10.眉間のしわ

 時刻は十時間ほど遡って、始業式のあとの放課後。

 教室前の廊下で叶依と変な挨拶をした伸尋は、史と一緒に校庭へ出た。玄関から正門まではコンクリートの道があるが、そこを通るよりはグラウンドを横切ったほうが近道になる。この高校は可能ならば自転車通学も許可されていて、この日、史は自転車だったのでそれを押して歩いている。

 昔から伸尋を知っている史はその日、彼の様子がおかしいことに気づいていた。いつもは静かであまり喋らず目だっているのは容姿だけなのに、女子生徒と話すこともほとんどないのに、初対面の叶依と喋っていた。史はもともとそういう性格なので叶依との出会いも普通だったが、伸尋がそうしているのはやはり変だった。

「おまえ、良いことあったんか?」

 史は普通に聞いていたが、伸尋は何故か笑っていた。

「べつに。田礼のクラスとか嫌やし」

 田礼を嫌っている生徒は結構多いらしい。

「そうか? 何か今日、テンション高いぞ」

「いや……。普通」

「普通か? なんつーかおまえさぁ、変やぞ」

「変って、何が?」

 伸尋はフンと笑った。

「何がっておまえ……」

「俺は普通。いつもと変わらん」

 伸尋は努めて平静を装っていたが、

「アッ、伸尋クーン、叶依チャントハドウイウ関係デースカー?」

 前を歩いていた同じクラスの男子生徒がそう言うと、伸尋は彼に飛びかかっていた。その顔はやはり笑っていて、伸尋に言ったクラスメイトはボコボコにされていた。伸尋はバスケ部なので、ジャンプ力は結構ある。

「お前ら黙ってろよ」

 言って伸尋が離れた直後、クラスメイトは笑いながら走って逃げていった。

「伸尋ー、バレバレやぞ」

 史は笑っていたが、伸尋は気にせず歩き続ける。

「なぁ、伸尋、ワカナって知ってるやろ? 駅ビルにおったやつ」

「ワカナ? ああ……ちゃんと見たの初めてやけど」

「あいつ最近駅ビルにおらんやん? なんでか知ってる?」

「知らん。最近行かんし。なんで?」

「俺をフッたから」

「なに?」

 叶依が史と出会って駅ビルから消えるまでのことを、史は全て伸尋に話した。実際には叶依にフラれたのではないのでこの先どうなるかはわからない、ということも付け加えた。伸尋は普段あまり表情豊かではないし感情を表に出すことも少ないが、史が言い終わったとき、確かに眉間にしわを寄せていた。

「あー……でも、安心して。譲るから」

「はい? 何を?」

 伸尋の顔のしわの数がさっきの倍になった。

「あっ、もう一時半や。はよ帰ろ」

 史は歩くのをやめて自転車に乗った。

「おい史、待てよ。待てって──」

「反対やで、叶依の家あっち、行くなら」

「は? 何……」

「あっ、叶依出てきた。待ってたら来るで」

 確かに叶依は友人たちと一緒に校庭を歩いている。

「……俺、帰ってからじーちゃんの手伝いあるし」

 それが本当なのかどうかはわからないが、伸尋は史に別れを告げて家へと向かって走り出した。史は彼の家を知っているので後で行ってみたら、本当に庭で祖父の手伝いをしていた。彼の両親のことは、史はちゃんと知らない。


 史が海帆に会ったのはその帰りで、海帆も友人たちと別れて一人になっていた。

「あれ、史……どっから来たん?」

「伸尋ん家。あいつこの近所やし」

「へぇー。結構近いんやなぁ。あ、そうや、若崎君ってどんな人なん?」

「あいつなぁ……。かなり単純やで」

 史は笑っていたが、単純とはどういう意味で取ればいいのだ。

「叶依がさぁ、引っかかるってブツブツ言ってたけど」

「ははは。ほんま単純やで。わかりやすい」

 史は学校を出てから今までのこと、主に伸尋のわかりやすい行動のことを海帆に話した。伸尋は今日学校で何があったのかは一言も話さなかったが、彼がわかりやすいおかげで粗方のことは理解出来た。

「それってつまり、叶依に一目惚れってこと?」

「そうやろな。ほんまわかりやすいわ」

「うわ……叶依……大丈夫かな」

 海帆は叶依がスカウトに追われていることを気にして言ったが、その事実を史は知らなかった。先日のコンテストで叶依が優勝してからのことを掻い摘んで説明すると、

「おいそれ、ヤバくないか? ちょっとおまえ、公園で待っとけ」

 史は血相を変えて「様子を見てくる」と言ってから自転車で走り出した。よくわからなかったので海帆はとりあえず公園に行き、そこでやっと『もしかすると、いま自分たちが話をしている間にも、叶依はスカウトに捉まっているかもしれない』ということが理解出来た。


 寮に帰ることが出来ない叶依は、その晩、海帆の部屋にいた。海帆の家族には叶依の事情を伝えられていて、母親は「また何かあればいつでも来てちょうだいね」と言っていた。

「史ってさぁ、ほんま良い人よなぁ」

 電気を消して寝ようとしたとき、叶依が呟いた。

「うん。良い奴。なぁ叶依、……なんでもない」

「何よ? 気になるやん」

「良いから。おやすみ」

 海帆は電気を消して布団を被ったが、

「海ぃー帆ぉー。なぁーにぃーよぉーっ」

「叶依、そんな言い方したら珠里亜みたいやで」

 確かに珠里亜はそんな喋り方をする。けれど、珠里亜ではない。

「何なんよーっ?」

「……若崎君のことどう思う?」

「伸尋? わからん。変な人」

「変な人……変な人か……」

「うん。変やん。格好良いのは格好良いけど、変やって」

 海帆は史に聞いたことを思い出して言ってみたが、叶依は伸尋のことを何とも思っていないようだった。ただでさえスカウトに追われて参っているのに、伸尋のことを言うのは叶依には酷だと思った海帆は、それ以上何も言わなかった。

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