたとしても、叶依の前に出てきたとしても、彼らを親だと認めるにはかなりの時間がかかるに違いない。
「若咲さーん髪茶色いなーあかんでー」
叶依の髪のことを言うのは教師だけではなく、史もその一人だった。彼は既に叶依の友人なので教師のように怒っているのではなかったが、彼が叶依にどうこう言うのもおかしかった。
「そういうあんたはハリネズミやん。それもあかんで」
史の髪は茶色くはなかったが、全てガチガチに固めてスーパーハードに立たせてあった。それを最初に見たのは最近になってからなのだが、生徒手帳には『流行の髪形は禁止』と書いてあった。史の髪型が流行と言えるのかはわからないが、とりあえず普通ではないので校則違反。と、叶依は勝手に決めた。
叶依の髪のことを何も言わない先生は知原だけだった。
「おまえ、いつ黒くすんねん?」
いつかの放課後に叶依が海帆や珠里亜と喋っていたら、また田礼が言いに来た。
もちろん叶依がその相手をするわけがなく、
「嫌ーっ! もーっ!」
叶依は田礼から逃げるようにして走って音楽室へ行った。田礼は叶依に勝てないことがわかっているので追いかけはしなかったが、いつか必ず勝とうとは思っていたに違いない。叶依が田礼に負けたくないのは、田礼の第一印象があまりに悪かったからだった。最近は少しは大きくなった気もするが、それでも田礼の存在感はまだ小さい。クラスの生徒と馴染もうと頑張っているが、叶依はもちろん、生徒たちは皆、それが逆に嫌だった。
「叶依ちゃん、またさっき田礼先生に怒られてたでしょ?」
音楽室についたとき、知原は叶依に笑ってそう言った。
「もーあんな先生嫌やわ。先生、変わりに担任やってよ」
「それは無理よ。そんなー……ねぇ。我慢我慢」
「あーもー……嫌や……」
「そんなことより、ギター出してきてみんなに音あげて」
叶依がクラブに馴染んできた頃、ワカナはクラブ全体に知られていた。クラブ中に叶依がギターを弾くことがあったのに、わざわざ放課後に隣町の駅ビルの広場まで、しかも電車通学ではない生徒が見に来ることもよくあった。それは別に構わないし叶依の存在が広く知れ渡るので嬉しかったが、広場前のコンビニでバイトしている史によれば、『以前よりも人が増えて逆に叶依の姿が見難くなった』らしかった。
それでも叶依は広場でギターを弾くのをやめず、やがてワカナはちょっとだけ有名になった。
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