命からがら

 迷宮ダンジョンに住まう怪物は、世の中では魔物モンスターと呼称されている。

 

 基本的に迷宮ダンジョンから出てくることのないこと。人と同じように魔力を宿し、迷宮ダンジョン外の獣と一線を画す力を持つこと。迷宮ダンジョンから出てくることは限りなく少ないことなど。一般人が知ることといえば、これくらいだろうか。


 先人が残してきた歴史。そして現代いまの冒険者が迷宮保護法に触れない範囲で語る、人の理解を超えた数多の怪物達。その全てをまとめようと、冒険者でない多くの人々が知ることは限りなく少ないと言っていい。

 

 一節には神の試練とも言われ、一部では悪魔の末裔とすら揶揄される、迷宮ダンジョンを人の届かぬ領域と化す理由の一つとされる怪物達。

 中には超常種オーバードと畏怖される、災害に等しい伝説的な種族も存在するが、まあ今はどうでもいい話か。


 ──ともかく今知るべきなのは、残酷なまでに絶望的な一つの真実。

 冒険者でもない小僧二人にどうにか出来るほど魔物モンスターは甘くないと、それだけだ。






 草木などお構いなしに、無我夢中で駆けていく。

 一歩でも止まれば捕まってしまう。確信とも言える恐怖に囚われぬよう、ただがむしゃらと。


「──っ!!」


 四方八方、あらゆる方向から迫る獣。

 砲弾のように迫る一匹を身を捩って避けながら、進む方向を見失わないよう必死だった。


 情けないことだが、狩屋かりやに気を回す余裕はない。一秒でも気を緩めれば、俺自身の命が潰えてしまうことは明らかだからだ。

 

 全体を見る一瞬すら作れない。

 庇ってもらっておいてこんな様な自分が嫌になるが、悲観している暇すら今はなかった。


「──くそっ」


 体を丸め、自らを大玉にして地を転がる針獣。

 当たれば必死、串刺し圧殺の猛威。走りながらもとっさに飛び上がり、真上にあった木の枝を掴み体を反らすことで回避する。


 ……くそったれ、一体いつまで逃げればいいんだよ。


 未だ見えない扉に歯痒さを覚えながらも、未だ抜けることすら叶わない現状。

 急速で減少する体力。いかに体の調子が良いとはいえ、命の危機を感じながらの全速がいつまでも続くわけがない。


 強化を使って一気に抜ける? それとも覚悟を決めて剣を抜く?

 ……駄目だ。三秒程度しか保たない俺の魔力量じゃ、好転の糸口にもなりやしない。仮に一体狩れたとしても、自ら足を止めたのでは袋の鼠になるだけだ。


 いつまで走れるか……いや、いつまで攻撃を浴びずにいられるか。

 

 上とは違う質で迫る、直接的な暴力の恐怖。

 生き残るためには走り続ける道はない。そうわかっているからこそ、存在すら定かではないゴールを目指し、死に物狂いで体を動かし続けることしか出来なかった。


 あれほど慎重に歩いていた森林ジャングルを、景色を見る間も無く進んでいく。

 

 少しずつ、ほんの僅かではあるが変化していると、直感は切に告げてくる。

 確認の術はない。何なら大小関わらず、どこが変わっているかの区別を付ける余裕もない。

 

 ただそれでも、不思議とそんな中ですら。

 目的の場所に近づいているとだけは、どこか確信めいたもの抱きながら足を動かし続けていた。


「──ぐっ!!!」

「──狩屋かりやっ!?」


 だがそんなとき、背後で呻きを上げた男の声が耳に届いてしまう。

 足にぐっと力を込め、急停止ながら振り返り、狩屋かりやの側へと急いで近寄る。

 手で肩を押さえ、息を絶え絶えに荒くしながらふらつく狩屋かりやを見て、俺は奥歯に力が入ってしまう。


「大丈夫か? まだ走れる──」

「ば、馬鹿野郎っ!! 早く行かねーと追いつかれちまうぞ!!」


 狩屋かりや俺に怒鳴ろうとするも、既にそんな声量すら出すことすら出来ていない。

 体に触れて確かめれば、魔力は既にガス欠。今も意識を保っていられるのが奇跡と言って良いくらい、限界以上の消耗をしているのがわかってしまう。


 魔力は生命力から連なる力。体力と同様、尽きれば当然死は免れない。

 ここで助けようとも、こいつが助かる可能性はほとんど皆無。この先生き残れる確率なんてほとんどなく、俺の足を引っ張る置物にしかなり得ない。


 見捨てるべきだと誰かが囁く。

 目の前でそう言われたのだから捨て置いても大丈夫だと、背後からの誘惑が手を招いてくる。


 悩める時間は砂粒より小さい一瞬のみ。怪物達は今にも追いつき、俺たちに牙を剥くだろう。

 さあ決断しろ、足を動かせ。さもなくば、こいつどころか俺の命も失ってしまう。

 元々そういう約束で冒険を始めたはずだ。なら別に、それを躊躇う理由はどこにもない。


「な、おいたかみ──」

「煩い! しっかりしがみついてろよっ!!」


 だというのに、自分でも驚くほど躊躇いなく狩屋かりやを背に抱えてしまう。

 何か文句を言っているが聞いてやる気はない。鞄があるから死ぬほど気持ち悪い感触だろうが、そんなことをいちいち気にしてやる時間はどこにもない。

 

 これからやることは勝率一割未満、一世一代の大博打。

 一般的な狩屋かりやの魔力にすら劣る、小粒ほどしか持ち得ない魔力を強化に回して一気に速度を上げる、一瞬のみの愚かな加速だ。


 ……わかっている。かすかに抱けていた希望の一切を芥と化す、生を放棄した愚行だと理解している。

 一瞬だけの強化に価値などない。それが許されないからこそ、俺は冒険者になれないと断定されたのだから。

 けれども、二人共助かれる道なんて他にはない。一瞬で詰めれる範囲内にゴールがあって、謎解きもなく俺たちだけがくぐり抜けれる奇跡に掛けるしかない。

 

 ……助けないなんて自分で約束しておいて、結局自分で破っちまうとか本当に度し難い。

 けどごめん。守れないのは俺の方だ。

 助けられたからとか関係なく、友達を見捨てられるほど強い心を、俺は持ち合わせていなかったよ。


加速アクセラッ──!!」


 唱えたのは基礎強化魔法が一つ、強さよりも速さを優先する身体強化。

 使用者が注ぐ魔力の量で大きく差の出る強化魔法。

 欠片程度の魔力しか無い俺は、その全てを凝縮し、ただの一瞬で解き放つのみ。


 瞬間だけは最速な歪な強化。

 その僅かな間だけが俺は最弱を捨てることが出来る、唯一にして絶対の限界突破。


 色すら掠れた何かを通り過ぎながら、目の前すら目もくれずに足を動かし続ける。

 音も、後ろの気配も、思考すらも。

 感じる全てを置き去りに、淡く青い光は閃光へと姿を変え、ただ無尽に加速し続ける。


 だがまだだ、まだ足りない。もっと速く、もっと遠くへ。

 足がもつれるまで。歩みが止まるまで。──この身に限界が訪れるまで、ただ夢中で駆け抜けろ──!!


「──い、てっ」


 そうして死に物狂いで走り続け、限界は急に体へとのし掛かる。

 体に宿った淡い青光は失せ、支えを失ったかのように、足を動かしていた力は一気に抜けてしまう。


 ──まずいと思い、狩屋かりやを放した直後。

 速度を抑えきれず、地面に投げられた体は速度のまま、固い地面を転がり滑らされる。


 中途半端に頭を守ることしか出来ず、勢いのまま全身を打ち付けられていく。

 痛いと感じることすら生温い。備えなく車に轢かれればこういう風になるのだろうと、この光景を遠目で眺めていればそう思うのだろう、引き千切るような衝撃で。


 そうしてごろり回転を続けた後、やがてゆっくりと静止し、体は地面へ打ち捨てられる。

 体の至る所が軋み上がる。全身に激痛が走り、思考が痛みで塗りつぶされ、頭がどうにかなってしまいそうになる。


 だが、そんなものに苛まれている暇はない。

 ここが安全かもわからないし、今一番優先しなければいけないのはそんなことではないからだ。


 足に力は入らず、立ち上がることは出来ない。

 だから残りの力で手を動かし、もぞもぞと這いずって狩屋かりやの元に近づいていく。

 

 冷たく固い地面。最初の迷路のようなただ無機質な石の感覚が、先ほどとは違う場所であると想像させてくる。

 だがそれを確認する余裕などない。例え近くに涎を垂らす獣がいたとしても、最早構っている猶予はないのだから。


「……か、狩屋かりや。……くそっ」


 ようやく側に辿り着いた俺は、そこでようやく狩屋の現状を視認した。

 背を地面を付け、仰向けになって倒れている狩屋かりや

 顔色は死人のように青白く、肩に空いた穴から出たであろう血が制服を赤黒く染め上げている。

 まさに瀬戸際。精利の境界に立っているのだと、医療を知らぬ素人でも理解できてしまうほど、容体は悪化していた。


 俺は節々に感じる痛みを食いしばって堪えながら、急いで背にある鞄を降ろし、中から一本の小瓶を取り出す。

 出来れば使う機会がなければ良いと思っていた回復促進剤ポーション。おぼつかない手で蓋を開け、狩屋かりやの口元に雫を一滴垂らし込む。


「──ぐっ」


 上手く口内に入ってくれたのか、狩屋かりやが僅かに苦悶の息を零す。

 これでいい。安売りの市販用ならどうにもならないが、二級なら一滴でも入れば効果はあるはずだ。


 まずは一つ。だが、まだひとまずの安堵に浸る余裕はない。

 依然重傷な肩を治すべく、再度腕に力を入れ、穴の開いた肩に手が届く位置まで近づき、傷口の真上で瓶を揺らした。


「──ぎやあああッーー!!」


 ぽたぽたと落ちる何滴かの雫が、穴の縁に触れて奥へと染みこんでいく。

 それと同時に、意識のないはずの狩屋かりやから発せられる叫び。絹を裂くかのような悲鳴に、鼓膜を劈いたかと錯覚させられる。


 だが効果は覿面。その苦悶の量に比例くらい、急激に変化は始まる。

 まるで上級治癒魔法ハイヒールを掛けられたかのように塞がっていく傷。時間が巻き戻っているみたいだと、俺では起こし得ない奇跡が目の前で起きていた。

 

 ──耐えろ、耐えてくれ狩屋かりや。お願いだから死なないでくれ。

 

 何秒経っただろうかは定かではないが、気が遠くなるほど膨大に感じたの時間の後。悲惨な光景に終わりが訪れた。

 

 電池が切れたかのように動かなくなった狩屋かりや

 一体どうしたのだと固まってしまうが、すぐに最悪の事態が脳裏を過ぎり、狩屋かりやの首に手を当て脈を確かめる。

 

 ……止まっていない。よく見れば、少しだが口で呼吸できている。

 

「……よ、よかった……」


 ひとまずは何とかなったはずだと、確証のない安心に大きく息を吐く。

 そして同時に視界が歪み、糸の切れた人形のように地面へ崩れ落ちていった。

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