決着

 次に目を開けたとき、そこは先ほどまでと同じく、明かりの少ない大きな部屋だった。

 

 そんな部屋を照らせる程の光に包まれる自分の体。

 感じたことのない両の魔力が体に満ち溢れ、何でも出来そうな全能感が心地好い。

 

 ──体が軽い。今までが枷に繋がれていたのだと思えるくらい、今までとは違う感覚だ。


『グルルルゥ──』


 ドラゴンが唸っている。今の今まで犬歯にすら掛けていなかったのに、今にも襲いかかってきそうなくらい警戒を露わにしている。──酷く耳障りだな。


 膝をバネに跳び上がり、黒き竜の眼前へと到達する体。

 竜は驚愕に目を開かせるが、それすらも遅い。拳を握りしめ、怪物の顔を勢い任せに殴りつける。


 ──嗚呼、臭いな。

 

 怪物の巨体が空に浮き、体勢を崩しながら壁に激突していく。

 常識外れの光景だが驚きはない。先の跳躍にしろ、今の俺なら出来るだろうと、不思議だがそう確信していたからだ。


 両足で着地し、壁を壊しながら倒れ込む怪物に目を向けながら、鼻を突いた腐臭を思い出す。

 

 生ゴミより不快な、蠅すら集るのを拒みそうな臭さ。

 死体なぞ嗅いだことはないが、これほど本能が拒絶する臭いもそうそうないだろう。


『──そう、あれは既に終わった命。役目ロールで縛られた魂の残滓に動かされているだけの死体だ。今の君なら、決して倒せない怪物なんかじゃないよ』


 耳からではなく、頭に直接響いてくる女の声。

 近くに誰もいないのは気配で分かる。姿を見ずとも狩屋かりやの場所は補足できているため、研ぎ澄まされた察知に間違いはないはずだ。


 ……まあ、声の正体なんてどうでもいい。

 それより今はあの怪物を──屍らしきドラゴンを倒すことが先決だ。

 

『ほら、それを拾って。早く早くぅ』


 張りのある女性の声は、何かを拾うよう楽しげに囁いてくる。

 何をと思いながらも、ドラゴンに注意を払いながら周囲の地面を見回せば、そこには砕けた刃が付いた馴染みのある剣が落ちていた。

 

 ──ああそうだ、師匠からもらった剣。確かあいつの鱗に負けて折れちまったんだっけ。


 腕を伸ばしてゆっくりと拾い上げ、感触を確かめるように何度も握り直す。

 

 法故に抜刀は許されていなかったが、貰ってあの日以降ほとんど常に所持していた最長の相棒。

 思い入れはあるがただの物。なのに見ているだけで、心に寂寥の雪が積って仕方ない。

 

 ……初めて出会う身近な死。大事なものを失う悲しみは、物でも人でも違いはないはずだ。

 

『グオオオォッッ──!!!』


 だが、この形容しがたき感傷に浸る時間などない。

 ゆっくりと視線を戻せば、ドラゴンは既に起き上がっており、両の目をぎらつかせこちらを睨んできていた。

 

『正確には睨んでいるわけじゃない。刻まれた役目ロールに則し、この部屋で最も強い進入シャに照準を定めているだけさ』


 誰かが話すどうでもいい詳細を脳で咀嚼しながら、欠けた剣を握りながら構え直す。

 

『今回は補強してあげる。特別だからね?』


 要領を得ない女の言葉に疑問を抱きかけるが、その疑問を解決するように変化が起きた。

 

 全身を流れる魔力は腕へと集約され、束ねられた力の塊は握っている柄まで流れて続ける。

 柄の先から欠けた刃へ。そして驚きべきことに、光は刃へと姿を変えたのだ。


「……まじか」

『まじさ。ずーっと貯めてきた魔力、すごいだろ?』


 いきなり出来たまともな武器に驚愕しながら、試しに数回ほど軽く振ってみる。

 ──軽い。先ほどまでの刃なしと大差ないくらい軽く、そして俺が何百人いても賄えない、触るだけで火傷しそうな量の魔力で創られた刃だ。

 

『ほら来るよ。見惚れてないで動こうね』

「……わかってるさ」


 怪物は咆哮を上げながら、地を揺らし力のままに突進してくる。

 タイヤ付きのでかいビルが突っ込んできているみたいだと、どうでもいい例えを抱いた自分に驚きながら、軽く呼吸を整えながら怪物を見据える。


 ──そこだ。


 力を抜き、心を落ち着け、──勢いよく走り出す。

 

 ドラゴンがこちらに届く間もなく距離を詰め、そのまま通り抜ける光が一つ。

 ドラゴンは未だ気付かない。狙いを定めた人が一気に駆け抜けたこと、|──そしてその最中、自身の体の一部を裂かれたことにすら。


『──グギャアアァ!??』


 今まで感じたことのない手応えに浸りながら、いつものように剣を払う。

 怪物は叫びを上げたのは、その動作を終え、切断された羽が地に落ちたと同時であった。


 太刀筋の名は瞬閃しゅんせん。師から賜った基礎の型、その中で最もはやい剣。

 極めれば光すら断ち切れると師は豪語したが、まさか俺が光を纏って使うことになるとは思わなかった。


 地団駄を踏み暴れながら、ドラゴンは悶え苦しんでいる。

 死体でも痛みはあるのか。……或いは、斬られたことに屈辱でも感じているのか。


 振動の中で少しだけ悩んでしまったが、すぐにどちらでもいいと思考を放り投げる。

 誇りも痛みもどっちでもいい。そんなのあのドラゴンだけが分かることだし、通じ合える言葉があるのなら、もっと違う道があったかもしれないのだから。


 既に道は別ち、出された結論は殺し殺されの生存競争。

 なればこそ、目の前の敵に同情は不要。俺も一度は殺された身、お互い様ってもんだろうよ。


 ドラゴンは一つの方向──俺のみに視線をぶつけながら、怒りを露わにしている。

 俺がまともならちびりそうな剥き出しの殺意。だが、殺してやるという無言の意志に応えるよう、剣先を怪物に向け意地の悪い笑みで返答してやった。


 竜も俺の答えを理解したのか、咆哮を大きく轟かせる。

 天井も耐えられなくなったのか、無数の瓦礫が雨のように落ち始める。支えきれないと訴えてみみたいに、周りの柱も音を弾かせながら罅を持ち始める。


 終わりは近いのだと感じ取る。俺もあいつも、そしてこの部屋──迷宮ダンジョンも。


『グギャアアァッッ──!!!』


 竜のアギトに貯まり出す赤い輝き──竜の持つ魔力が、一箇所へ集約され始める。

 急変していく温度。微量の風は吹き荒れる嵐へと変わり始め、周辺は熱に包み込まれる。

 尋常ならざる力の奔流。剣を強く握り直しながら、背けることなくその根源に目を向け続けた。


 ──遠い昔、何度も読んでいた本に書いてあったのを思い出す。

 神話に連なる最強種。ドラゴンは自らの口に魔力を溜め、嵐を息吹として操ると。


 あれこそが竜の息吹ドラゴンブレス

 竜の最強たる所以の一つ。幾多の英雄を屠り、多くの英雄が乗り越えた規格外の大試練か。


「……ハハハッ!!」


 思わず零してしまったのは、恐怖ではなく歓喜。場違いにも溢れる魂の笑み。

 

 目の前で起こっているのはずっと憧れ続けた英雄譚。空想なのだと諦めて、届かぬからと背け続けた幻想。それが何の偶然か、俺を試すためにそれが向けられている。


 その事実に最早恐怖なんてなく。

 あるのはただ一つ──超えたい、夢の先に辿り着きたいという純粋な欲求のみ。


 恐怖を掻き消す程の興奮に呼応するよう、魔力は昂ぶり発する光はより強く輝きを増していく。

 洗練されていく体と剣。今なら何でも斬れるだろうと、低く構えながら切るべき物に意を注いだ。


 緊張と集中が生み出す一瞬の静寂。──先に動いたのは、意志を持たぬ骸の竜だった。


『──ッ!!!!』


 ドラゴンは口を開き、充填させた赤の魔力を放出させる。

 赫灼たる紅の咆哮。極熱は空気を焼き、柱を溶かし、一人の少年の呑み込まんと突き進む。


 喰らえば骨すら残さず、近づくだけでも焼け焦げそうなほど。

 だが臆しはしない。滴り落ちる汗を意に介さず、一切の集中を乱さぬまま踏み出した。


斬空ざんくう


 空を駆け、音すら超越し、絶対の一撃に全霊を注いで放つのみ。

 名は斬空ざんくう。剛と静、重なり遭わぬ二つを兼ね揃えたいと追求された理想の一刀。

 

 未だ師の極地には至れずとも、全てを斬ること叶わずとも。

 白き光は軌跡を描き、遮る障害の何もかもを貫いて、この戦いに幕引きを与えるだろう。


 紅と白。数多の魔力を内包する二色の光はぶつかり、衝撃が部屋を埋め尽くす。

 一秒にも満たない拮抗。それは大気を揺らし、周囲を抉り、迷宮ダンジョンを軋ませる。


 ──競り勝ったのは白。最強たる竜ではなく、弱く小さい人の子の持つ光だった。


「──ふう」


 ……決着は付いた。業火は貫かれ、竜の巨体は刃に両断された。

 今のでようやく決着は付けられたと確信した瞬間、握っていた手から剣が抜け落ち、体は糸を失った人形のように地面を倒れる。


 あれほど満ちていた魔力も気力もすっからかん、最初からなかったみたいに空白だ。

 もう指を動かす気力すら残ってなく、命は風前の灯火を迎えているのだと何となく直感できる。


 崩れ落ちてくる数多の瓦礫、今にも途切れそうな意識。

 いつ降りかかるか分からないとどめを前にしても、俺はもう抗うことが出来ない。

 ……けど何故だろう。心に後悔なんてない、あるのはやってやったという澄んだ満足だけだ。

 

 楽しかった。俺はこの一瞬だけ、死ぬほど夢見た冒険者──冒険譚の主人公になれてた気がする。

 普通に生きてんじゃ一生入れなかった迷宮ダンジョンを進み、実在すら曖昧だったドラゴンに打ち勝つことが出来たのだ。これ以上の幸せは望めないだろう。


『──さようなら、紅蓮ぐれん

「……ああ、さよならだ」


 ただ一つだけ、我が物語にやり残しがあるとするならば。

 彼女ともう一度、共に夢を目指したかったと。それだけを思いながら、俺はゆっくりと眠りについた。

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