宣告

 ふわふわと浮遊する美女──エーリアの語った正体を、俺はいまいち信じ切ることが出来なかった。


 神。それは多くの者が知識として知りながらも、実在するとは思っていない存在。扱い的にはドラゴン三頭犬ケルベロスなんかと同じく、あくまで想像上の産物でしかないと決めつけられた種族の名だ。


 壁画、神社、遺跡、文献。

 過去から受け継いできた数多の資料が実在した証拠だと言う者もいるにはいるが、それらは科学を知らぬ者達が現象に理由を付けただけだと否定され、いないものだという結論が一般的だ。


 そんな存在を名乗られても、すんなり受け入れられないのは当然といえよう。

 ……だけど完全に突っぱねることは出来ない。

 浮いた人、テレビでも見たことない美貌、理性がなくなるほどの欲求。この人が本物かの判断は置いておくとして、今までの常識にはない存在だと受け入れなければいけない材料がいっぱいだ。


「ん? どしたー? もしかして恐れ崇め奉れ的な-? 嬉しいけど現代いまはもう不要なんだよねー」


 ……さっきから突っ込むまいと流していたが、なんでこんなに適当に話すのだろうか。

 神というならもうちょっと尊大に……いやいいや。こんな美女に上位感出されても、神経まいって虜になっちまうだけだろうからな。


「それできみの名は? 早く教えてハリーハリー!」

「……さっき、俺の名前を呼んでませんでした?」

「呼んだよー? けどそれはそれ、やっぱ挨拶ってのは相互でなくちゃあ意味がないんだわー」


 指を振りながら自己紹介をせがんでくるエーリアと名乗った美女。

 何かこっちが悪い感が出ているのが癪だが、確かにその通りだと納得しておくことにした。


「……高峯紅蓮たかみねぐれんです」

「うんうん、よろしくグレン。私の最後の契約者くん?」


 エーリアは満足気に頷くと、よっこらせと空に胡坐をかく。

 同じ高さに重なる目線。透き通った翡翠の瞳に見つめられ、思わず目を逸らしそうになるが、そうしたところで他の部位にいくだけなので懸命に堪える。


「うーん素直だなー。こんな健気な子は昔なら食べちゃったんだろうけど、流石に思念で耽る気にはなれんなー」


 残念そうに二本の人差し指で×印を作るエーリア。

 確かに欲に負けているのは俺だが、何で振られたみたいな空気にしてくるのか。いちいち構っていては話が続いていかないし、誠に遺憾ながらここは折れておくことにしよう。


「……最後のってなんです。それに神ってのは冗談かなんか?」

「冗談もなにも当然の話さ。わたしは箱庭ガーデア……あの迷宮ダンジョンを創った神であり、きみはこの戦神エーリア最後の眷属──契約者ってことはね」


 エーリアは曇りのない瞳でこちらを覗き込みながら、気取った様子もなしにそう言ってくる。

 神ってのはまあいいとしよう。最悪正体なんてなんだっていいんだし。

 

 けど眷属とか契約者とか意味が分からない。この女は一体何を言っているだろうかと、本気で首を傾げてしまう。

 こんなの普通の奴が言ってたら宗教勧誘か変な薬やってるかの二択だぞ。まあこの人が言うなら男女関係なく堅物でも首を振るんだろうけどな。


「わけわかんないーって顔だね? よろしい、いい加減説明タイムを始めよっか! 何、話せることなんてほんの僅かだけど、契約者には知る権利があるんだし、どうせ伝えたいことに直結することだしね?」


 何やら意味深なことを言いながら指を鳴らしたエーリア。

 服と同じように現れたメガネを掛け、ブリッジを指で上げながら説明を始めてきた。


「まずは神についてかな。きみの知識を参照したけど、私たちは存在すら不確かなものとして認識されているようだね」

「……そうだけど、ってか知識を参照って何?」

「そのままの意味だけど今は置いとこうか。……つまり事実はこう、神は太古にて存在した種族であり、お伽噺や与太話の類ではないってことさ」


 正直置いておかれた内容に気を削がれて仕方ないのだが、それでも声を失うには充分な情報だ。

 

 神が実在する? 確かに同じくらい伝説的なドラゴンは存在したが、それでも信じられるものではなかった。

 今だって神を名乗る悪魔か淫魔だって言われた方が信憑性があるくらい。神ってのはそれくらいあり得ない、いたら面白そうだけど実在しないランキングで堂々一位を飾るくらい真実味の薄い存在なのだから。


「まあ一部以外ちょーっと盛られすぎてはいるけどね? 例えばほら、大津波で国を沈めたっていう海の神セーディルとか」


 海の神セーディルとは結構なビッグネームだこと。

 確か人間に狩っていた蛇を殺され、その怒りで国を皆底に沈めたとされた最古神話オリジネルでも人気のある神のことだが、まさかこんなところで聞くとはな。


「あいつ実際は津波なんて起こせなかったし、半分くらいは大神ぜーウスに泣きながら頼んでやってもらってたんだ。ほんと、今は大出世したもんだよ」


 けらけらと腹を押さえながら笑うエーリア。

 釣られて笑いたいところだがそうはいかない。こいつの話を聞いていたら、いずれ世界に根付く歴史の根底すら塗り変わることを言ってきそうだ。


「まあいいや。ともかく肝心なのは神は実在したって部分、そして神と誓約を交わした人──眷属がいたっていうことなんだから」

「……眷属? 契約者じゃなくて?」

「意味合い的にはそこまで違いはないよ。ただそうだなー、上下関係があるかないかの違いかな?」


 上下関係、つまり眷属ってのは部下か奴隷か何かだったりするのか?


「眷属は簡単に言えば私の庇護下に入るってこと。対して契約者は庇護じゃなく平等な契約、偉業を為したお気に入りに力を貸すって感じかな」


 ……成程、契約者ってのは眷属の上位互換的なもんか、ほとんど変わんねえな。


「……偉業ねえ。あんたに認められるようなことをしたつもりはねえけどな」

「何言ってるのさー? 崩壊寸前だったとはいえ私の箱庭ガーデア……迷宮ダンジョンを攻略したんだから、それはもう誇ってもらわなくちゃこっちが傷つくってもんだよ!」


 煮え切らない返事をしてしまったせいか、エーリアは不服そうに頬を膨らませてくる。

 美女がやるには幼すぎる感情表現。だがそのアンバランスさに、平穏を保っていた心ががたりとずれ落ちそうになる。


 まったくたちが悪い。わざとやってんのかは知らんが、思春期の少年には刺激が強すぎるよ。


「まあちょっとどころかだいぶ力貸しちゃったから制覇かは微妙、大神ぜーウスなら即失格かな? いやー優しい私でよかったねー!」

「力を借りた……? ……あっ」


 少し考えれば思い当たりなどいくらでもあった。

 死んだはずの俺が生きていたこと、何故か凄まじい魔力を使えていたこと。……そしてこれは推測だが、崩壊を始めていたあの迷宮ダンジョンから無事に脱出出来たことなど。


 考えれば考えるほどきりがない。二人揃って生還したなんて奇跡、誰かの介入がなければまずあり得ないことだと、そもそも俺が最初に言い出したのだから。


愛獣ケルンの骸……あの竜に挑む最中にきみは死んだ。それはもうあっけなく、小さな羽虫が人の手に潰されるかのようにぷちっとね」


 ……じゃあやっぱり、あの記憶は間違いじゃなかったのか。

 でもそれなら、どうして俺はここにいる。いや、そもそもどうやってあの場を切り抜けたんだ──?


「闘争による死を否定するのは戦神として良くないことなんだけどね。未熟で力も尽きかけた哀れな少年、崩壊寸前だった迷宮ダンジョンに来てくれた最後のお客様。それももう一人の子と違って私と特別波長が合ったきみを逃すなんて、そんなもったいないことできるわけがなかったんだ」


 全ては神の我が儘だと、エーリアは俺を真っ直ぐ見つめながらそう言った。


「だから特別サービス。残った力で死の狭間に割り込み契約したってわけさ。覚えてたりしない?」

「……そう言われたら、なんかに返事した気がしなくもないよ」

「ふんわりかー。まあ魂がほつれかけてたし、そんなもんだろうねー」


 エーリアに一瞬だけちょっと残念そうな顔をされ、つい罪悪感を抱いてしまう。

 まあ結構大事なことだし記憶にないこっちが悪い……のか? なんか判断するには結構微妙な感じだな。


「まあ修復しきれなかった部分に私が混じったから、きみが死んだら私も消えるんだけどね? いやー、消えるのもあれだし元々きみを依り代にする気だったけど、まさかここまで一蓮托生になるとは思わなかったなー!」

「……はっ?」


 手を叩きながらげらげらと笑うエーリアだが、謂っていることはとんでもないことだ。

 

 俺が死んだらこの女も死ぬ。聞き間違えでなければ、確かにそう言っていた。

 ということは逆もまた然りということ。彼女が死ねば俺も死ぬ、つまりはそういうことになってしまう。

 

「んー? ああー大丈夫大丈夫。私はもう実体ないし、こっちが原因できみが死ぬってことは多分ないと思うよ?」


 不安が顔にでも出ていたのか、そうだと思えるくらい的確に疑問に答えるエーリア。 

 なにがどうあれ助けられたのは事実。一度救われた命なら、別にいつ死んでもおかしくはないか。


 ……何か実質一回死んだせいか、死生観が以前とは違う気がする。気のせいかな。


「まあきみは魔力がほとんど零……蔑称は魔力なしノンマギだっけ? そんな無謀な少年が迷宮ダンジョンに挑むってなら得にしかならないってもんさ!」

「……さっきのそうですけど、なんでその呼び方知ってるんです?」

「何故って、それはきみの知識に潜って現代について調べたからだよ。その証拠にこの仮初めの思念体……つまりこの体も、きみの根底に根付く好みの美女ってイメージが反映されてるのさ」


 誇らしげに胸を張り、それから立ち上がってくるくると回り始めるエーリア。

 成程、確かにそれなら眼を奪われるのも納得。2Pカラーの如く異なる配色を除けば、どことなくあいつの面影も感じてしまうのも当然だというわけだ。


「……さて。ここまで来て、ようやく本題に移れるね」

「本題って? これ以上すごい話でもあるのか?」

「もちろん。過去から現在いまに至ってなお迷宮ダンジョンが……いや、世界の中心に聳える最初の大迷宮──審判の塔バベルが存在していることの意味。誓いにより全てを話すことは叶わずとも、それでも訪れる審判まで猶予を宣告することは出来るからね」


 先ほどまでの軽い雰囲気を吹き飛ばし、至って真面目な口調で話すエーリア。

 

「聞きたまえグレン。──間もなく約束の刻は来たり。数年の後、この世界は滅亡するだろう」


 エーリア──神は青空を背に、物寂しげだがはっきりと、世界の終わりを口にした。

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