13.桜のキオク
球技大会で伸尋が倒れる前、何かが輝くのを知っていたのは叶依だった。けれど、それが何なのか、どこにあるのか、具体的なことは何一つ知らなかった。そのことがわかったのは、自分が持っていたペンダントがいつもに増して発光していたから。何もなければ普通に光り、悲しいときは弱くなり、それに耐えられないときはほとんど輝きを失う。逆に嬉しいときや、何かに対して力を注いでいるとき、殊にもう一つのそれが関係している場合、それが多少ながら熱をもつことも、叶依は知っていた。
それと似たようなものがもう一つあることも、小さいときから知っていた。母親──養母の綾子ではなく叶依の実の母親が、そんなことを言っていた気がする。叶依はもう何年も両親と会っていない、というより両親はいないと思うことにしているのに、このペンダントを見るたびに、叶依は両親のことを思い出さずにはいられなかった。
球技大会のとき、叶依はそれをポケットに入れていた。最初は何もなかったのに、あのときペンダントは熱をもち始めた。
(なんで熱いん? それにもう一個のはどこ?)
叶依ではない誰かが持っていることはわかっていた。
(誰なんやろう……あっ、伸尋倒れた!)
叶依の横にいた友人たちはもちろん、その場にいた全員が彼に注目した。
「どうしたんやろ……」
つい先ほどまで彼がどんな顔をしていたか、叶依は知っていた。相手チームの生き残りを睨み付けていた。彼と知り合ってまだ数ヶ月しか経っていないが、今までにそんな顔を見たことはなかった。伸尋は穏やかな人だと思っていた。
(よっぽど勝ちたかったんかな。相手に恨みあるとは思えんし……)
伸尋は先生たちに運ばれていったが、叶依は何もしなかった。けれど心配しなかったのではなく、逆に心配しすぎて気が気でなかった。翌日のコンサートの練習があるので音楽室に行く予定があり、クラスの用事をすっぽかして飛んでいった。
そして練習が終わってから教室に戻ったとき、そこには伸尋がいた。表情はさっきとはまるで違っていた。いつもと変わらない、穏やかで、なのに少し謎めいた顔がそこにあった。始業式のときに叶依は彼をすごい人だと思ったが、それは徐々に叶依の中で否定されていった。女子生徒は未だにキャーキャー言うし、史でさえ伸尋をある意味で特別扱いしていた。けれど叶依は、何年も前から彼のことを知っている気がしていた。
(でも兄妹ちゃうし……双子でもないし……)
幼馴染だという可能性があったが、そうは思えなかった。叶依の記憶の中に、彼はいない。
「なに?」
「あ──何でもない」
叶依は首を横に振った。いつの間にか彼を見ていた。
「伸尋っておばあちゃんに育ててもらったんやんなあ?」
「うん。じーちゃんと。親の顔は見たことない」
返事をする必要がないのか、言葉が見つからないのか、叶依は黙っていた。
「お父さんはすごい人やったって聞いたけど」
「すごい人? 何がすごいん?」
「何やっけな。体力……かな」
「体力か。それっぽい感じするなぁ、伸尋見てたら」
「具体的にどうとは聞いたことないけど」
「伸尋がすごいんやからそれ以上やったんちゃう?」
それは自分でも思ったことはある。けれど本当のことは今日でわかった。
前から感じていたことが、やっと事実だとわかった。
「俺なんか──そん時だけやし。そん時いけても終わったらあかんから。さっき見てたやろ? 前もあんなことあって……試合中は使えるけど終わったら死んでるぞって、言われた」
確かに伸尋は、自分が投げたボールを自分で受けたかのように意識を失った。
あのボールが当たれば打撲どころですまないと全員が思ったが、それは敵には当たらなかった。彼はギリギリのところで避けることに成功した。その方向にいた外野陣や見物人もとっさに避けたが、ボールが向かう方向にあったバレー用のネットはあり得ないくらいの衝撃を受けていた。
伸尋が『その時だけ』というのもわかるが、『その時』が時としてかなり恐いのも事実ではある。
「でも良いやん。そんな力受け継いで。家族もいて。羨ましい」
叶依は本気でそう思った。小さい頃は綾子と一緒に暮らしていたが、それ以外に誰もいなかった。父親代わりもいなかった。綾子は「早くに病気で亡くした」と言っていた。祖父母なんて、いない。
「家族ほしいなぁ。おるんかなぁ?」
「おるって。絶対。俺が言うんやから間違いない」
「その自信はどっから出てくんの?」
叶依は笑い、桜の木に駆け寄った。そして片手を樹に当てる。
「この樹が私を知ってる。小さいときからずっと。よく登って遊んだなぁ。登ったのは良いけど降りられんようになって……。春になったら花咲いて、夏になったら緑になって、秋になったら紅くなって、冬になったら枯れる。その繰り返し。でも樹はずっとここに立ってる。この樹が私を知ってるから──それで良い」
「樹か……人じゃなくて」
「うん。人はどこにでもいるし、動こうと思えば動ける。忘れようと思えば忘れられる。でも樹は……どんなことでも覚えてる。自分では動かれへん。だから樹が良い」
「覚えてても教えてくれんやろ」
「……いいの。知っててくれれば良い。私、昔の記憶はあんまりないけど、この樹は多分知ってる。私がここで遊んだことも、ずっと前から高校に行ってたことも。これから何があるかも、多分この樹はずっと覚えてる」
叶依が言うことを伸尋は黙って聞いていた。それを理解しているのかしていないのか、よくわからなかった。ただ、叶依が言っていることは正しいような気がする。けれど、意味がよくわからない。
そのまま叶依は寮に向かって歩きだし、伸尋はもう少しだけ樹を見ていた。
樹はもちろん何も言わない。ただ高いところから街を眺めているだけだ。
伸尋もこの街で育ったが、この樹のことは知らなかった。叶依はこの樹で遊んだ。叶依の言う通り、樹もそのことを記憶しているだろう。けれど伸尋は何も知らない。出来ることは、想像すること。この樹のように、強くなること。
(樹静かならんと欲すれども風やまず──か)
一呼吸置いてから、伸尋は歩き始めた。
叶依はもうすぐ寮の入口に辿り着きそうで、そこまでの距離を伸尋は走って詰めた。
少し話してから二人は別れ、叶依は部屋に入る。伸尋と帰ることは今までにも何度かあったが、今日はとてつもなく変なことを喋った気がする。いや、絶対そうだ。
着替える前にポケットに手を入れ、叶依はペンダントを取り出した。
熱をもって赤く光るそれは、まだ元に戻っていなかった。
球技大会が終わって音楽室に行って、帰り道でもそれは同じだった。
(伸尋に関係あるんかな……でも変や……)
どう考えても兄妹ではない。双子でもない。幼馴染でもない。従兄妹という可能性もあるが、それも違う。もしそうなら叶依は昔から伸尋や祖父母のことを知っているはずだ。一緒に暮らしていてもおかしくない。
(私に全然関係ない人が持ってるとは思えんしなぁ……)
いろんなことを考えれば、それが伸尋だという結論に達することは出来た。
叶依は伸尋を少なくともクラスメイト以上だとは思っている。環境が似ているので仲間意識も強いかもしれない。その伸尋がコートの中で戦っている。頑張れと応援する。勝ってほしいと思う。それがどういう風にしてか、叶依のペンダントから彼の何かへと力が送られ、そして伸尋にも届く。伸尋は二人分の力を使うことになり、意識を失う。
(でもおかしいよなぁ。伸尋どこも光ってなかったし)
叶依は光が漏れないように握っていたが、伸尋にそれは不可能だった。多少の光なら黒い布があれば隠せるかもしれないが、そんな程度で隠せる光ではないことを叶依は知っていた。しかも体操服は黒ではない。いくら試合が続いて疲れていたとは言え、ボール一つ投げるだけで倒れるような伸尋ではない。ならば叶依は本当に、彼に力を与えたのだろうか。彼の持っている何かは、他の場所にあるのだろうか。
『そのペンダントはね、大事なお守り。だから何があっても離さないで』
いつか母親、実の母親が叶依にそれをくれた。
『天気とか気分によっても見え方が変わる。おもしろいぞ』
『これ、おほしさまのかたちしてるよ』
『よくわかったわね。綺麗でしょう』
『うん、きれい! だいじにする!』
父親は叶依の頭をなでた。叶依はずっとお守りを見ていた。
『それとね。これと同じのがもう一つだけあるの。それはペンダントじゃないんだけど……』
『もうひとつしかないの?』
『そう、もう一つしかないの。二つしかないの。大事にしないとね』
その後で両親は何か言っていたが、まだ小さい叶依にはその言葉を理解することは出来なかった。
熱をもち赤く輝いていたペンダントは、もう冷たくなっていた。強く光っていた赤も、もう弱い。
(一体何なんやろう……あかん、明日の練習!)
叶依はペンダントを机の上に置いて最後の仕上げに入った。
もう一つの何かを持っているのは誰なのか、それはどういうものなのか、どうして二つしか存在しないのか、どうして自分に与えられたのか。──どうしてあのとき熱をもつまでに輝いたのか。
自分で出した結論が正しいとわかるのは、まだ数ヶ月先のことだった。
≪Am I happy in this? 終わり≫
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