<第2章 金平糖>

8.出会いの春

「せーんせーっ!」

 新年度の入学式前日、クラブのために登校していた叶依は音楽室に知原を見つけた。

「先生、これ聞いて!」

 叶依は知原にラジオ番組を録音したものを聞かせた。音楽番組のようで、曲が流れている。

「これがどうかしたの?」

 流れている曲は知原も聴いたことがあった。最近話題の曲だ。

「これ弾こうと思ってんけど、音わかれへんから……」

 知原ならわかって楽譜にできるだろうと叶依は思ったが、知原もそれは聞き取れないらしかった。叶依が聞かせたのは三月下旬にデビューしたばかりのOCEAN TREEの曲だ。

「先生でもあかんのかぁ……まぁいいや。適当に弾いとこ」

 寮の自室に戻ってから、叶依はその曲を練習していた。けれどやはり途中で詰まってしまい、綺麗に最後まで弾くことは出来なかった。彼らに直接教えてもらいに行こうと思ったが、それはさすがに無理だ。

(私が業界に入れば可能なんかな……でも入らんし)


 始業式当日、いつも通り八時頃に登校した叶依は信じたくないことを知る。

「はあ? また田礼?」

 二年次の担任が、また田礼巻雄だった。

「もう嫌や……あ、でも海帆一緒やからいっか……」

 とりあえず教室に入って、叶依は自分の席に座った。去年は最後尾だったが、今年は最後から二番目らしい。やがて海帆も登校して、担任が田礼だということを悲しみあっていた。

 他の三人の友人は別のクラスになってしまったが、なぜか叶依と海帆の周りには人が多かった。それはおそらく叶依がワカナだからだろうが、ワカナはもういない。史はまだコンビニでバイトをしているらしいが、あのときに行かなくなってから、広場に集まる人は少なくなったらしい。

「今度さぁ、珠里亜と三人でどっか遊びに行けへん?」

「えー珠里亜? うーん……」

 悪くはないが、叶依は珠里亜と一緒にいるのが恐かった。嫌いではないが、恐い。いつ何をされるかわからない、それが恐い。だからあまり気は進まず、教室内を眺めていた。 

 すると、

(何あの人……)

 教室の反対側に男子が集まっていて、その中にすごい人がいた。

 格好良いとか綺麗だとか、そういう次元の問題ではなかった。

「叶依? 何見てんの?」

「あ、べ、別に。何もないよ。何の話やったっけ?」

「だからー、今度珠里亜と三人でどっか遊びに行こうって話。ちゃんと聞いてた?」

「聞いてたよ~」

 叶依は笑ってごまかした。話は半分しか聞いていなかった。それどころではなかった。

(あんな人、去年いたっけ? でも転校生やったらまだ他の教室にいるはずやし……)

 そしてチャイムが鳴って担任の田礼が現れて、ホームルームになった。田礼はいつもの調子で体育館に行くように言ったが、叶依は適当にしか聞いていなかった。また田礼のクラスというのが、嫌で仕方なかった。


「叶依ー海帆ーおっはようぅ~! 体育館行こうぜぃ♪」

 現れたのは時織で、横には夜宵に珠里亜もいる。

「ベシッ」

 珠里亜が体育館シューズで叶依の背中を殴った。

「ちょっと珠里亜ー! 新学年早々そんなことせんといてよー!」

 けれど珠里亜が叶依の言うことを聞くわけがなく、「あははは」と笑って何度も叶依を殴り続けた。

「もー珠里亜知らん!」

 珠里亜の笑いは止まらなかった。

「ところでさぁ」

 時織が言った。

「海帆たち、また担任田礼なんやろ?」

「うん……なんかショック」

「ほんま……なんで二年間も田礼なんやろ……来年も田礼とか言っ――てっ」

「ははははは。田……田礼巻雄……マキちゃん……わーっ!」

 再び叶依を殴ってきた珠里亜を追いかけ、叶依は走り出した。


 教室に戻ってからは、毎年恒例の自己紹介だった。けれどクラスに知っている人が多い叶依は、それを聞いていなかった。自己紹介は必要かもしれないが、面倒なだけだ。知らない人と関わるときに各自ですればいいのに。

 その知らない人は実は叶依の後ろにいるようで、名前は若崎伸尋というらしかった。

(話してみようかな? でも今アレやし……どうしよ……ま、いっか……)

 叶依は座ったまま回れ右し、一秒もせずに前に向き直り、気づいた時には両手で口をふさいでいた。その人は朝方、叶依が見つけたすごい人だったのだ。まさかそんなことになるとは思ってもいなかった。

(えーっ! うそー! なんで私こんな人の前なん? ちょっとちょっと……)

 いつか史に誕生日プレゼントを渡したとき以上に叶依は落ち着いていなかった。どうするべきか、どうもしなくていいのか、普通でいいのか、何かしようか、自分でも何を考えているのかわからなかった。

「若咲さん……? 何してんの?」

 後ろから声がしたので、おそらくそれは伸尋だろう。けれど叶依は振り返る勇気がなく、

「えっ……別に……。気にせんといて」

 前を向いたまま返事をした。けれどすぐにまた彼に呼ばれたので振り返ると、自己紹介が回ってきたらしかった。ただでも田礼のクラスというのが嫌なのに、その田礼に変な自分を見せるのはもっと嫌だった。とりあえず叶依は立ち上がり、一拍おいてから喋りはじめた。

「若咲叶依です。趣味はギターで、時々ステージで歌ってます。で……一応、コーラス部の部長です。ちなみに副部長も、このクラスにいますが……。正月生まれ・O型のノーテンキな奴です。叶依って呼んでくださーい」

 コーラス部の先輩が引退してから部長を決め直したとき、何故か叶依が選ばれた。自分よりは海帆のほうが立派だと思う叶依はそれを主張したが、他の部員がきかなかったので仕方なく部長になっていた。

 叶依が座って息を整えている間に伸尋の紹介も始まったようで、彼はバスケ部のキャプテンだと言っていた。それはそれですごいので叶依も感心していたが、次の言葉に耳を疑った。

「俺も――正月生まれのO型やけど」

「えっ、そうなん?」

 驚いたのは叶依だけではなく、クラス中でどよめきが起きた。自己紹介が全員終わったのもあって余計に静まらない。叶依と伸尋が双子だとか言う人もいて、収集つかなくなった。

「違うから、絶対、俺、一人っ子やし」

(確かに違うけど……ちょっと、この人なに?)

「実はきょうだいなんかな?」

 クラスメイトに囃されて、伸尋は笑いだした。

「いや、違うし、初対面やん」

 伸尋が何を言いたかったのか、叶依にはさっぱりわからなかった。

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