乗り切って

 ──音が聞こえる。ずっと聴いていたはずの声が、泥沼の微睡みに反芻する。

 

『じゃあ一緒になろ! 冒険者に! 紅蓮ぐれんと私の二人で!』

『ああ!! 二人で最強の、皆に誇れる冒険者になってやろうぜ!!』


 幼き日の誓い。前すら碌に見えてなかった愚かな少年と、それに付き合ってくれた少女が夕暮れに交わした一つの約束。

 

 ……懐かしい、忘れるはずもない夢だ。

 師匠に出会ってから数年。中学に上がり、あの日が訪れるまでは幼子のように鍛えることに勤しみ続けたものだ。


『──無理よ。あんたと私は違う、冒険者になんてなれっこないわ』


 そして中三の頃。約束した幼馴染からに告げられた、目を逸らし続けてきた現実。

 その言葉をどうしても否定したくて、ただがむしゃらに抗い続けた一年間。父も母も師も、皆が否定もせずに見守ってくれた。


 けれどもやはり、現実はあまりに無情。

 入学して努力で追いつけるのだと喜ぼうとした直後、否が応にも直面させられた差に打ちのめされた。


『それがわからないなら、私とあんたはここまでよ。……さようなら、紅蓮ぐれん


 彼女と交わした会話が、今も記憶から離れない。

 どれほど手を伸ばしても届かない。彼女の──月野雫つきのしずく横に立つことなど出来ないのだと、思い知るほかなかったのだ。






 目が覚めてから視界に入ったのは、天井すら曖昧な薄暗い空間だった。

 

 ……寝ていた……いや、気絶していたのか。


 締め付けるかのような痛みに堪えながら、頭を振ってふらつく意識を整える。

 手を開いて握るのを二三回。……うん。万全とは言いがたいが、それでもそこまで重傷というわけではない。感覚的には全身にちょっと重い筋肉痛が走っているくらいだ。


「……高峯たかみね、起きたのか?」

「──狩屋かりや……狩屋かりやっ!!」


 周りを確かめるために鞄から懐中電灯を取り出そうとしたとき、すぐ隣から掛けられた声に心臓をびくつかせてしまう。

 急いで懐中電灯を手に持ち、声の方向──先ほどまで狩屋かりやが倒れていた場所に光で照らす。


 意識を失う前と同じく、倒れたままの狩屋かりや

 けれど目はしっかりと開き、多少弱いがしっかりと発声出来ている。先ほどまでの死にかけと比べれば、回復していると言って良いだろう。

 

「俺より遅いたぁ随分な寝坊だぜ」

「……寝坊助がよく言うよ。俺が起こしてやったんだぞ」

「……そうだな。ありがと、まじで助かったよ」


 力は無いが、それでも僅かな笑みを顔に浮かべる狩屋かりや

 そこまで経ってようやく死から遠ざかったのだと、頬が緩みそうになくらいの歓喜が出てしまいそうだったが、できる限り平時と変わりない口調を心がけながら話す。


「……んで、抜け出せたってことでいいんだよな?」

「多分な。見れるかは知らんがそこ──後ろに白い靄がある。一個前と一緒なら、恐らく違う領域なはずだ」


 俺もさっきようやく気付いたのだが、いつの間にか入り口と同じ靄がそこにあった。恐らくだが、あれは扉のような役割を果たしているのだろう。

 その証拠に床も壁もあの長ったるい階段と同じ薄暗い石に変わっており、あれほど燦々と輝いていた太陽の光は欠片すら届かず、懐中電灯と白靄だけが光源に戻ってしまっている。

 

 まあここまで遮断されちゃあ、隣に先ほどまでのジャングルがあるのかすら定かではない。そう考えると扉というよりワープ装置だが、転移魔法ワープなんざ使える人間は現代においても一握り。実際にお目に掛かったことはないから、それが正しい推測かは知らないけどな。


 ……やめやめ、考えるだけ無駄だ。

 とりあえず危機は去り、魔物モンスターに襲われる危険が少ないってことだけを喜んでおこう。


「動けそうか?」

「……わかんね。けど今すぐには無理、流石に休憩してえ」

「……そうだな。俺もきついし、今はとにかく休もう」


 狩屋かりやほどではないが、俺もぼろぼろなのには変わりない。

 このまま休んでいても剣すら振れず、まともに走れる気がしない体。平時であれば、三日くらい寝転がって休んでいたいくらいのぼろぼろ具合だ。


 すぐ横に転がっている小瓶を拾い上げ、目を凝らして残量を確かめる。

 三分の一ほど残っていたはずなのにあと一滴程度しか残っていない。どうやら手元が安定しなかったために、必要以上の量を狩屋かりやに使ってしまったらしいな。


 まあそれで助かったのだから、使った量なんて大したことじゃない。

 回復魔法ヒールと違って過剰な摂取は毒になる可能性があるが、命の危機に足りませんじゃ済まないんだし、何より調整するなんて考え自体が抜け落ちていた。



「……回復促進薬ポーション、もうなくなっちまったのか」

「──うえ苦っ……ってああ、これで最後だ。もう命綱は切れちまったよ」


 最後の一滴を口に零し、一気に広がる苦みと瞬間的に広がる痛みに悶えてから言葉を返す。

 入学してから三ヶ月で慣れたとはいえ、やっぱ辛いものは辛い。今回は今までで一番酷かったし、不快度もそれ相応に増してやがった。

 ……まあ隣で寝ている奴の方がもっときつそうだし、これくらいで済んでて良かったんだろう。


「……済まねえ。あの怪我治せるもんってことは上級回復薬ハイポーションだったんだろ? んな高級品使わせちまっても、返せる当てなんてねえんだぜ」

「……馬鹿が。命より高い物はない、拾えた命があるなら儲けものだ」


 楽な体勢に座り直しながら、中身のない小瓶を膝に置いた鞄へ雑に放り込む。

 面と向かって素直に言うのは恥ずかしいが、別に言葉に嘘などない。こんなもらいもんの薬で一人、それも友達の命が救えるなら損はないからな。


 狩屋かりやは力なく笑った後、再び礼を言って口を閉じる。

 しばし流れる無言の間。例え回復促進薬ポーションを飲んでいたとしても、双方共に疲労困憊には変わりないことだ。

 

 別に気まずくはない。両手で足りるくらいの数しか話す知り合いもいなかったから、会話がなくとも苦にはならない人生を送ってきた。

 それに、今は少しでも力を蓄えたい。ましに動ける俺が寝るわけにはいかないしな。


「……なあ、高峯たかみねはなんで冒険者になりたいんだ?」

「……いきなりどうした。しゃべらず寝てた方が休めるぞ」

「いや、そういや聞いたことねえなぁって思ってよぉ。せっかく一緒に迷宮ダンジョンに来たってのに、ちと味気ねえなぁってな」


 静寂を破った狩屋かりやの疑問。……確かに思い返せば、俺もこいつも軽い自己紹介以外はそこまで深い内容を話したことはなかった。

 狩屋かりやがどうかは知らないが、少なくとも俺は避けていた。聞けば当然聞き返される、だから話したくない俺が振ろうとはしないのは当然だ。


 ……ま、みっともないがこんな場所じゃあ隠す意味もないな。


「……憧れだよ。どんな子供でも抱く、大好きな両親みたいになりたいっていうな」

「両親って……まじか」


 俺がぽつぽつと、思い出すようにゆっくりと動き始めた過去に驚きを示す狩屋かりや

 何も珍しい話というわけではない。テレビに映る芸能人と同じで、冒険者の同職結婚は少なくない方だ。

 

 ただ多くの場合は親の素質を受け継ぎ、次の世代で何かしらの頭角を見せることが多い。

 例としてはAクラスの光崎こうざき。あいつも両親共に冒険者、更に父親の方は最高位の上級冒険者として名を馳せている金の卵だ。

 

 だから俺はあまり親のことを話さない。宝石から生まれた石ころである俺にとって、彼らの存在自体がコンプレックスになっていたのは否定できない事実だからだ。


「俺には魔力がないだろ? だから養成付属校の受験には失敗して、結局普通の学校に通ってさ。そこで会った師匠に剣を教わったんだ」


 師匠との出会いは、まさに痛烈の一言で言い表せるものだった。

 受験に失敗し、幼いながらにふてくされていた俺に起きた命の危機。不注意で車に轢かれそうになった俺を、師匠は鮮やかに助けてくれたのだ。


 あれよりも師匠に怒鳴られたことはない。けれどもあの日に撫でられた暖かさもまた、忘れられるはずはない。

 あの日師匠に出会った本当に良かった。おかげで、どうにか入学までこぎつけられる程度まで鍛え上げることが出来たのだから。


『悲しいほどの剣才じゃ。もし生まれる時代が違えば、或いはしずくに並ぶ冒険者になり得たかもしれないのう』


 かつて師匠は、優しくも悲しそうな瞳をしながらそう哀れんだ。

 現実を見据えて告げた残酷な事実。夢見がちな少年の夢をへし折るには充分たり得る言葉の暴力。

 けれど、ああ、その過言過ぎる褒め言葉にどれだけ支えられたか。あの人にそう言われなければ、俺は入学まですら夢を見ることすら出来てはいなかった。 


「……ま、そうして苦労して入ってこの様。結局魔力なしノンマギには不可能だったってことさ」


 話している内にやけになっていた口調で結論を吐き捨てる。

 全てを話し終えて、なんと惨めで意味の無い人生だったと思わずにはいられなかった。

 

 そんな風に褒められといて、自慢の剣術は怪物に通じるとすら思えなかった。

 吐き捨てれば楽になれると誰かは言ったが、実際はそんな風に上手くはいかない。貯まりに貯まった濁りを直視しなければならず、掃除しきれなければ余計に蝕まれ続けるのだ。


「……でも冒生に入学は出来たじゃねえか。魔力のハンデがあって入れるなんて、それだけで凄え事だぜ?」

「うるせえ。……で? お前は何で冒険者目指してんだよ?」


 返しづらい言葉を誤魔化すために、強引に話を変えて狩屋かりやへ問う。

 こいつが中学から冒険者になりたいって決めたのは聞いたことがある。その年代で目指し始める奴は少ないし、結構気になりはしていたのだ。


「元々は俺より妹がなりてえって言ってたんだ」

「……妹がいたのか。いくつくらいの?」

「三つ下。年頃でちょっと生意気だけど可愛い奴でな? 俺と違って頭も魔法も期待されていたんだぜ?」


 妹のことを話す狩屋かりやは、随分と楽しそうに微笑んでいた。

 仲の良い兄妹なんだろうってことは聞いているだけで察しが付く。そうでなければ家族のことなど、俺みたいに話さなくていいようにはぐらかすはずだからな。

 

 だが少し引っかかる。されていたとはどういうことなんだか。……あんまいい予感はしないな。

 

「……されていた?」

「去年事故に遭って片足を失っちまってな。冒険者は諦めざるを得なくなっちまったんだ」


 あっけらかんと答えた狩屋かりやに、俺はどう返せばいいのかわからなかった。

 案の定……いや、予想以上に重たい話だ。才があったのならなおのこと、挑む前に夢を捨てなきゃいけないのは辛いことだろう。

 そもそも、家族が事故に遭って足を失うってことだけでもきついだろうに。それを人に話せるってことは、もう乗り越えた過去なんだろうな。


「すっげー落ち込んで塞ぎ込んじまってよ。当たり前だよな。俺だったら耐えきれねー」

「……ああ、俺もだ」

「だろう? だから、そんなあいつを見てたら言っちまったんだよ。兄ちゃんが代わりになってやるって、お前の夢も背負って、絶対すげー冒険者になってやるーってな?」


 少し恥ずかしそうに語る狩屋かりや

 こいつにとってはきっと、妹を励ましたい一心だったのだろう。中学生にもなれば、それがどれだけ無茶無謀な宣言かわかるはずなのに、それでもはっきりと言ってしまえたのだから。


「親にはめっちゃ反対されたなぁ。結局受験は一回だけ、落ちたら二度はないってことで納得してもらったんだ」

「……それで冒生に合格かよ。一年でそこまで出来るとか、えげつねえくらい優秀じゃねえか」

「へへっ、まあ必死だったからな。まじで怒濤の一年だったぜ」


 ……怒濤か。そんな一言で言い表せるほど生優しくはなかっただろうに。

 冒生に限らず、

 多くの者はエスカレーター式で幼い頃から学び、そして一部の訳ありが裏で血の滲むような苦労を掛けてなければ受からないのが一般的だ。

 それを一年の詰め込みで、それも国内最高峰の冒生にかよ。とても信じられる話じゃないし、実際それを聞いてからこいつを見ても、とてもそんな奴には思えなかった。


「……妹はそれで良い顔したのかよ? 俺だったら自尊心粉々だぜ?」

「おう、案の定大喧嘩したぜ。あいつががちで火炎魔法フォイア放ってきたときゃあ死ぬかと思ったぜ」


 けろっと言ってくるが、あんまし笑えるようなことじゃなかったはずだ。

 そもそも本気で冒険者になりたかった妹が、夢を奪われただけではなく最も近い家族である兄に見せつけられたのだ。

 もし妹さんの立場に俺がいれば、きっと斬りかかっている。……まあ、俺がそうなるとしたら対象はしずくだろうし、雑に払われて終わりだろうけど。


「ま、そこまでやってもこの様。冒険者どころかAクラスにも満たないで終わりそうだけどなぁ」

「……お前はこれからだよ。三年までにはあいつらに追いつくさ」


 生きて出られればなと、危うく呟きそうになったのを間一髪で堪える。

 思うのは性分だし勝手だが、後ろ向きなことなどいちいち言わなくても良いことだ。少なくとも、けが人を前に希望を削ぐことに意味などない。


「なあ高峯たかみね……いや、紅蓮ぐれん

「んだよ、いきなり」

「必ず帰ろうぜ、二人で」

「……ああ、そうだな。生き残ろう、まもる


 互いにぼろぼろ。けれど改めて、より難度の高い約束を交わす。

 今の今まで片鱗すらなかったというのに、不思議と下の名前で呼び合うのに抵抗はなかった。

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