ベッドの上にて

「……はあっ」


 ぎしぎしと、白いベッドを揺らし窓を眺めながら、誰もいない病室でぼんやりとため息を吐く。


 窓から見える青空。最初こそ感動に打ち震えたが、三日も経てば飽きてしまうというもの。

 三日……そう、三日だ。

 時間が流れるのは早いもので、俺が目を覚ましてから、もうそのくらい日にちが過ぎてしまっていた。


「……やっぱりまだ、信じられねえなぁ」


 こんな様なのが何よりの証拠なのに、それでも未だ現実を受け入れきれていない。

 俺と狩屋かりや迷宮ダンジョンへと閉じ込められ、そして二人揃って生還することが出来た、そんな奇跡みたいな出来事など。


 ……そして。


「そーお? だらしないなー、紅蓮ぐれんくん?」


 ──この目の前に浮いている、目のやり場に困る扇情的な格好をした、絶世の美女の存在も。


 




 目を覚ました俺を待っていたのは、知らない白い天井と全身を走る痛みだった。

  

 医師の話では一週間ほど眠っていたらしく、傷は癒やせたものの、いつ意識が戻るか分からないほどの重症であったらしい。

 

 らしい、というのはそこまで実感が無かったからだ。

 何でも搬送された先に運良く卓越した治癒士ちゆしがいたらしく、迅速且つ高度な治療が施されたのだとか。そうでなければ狩屋かりやはともかく、俺は助からなかったらしい。


 運が良いことだと、我ながら自らのしぶとさに呆れてしまう。

 実力ある治癒士ちゆしはそれに伴い高額だと聞いたことがある。ほんと、そんな金を出してくれた両親には一生頭が上がらない。


 ……両親。そう、意識が戻って初めて駆けつけてくれたのも両親だった。

 怪我人だってのに抱きしめられたり撫でられたり、こっちが看病している気持ちになるくらい涙を流されてしまった。


 近くに看護師がいたから死ぬほど恥ずかしかったし、すっごく照れくさかった。

 けど、それ以上に嬉しかった。こんな好い両親の元に帰ってこれてやしないと、迷宮ダンジョンだと答えを出した時には、もうほとんど諦めていたのだから。


 たくさん話をした。こんなに面と向かって話したのは初めてだと、そう思えるくらい。

 それでようやく日常に戻って来られたのだと、心の底から安心できたのだ。

 

 そして次の日。荷物を持ってきてくれた両親の次に来たのは法の執行者──つまりは警察の人であった。

 

 いきなりの来訪に思わず心臓が跳ねたものの、正直やっぱり来たかという納得が心を占めていた。

 いかなる理由であれ、迷宮ダンジョンへの不法侵入は重罪だ。

 物を盗んではいけない、人を殺してはいけないなどと同じように、子供でも分かる常識的な禁忌タブー。れっきとした犯罪行為を犯した俺達に、お咎めがないなんてことはあり得ないことだ。


 おそらく学校は退学、退院後に少年院にでも連れて行かれることになる。

 今日は多分それを宣告にでも来たのだろうと、そう思いながら毛布の中で拳を握りながら、話を聞こうとした。

 

「……あー違う違う。ただの聴取でしょっぴきに来たわけじゃねーさ」


 何かの書類にサインを求められ、それに応じているときに堂本と名乗った警察の人にそう言われた。


 不安が声にでも出ていたのか、それとも子供の考えていることなどお見通しなのか。

 果たしてどちらなのかは知らないが、ドラマに出てくるベテラン刑事のような格好をした中年の警察官は、ベッドの近くに置いたパイプ椅子に座りながら、苦笑いしながら手を振って否定する。


「確かに迷宮ダンジョンに許可なく入ったら捕まっちまうが今回は別さ」

「……別?」

「ああ。あれが適応されんのは出入り口の確立された迷宮ダンジョンだけ、つまりこの国なら“白社しろやしろ”と“神銀山しんぎんざん”の迷宮区、あと“空湖からこ”に限った話なんだよ」

「だから捕まることはねえ。そうだなぁ……夜遅くまで家に帰らなかった未成年が事故に遭ったで処理されっから、まあ厳重注意で終わりって感じだな」


 あんま知られてねえけどなと、堂本さんは微妙な顔をしながらも、窓から見える大きな山を指差しながら分かり易く説明してくれた。


 ちなみにもう一人の方──狩屋かりやは既に退院して復学しているらしい。

 あいつなら面会にでも来そうだが、まあ遅れた授業と課題が忙しいんだろうし仕方ないだろう。

 

 早々に日常へと戻った友人にちょっとした寂しさを覚えながらも、今は警官の話が優先だと気を取り直し、聞かれたことへ答えていく。


 どこで迷宮ダンジョンに入ってしまったのか、中には何があったか。……そして俺の荷物の中に入っていた、芦木文也あしきふみやの冒険証についてなど。

 

 別に後ろめたいこともないので、偽りなく状況を言葉にしていった。

 どうせ|狩屋かりや》からも聞いているに違いない。せっかくの冒険話、どうせ話すならちょっとは盛りたいのが子供心というものだが、ここで余計なことをいうのも面倒臭くなるだろうからやめておいた。


「……うん、これで終わりだ。お疲れさん」

「……あの、嘘だと思わないんですか?」

「さっきの紙は読まなかったのか? 心を読める、そういう“固有スキル”持ちなんだよ」


 サインする書類はよく読んだ方がいいぜと、呆れながらに注意してくる堂本さん。

 慌てて読み直すと、確かに聴取の際固有スキルの使用を許可するといった文が書かれていた。

 

 失敗した、よく読んでおくべきだったと、自らの杜撰さを後悔する。

 手帳も見せてくれた警察が渡した資料だったので平気だろうと高を括っていた。むしろこういうのほどしっかり読み込まないといけないと、後で痛い目見ることになってしまうのにな。


「そう、何事も油断せずってな。冒険者になりてえなら、その辺しっかりしないとな」


 堂本さんはそう締めくくり、困ったときに連絡しろと連絡先を置いて帰っていった。

 その時の後ろ姿がえらく様になっており、イメージ通りの警察官とか本当にいるんだなと思ってしまった。

 

 ……まあそんなこんなで二日経ち、今日が三日目に突入した。

 学校側から課題が届いたとはいえ、あと四日はごろごろしていないといけないのは中々堪える。

 

 体も動かせないし個室だから誰かと話すといったイベントも起きない。

 両親は仕事で忙しいだろうし、平日なので狩屋かりやの来襲を期待も抱けない。


 まさに暇の一言。もう真っ昼間のお休みタイムにでもしてしまおうと思っていた。

 

『──おや、お昼寝しちゃうのかい? 夢で話すのも悪くはないけど、せっかく起きているんだしこのまま雑談へとしゃれこみたいんだけどなー?』

「──!?!?」


 そんなときだ。俺以外誰もいないはずのこの部屋に、どこからか声が響いたのは。


 思わず跳び上がりそうになるが、僅かに動いただけで走る痛みに止められる。

 未だに続く筋肉痛に顔を歪ませながら周囲を確認するが誰の姿もなく、シーツの擦れる音が耳に入るだけ。

 

 ……気のせい、か。意外と寂しさにまいっちまってんだろうか。


『幻聴とか酷いなー。私ときみは共に戦った仲、現代風に言えばズッ友的な関係じゃないかよー』


 またもや聞こえた女性の声は、不貞腐れたように不満を漏らしてくる。

 今度は聞き間違いではない。誰かがいる、姿も形もないがそれでも確実に俺を見ている奴がいる。

 

 ──いや違う、そうじゃない。

 俺の中だ。意味が分からないが、部屋ではなく俺の体の中に誰かがいる──!


「……誰だっ」

『およ? この声に思い当たりがない? ……さては忘れているなぁ? この命の恩人様をさぁ!』


 まるで知り合いのようなことを言ってくる声の主。

 だけど正体に行き着くことはない。体の中に入って会話してくる生き物になど当てはなかった。


「……出てこい、姿を見せろっ!」

『仕方にゃいにゃー。ならば教えましょー! 話すこともあるしねー!』


 少し大きな声で叫べば、返ってきたのは明るい了承。

 直後、体から蛍ほどの大きさの光が弾かれ、俺の目の前にふよふよと漂い始める。


 自分の体が出てきた得体の知れない光。見て分かるのは、その光に魔力が宿っていることだけ。

 正体不明摩訶不思議。未知の現象を前に鼓動を加速させながら、光を凝視し動向を窺う。


 やがて光は俺の足近くで動くのを止め、そのままで数秒ほどが経過する。

 何かするのではないか。静止した光に首を傾げた──その瞬間、光は一気に輝きを増し、目を瞑ってしまうくらい部屋中を染め上げる。


 一体何だ、何がおき──。


「呼ばれて登場ジャジャジャジャーンッ!! 思念体とはいえ久方ぶりの顕界だーい!!」


 引いてきた光に、少しずつ目を開け──そしてそのまま、驚愕で大きく見開いてしまう。

 そこにいたのは人、それも美女。濃い金色の長髪を靡かせ、ムラのない小麦色の肌をした、スタイル抜群な絶世の美女だ。


 すらっと伸びる長い足に、青少年の心を乱す適度な大きさの胸。

 完璧な調和、まるで黄金比。整いすぎたその美貌は、下卑た情欲で汚すことすら忌避すべき奇跡。そんな存在が、ほとんど全裸で目の前に存在している。

 暴力的なまでの美を持つ、まさに理想の美女。男ならば必ず思い描くであろう、自分にとって最も美しいと思える妄想の具現がそこにはあった。


 本能のまま下半身に血が巡りだし、一部分が熱と活気で蠢き始める。

 師匠でもしずくでも感じたことのない欲の激流にまるで抑えが効かず、とっさに取れたのはその部分を手で隠すことだけだった。


「んんー恥じることはないぞ。英雄は色を好んでこそ、中々立派な物を持っているようだしなっ!!」


 女は楽しそうに微笑みながら、指を弾き小気味好い音を鳴らす。

 すると女の体が光りだし、一秒も経たない内に黒いドレスを纏った姿へと変貌してしまった。


「当世はこのような格好が流行り……いやこれグレンの趣味じゃな? この姿のモデルといい、中々好い癖を持ってるねえ」

 

 彼女が何を言っているか欠片も耳に入ってこない。

 胸を占めているのは、圧倒的な美を眺められなくなったことへの口惜しさだけだった。

 

「ありゃりゃ、神気でも漏れてたかな? まあ神を見るのは初めてとはいえ、これじゃあ話が進まない……しょうがないか、ていっ」


 そんな惚けきった俺へ女は浮かびながら近づき、額を指で小突いてくる。

 触れられたことに快感を覚えた瞬間、曇りきった意識の雲が散らされ、昂ぶっていた気持ちがゆっくりと落ち着き始めた。


 顔を手で押さえながら、指の冷たさに頭が冷えていく。

 何が起きた? 俺は何を考えていた? まるで俺が俺ではなかったみたいな──。


「──どう、落ち着いた?」

「あ、ああ……」

「ならばよし。いやーごめん、久しぶりすぎてちょい調整間違えちった」


 申し訳なさそうに両手を合わせながら、再び少しだけ距離を取った女。

 美しいことに変わりはないが、今度は先ほどまでと違って我を忘れたりはせず、冷静に女を見ることが出来ている。


 ……何だったんだ、まるで高度な魅了にでも掛かったかのようだった。


「時代も違うし耐性ないのはあり得ることだよねー。……まあきみは特別かな? 初見の魔力マギがないのに完全に獣にならなかったんだからさっ」


 頷きながら話している内容のほとんどは分からないが、褒められていることはふんわり理解できる。

 思春期少年としては美女に褒められるだけでちょっと嬉しいが、そんなことより質問をしなくては。


「な、何者なんだよ、お前は」

「……そうだね、そろそろ本題。まずは自己紹介をしようか、グレンくん」


 女は愉しげに笑みを浮かべながら、教えたこともない俺の名前を呼んでくる。


「ごほん、では改めて。──初めまして高峯紅蓮タカミネグレン、この時代唯一にして最期の契約者よ」

「我が名はエーリア****。遠き過去においてエーリアと崇められた、君たちが神と呼ぶものさ」

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