現実

 数え切れないほどの謎を抱えた太古の遺産──迷宮ダンジョン

 

 誰が。何で。どうやって。

 創設理由から使い道など、根本すら未だに解明できていない神秘の名残。

 世界各地に存在し、現代においてすら最深部まで到達した場所が、数えるくらいしか存在しない難攻不落の総称だ。

 

 ──多くの物を失う可能性を持つが、それ以上の奇跡が巡る場である。


 最初に迷宮ダンジョンを踏破したとされる冒険者は、魔境についてこう言い残した。

 

 多くの死者を出しながらも、それ以上に冨を得た者がいる。

 時代によって他の役割を与えられることはあれど、冒険者の本分はその未踏を進み続けることだ。

 

 俺もまた、その奇跡に魅入られた人間の一人。

 そして同時に、その夢は届かない理想であると理解わからせられた凡人。

 その夢に縋りながら今に歯を食いしばるだけの、愚かで情けなく吠える哀れな端役モブでしかなかった。






 無我夢中で持っている剣を振るう。 

 目の前で風雅に構えるいけ好かないイケメンに、せめて一撃でも与えられるようにとがむしゃらに。

 

「──ははっ、胴がおろそかだよ」


 けれど無意味。

 俺にとっての全力は軽やかに躱され続け、空いた胴へ鋭く空を切る木刀が打たれる。

 

 鈍く重い痛みに思わず息を吐きながら、体は崩れ落ちるように地面に倒れていく。

 せめて声は上げないように堪えながら顔を上ると、そこにあるのは憎たらしい美少年の顔。

 この学校でも一目置かれた実力者──光崎優こうざきすぐるが、地面に転がる俺に呆れの表情を浮かべてこちらを見ていた。


「これで今日三十回目。……まったく、これじゃあ訓練にもならないよ」

 

 まるでこちらが悪いのだと、そうとしか思ってなさそうな態度でこちらに手を差し伸べてくる。

 もう慣れたものの、それでも湧き上がる惨めさ。

 そんな負け犬の意地に従うように、尚更歯に力を入れ手を取ることなく立ち上がる。


「今のだって攻めが単調なんだ。力も速度も劣る相手に冷静さを欠いちゃ、もう何の価値もないだろう?」

 

 どうしてわからないのかと、目の前の人間を理解できないようなを向けながら、光崎こうざきは俺への駄目出しを始めていく。

 

 ……くそがっ。わかってんだよそんなことは。

 

 出来の悪い子供に問うみたいな口調に苛立ちを覚えるが、動きそうになる口を必死に堪える。

 言い返そうと思えば、反論自体はいくらでも出来る。

 けれどそんなのは不毛。言い分は間違いなくあちらが正しいし、あちらに悪意が薄い分、負け犬が何を吐いても余計に惨めになるだけだ。

 

 だからここは堪えなければいけない。ほんの少しでも不満を漏らせば、

 どうせもう少し経てば、この虚しいだけの時間の終わりを迎えるのだから。


「大体君はやる気あるのかい? いくらAとCの差が大きすぎるからといっても、君は真剣でこっちは木刀なんだ。例え君が魔力なしノンマギであっても、魔法マジックを使うとか固有スキルで活路を模索したりするとか、もっといろいろ──」


 長くなりそうな説教に火が付こうとしていたのを、けたたましく鳴るチャイムの音が遮ってくれた。

 光崎こうざきは良い足りなさそうな不満面を見せるも、堪えるように小さく息を吐いて俺に背を向ける。

 

 そんな光崎こうざきに寄ってきたAクラスの奴ら。

 死屍累々な俺とは違い、彼らは欠片の疲労も見せることはない。

 光崎こうざきも、先ほどまでの嫌みな面を爽やかな笑顔に変え、楽しげに談笑しながら校舎へと戻っていく。

 

 しゃべっているのはどうせ、いつものようにCクラスおれたちへの不平や文句なのだろう。

 笑いと共に話されるのは、もう散々聞き慣れた内容。

 だが、痛みと疲労に身を任せるので精一杯な俺には、彼らの振り舞いは随分と深く刺さる屈辱だった。


「よお高峯たかみね。今日は随分痛めつけられてたなぁ?」

「……お前こそ。酷い有様じゃないか」


 何ともなさそうな声色でこちらに話しかけてきた狩屋かりや

 けれど俺と大差ないのは一目瞭然。俺と同様──いや、それ以上に付いた青痣で大いに予想が付くというもの。

 もっと言えば、この場に残っているCクラスの連中も同じような有様。

 そんな中、こんな風に経っていられるこいつは本当に凄いと、そう思いながらゆっくりと校舎へ足を運んでいく。


「それにしても、二回連続で光崎こうざきの相手とか付いてねえな」

「……そうか? お前はたしか鰐山わにやまだろ? 甚振いたぶりたがりの畜生相手よりかは、あの優等生の方がまだ良心的だろ?」

「……どうだか。俺からすりゃ、互いの芝生が青いってだけだぜ」


 俺より酷い地獄を耐えきった友人に賞賛を送ったつもりが、何か芳しくない反応で返される。

 実力主義のこの学校でさえ、多少は注意されるあのチンピラ。

 強さを引き合いに女を喰っているとか噂される糞野郎よりかは、いけ好かない見下し優等生のサンドバッグの方がまだましだ。

 

 互いにため息を吐きながら、薄汚い更衣室の扉を開ける。

 クラスによって違う設備。俺たちCクラスおちこぼれが使うのを許されているのは、寂れたロッカーの置かれているくたびれたこの部屋だけ。

 入学してからまだ三ヶ月。それなのにいうのに随分な扱いだと、心の中で苦言を漏らしながら、散らばった衣類の中からタオルを手に取る。

 

 付けられた痣の痛みに耐えながら、全身の汗と汚れを拭いていく。

 俺がAクラス、いやせめてBクラスであればシャワーくらいは浴びれる環境にあったのだろう。

 今頃掻いてない汗を流すべく、無駄に手入れされたシャワー室を利用しているだろうAクラスエリート共を考えてしまえば、彼らと俺たちの差に思いしらされてしまう。


 けれどこれは仕方のないこと。

 この学校──冒険者養成学校において、実力以上に必要なものはないのだから、俺たちは苦渋に耐えながら続けていくしかない。


「そういえば聞いたか? 高田たかだの奴が今週で辞めんだとさ」

「……まじかよ。あいつが?」

「多分まじ。今日休んでんのも、転入先の関係らしいぜ」


 制服へと着替えている途中、狩屋かりやは少しだけ寂しそうな声に口にする。

 

 断言できないとはいえ、突然聞かされたクラスメイトとの別れ。

 だが悲しい哉、俺の心はそこまで揺れ動くことはない。

 何故なら今月に入って既に二度目。入学してから三ヶ月、この間にもう三回目になることだからだ。

 

「これで残り十五人。このままの調子じゃ、俺達もいずれ折れちまうんだろうな」

「……俺達って、一緒にするなよ」

「違わねーだろ? 三力さんりき全てが二流のCクラス。せっかく日本最高峰の冒生ぼうせいになれたとはいえ、所詮は落ちこぼれの集団の俺たちが冒険者資格を取れるかって言われちまえば、そりゃ無理って方に傾いちまうってもんさ」


 狩屋が吐いた弱音は負け惜しみとというより、自らを納得させるための諦めにしか聞こえなかった。

 まあそれでも、これが刺さるのはCクラスに所属している自分も同じこと。

 誰が言ったか負け組のCクラス。入学から三ヶ月で折られてしまった劣等生の集まりであることに、何ら間違いはなく、俺もその中で現実を味わい続けているのだから。


「俺も受け身だけは上手くなっちまってよー。いっそ冒険者なんて諦めて、スタントマンにでもなっちまえばそれなりには行けそうだよな!」


 へらへらと笑う狩屋かりやに、俺はすぐさま反論することが出来なかった。

 

 身体能力フィジカル知力ノーレッジ、そして魔法力マギリック

 三つ合わせて三力さんりきと呼ばれる、冒険者にとって何より必要な三つの要素。

 その全てが学年で劣っている者達がいる底辺学級こそがCクラス。実力主義の冒険者養成学校におけるヒエラルキーの最底辺、実力を明文化するために分けられた劣等生の集団だ。


 だから冒険者を目指した少年少女がこのクラスに入れば、それは素質がないと断ざれているも同然。   

 全員が退学して無人になることもあるくらいには希望のないクラス、それがこのCクラスなのだ。


 そんなどうしようもないほどの差を感じているからこそ、狩屋かりやの言葉がくだらない冗談と笑うことは出来ない。

 既に冒険者の道に陰りがある今、いつ最後の一押しがあっても可笑しくはないんだからな。


 痛みと落胆に空気を重くしながら着替えを終え、遅れてきたクラスメイトと入れ替わるように皇室から出る。 

 

 どいつもこいつもへこみ落ち込みのネガティブ空間。

 決して人のことを言えやしないが、それでもあの辛気くさい場所にいるのは御免だ。


「……次のクラスなんだっけ、数学?」

「あー、確か歴史だぜ。確か子ゼミ」

「そういやダンジョン史だったなぁ、まじかぁ……」


 周囲の人間のひそひそ話を耳に挟まないよう、狩屋かりやとの雑談に精を出す。

 皆が嗤うのは傷だらけの情けない様と、制服に付けられたクラスごとに違う装飾エンブレム

 

 この学校は冒険者の資格獲得のため、普通の学校よりも学ばなければならないことが多い。だから可視化された劣る存在でストレス発散のすることは、そう珍しくもないことだ。

 もちろん過度な暴力など、流石に止められることがないわけではない。

 けれど基本的に、ストップが掛かることはそう滅多にない。普通の高校のいじめだって見て見ぬ振りをするのだから、優れていれば正義の思想が強いここで厳しくされることはないからだ。


 ──冒険者には相応の振る舞いを。そして強者は弱者を守る盾となれ。


 そんな理念の元に設立された、日の国で最も格式高い冒険者育成校。

 それが実際にはこんなに野蛮であろうとは、幼い頃の俺にはこれっぽちも想像出来なかったろうな。


「……げ。おい月野つきのだ、面倒いから目を合わせるなよ」


 いち早く気付いた狩屋かりやが、端に寄りながらこちらに注意してきた。

 

 長く美しい黒髪を靡かせながら、向側からやってくる少女。

 彼女の名は月野雫つきのしずく。“永久氷土エターナル”の二つ名を冠する、Aクラスの中でも飛び抜けた実力を持つ才女だ。

 

 思わず息を止め、ごくりと唾を飲みながらゆっくりと歩を進める。

 一歩、二歩、三歩。

 なるべく目を合わせないように、それでも完全に顔が隠れないように彼女へと近づいていく。


 挙動不審な様はさながら不審者。

 だが彼女は、そんな俺に一瞥もくれることなく、まるで目に入らなかったかのように通り過ぎた。


「……ふう。数えるくらいしか見たことねえが、やっぱ通り名通りの冷てえ目だぜ」

「……そうだな」

「よしっ。次の授業もあるし、とっとと戻ろうぜ」


 狩屋かりやほっと胸を撫で下ろしながら、少し早足で先へ進んでいく。

 少しの落ち込みと今の立場を改めて認識しながら、狩屋の後に続くように歩を進めていく。

 

 ……欠片も興味なく、か。

 当たり前とはいえ辛いもんだ。これでも、昔はよく一緒に遊んだってのになぁ。

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