魔力なしの迷宮踏破

わさび醤油

 外ではないはずなのに、映し出された満天の青空。

 未知の力により投影された空の下。怪物達が犇めく荒れた荒野を、俺を無尽に駆け回る。


攻勢パワードっ! 今よ紅蓮ぐれん君!!」


 可憐な声と共に俺を包むのは、ただ一人を狙い定めた上位付与魔法トップバフ

 質、練度、倍率。

 全てにおいて超一級。流石の腕だと胸の内で感嘆を持ちながら、また一体巨体の怪物を切り払う。

 

 大蜘蛛、大蛇、石の人形、その他諸々。

 数えるのも億劫になる数に息を乱しながら、それでも体を止めることはない。

 

 彼女と俺が組めば最強。地元どころか世界中を探しても、敵う奴などいやしないのだ。

 

『──ほう。少しは手応えのあるやからが来たらしいな』


 数の暴力など犬歯にも掛けず、八割ほどを蹴散らした頃。

 ずしんと衝撃を響かせながら、圧倒的巨体は空で羽ばたきこちらを見下ろしてくる。


 ──あれこそがドラゴン。世界でも五指に入るであろう、数多の上に君臨する最上種。

 

「……紅蓮ぐれん君」

「心配ないさ。俺がいてしずくがいる、だから絶対負けないさ」


 不安がる美少女を励ましながら、目の前の超常存在に剣先を向ける。

 闘志を見せれば竜はにたりと笑みを零し、邪魔者を吹きとばさんとばかりに一層羽をはためかせる。

 立っていられるのは二人。俺と彼女、最強に挑む資格がある無敵のコンビだけだ。


『──さあ来い人の子よ。その力、我に示してみよっ!!』


 竜の嘶きは炎の吐息となり、二人を地面諸共を焼き尽くさんと迫り来る。

 彼女は幾重の詠唱を重ね、俺に力を与えてくれる。

 

「──さあ、行くぞっ!!」


 光り輝く剣を振るい、竜の灼熱を切り払いながら空へと跳び上がる。

 

 空に支配しながら爪を振りかぶる竜。

 振りの風圧だけで身を千切られそうな鋭爪。俺はありったけの魔力と力を剣と体に込め、刀身を黄金の輝きへと変化させて対抗する。


 ぶつかり合う力と力。天地を揺るがす大衝撃の鍔迫り合い。

 永劫の果て。須臾にも満たない時間の拮抗の後、人は竜の手を押しのけ怪物の現前へと一気に迫る。

 

 歓喜と興奮のままに、目の前の強者を喰らうべく大口を開ける竜。

 喰うか喰われるか。誇りと挟持、そして生死を賭けた強者同士の大闘争。

 

 そして結末は訪れる。

 剣は怪物のアギトが閉じきるよりはやく、黄金の刃を怪物へと届かせ──。


 ──その寸前。じりじりと鳴り響くチャイムの音が、世界の全てを消失させた。





 

 鼓膜を劈く大音量に、微睡んでいた意識は覚醒させられた。

 ぼんやりと浮つく感覚と、何とも曖昧な高揚感が脳を漂い続ける。

 

 ……夢か。まあ、あれが現実なわけはないか。

 今見ていたものは、所詮は都合の良い妄想。子供の思い描くお伽噺に近い、実に楽しく理想的な絵空事。

 過去、現在、そして未来。

 全てにおいて叶うはずのない対岸の願望を、無意識にそのまま垂れ流していただけに過ぎないのだ。

 

「おーい高峯たかみね。そろそろ行かねーと遅刻だぞ?」


 意味のない落胆に苛まれていると、後ろから呆れを含んだ声で名を呼ばれる。

 言葉に釣られてふと時計を確認すると、二本の針が指していた時間は一時十五分。

 授業開始は一時二十分。確か実習だから着替える時間も合わせると……やべっ、遅刻寸前じゃん。


狩屋かりや、おま、起こしてくれても良いだろ!?」

「いんやー、気持ちいい寝具合だったもんでついな。わりぃ」


 欠片の罪悪感もなさそうな軽口で謝ってくる狩屋かりや

 実に薄情な友人だ。

 いつか逆の立場になったときは同じ事をしてやろう。そう心に誓いながら、ぱっぱと制服から着替えていく。


「おうおう、女子が来たら犯罪もんだな。更衣室じゃねえんだぞ?」

「うるせー。今日は何だ、魔法科だっけ?」

「惜しい、正解は実武じつぶ。それもAクラスエリート様達とのな」


 狩屋かりやが挙げたのは、一番聞きたくなかった苦手科目の略称。それも一番共にしたくない上位クラスが一緒ときた。

 最早出ても地獄出なくても地獄。

 どちらにしたって逃れられぬ現実に悲しみながら、それでも五体を動かし続ける。

 

 どうか今だけは誰も来ないように。

 老若男女問うことなく。クラスの陽キャや実力者、果ては俺と同じような隅っこ系人間でさえも、この瞬間だけは訪れることのないようにと願いながら、体操服に袖を通す。

 

 全てを着替え終え、運良く誰も来なかったことに安堵を覚えながら道具をかき集める。

 ノートとペンに学生証ライセンス、……それと剣。

 

 ふと、机に立て掛けていた無骨な直剣に目を向ける。

 クラスで一番安値であろう半端な金属の塊。今とは違う、自信満々の笑みを浮かべていた頃の俺が師匠から貰った唯一の武器。──冒険者になりたいと願った少年に送られた餞別の品だ。


 ……それを握りたくない、か。思えば随分と情けなくなっちまったな。


「おい、早く行くぞ! 遅刻になったらジュース一本だかんなー!」


 貰った日の喜び。そこまで遠くないはずの過去に浸りかけていると、いつの間にか扉前まで遠ざかっていた狩屋かりやがこちらへ叫ぶ。

 

 ……そうだ授業。何のために急いでいるんだ。

 こんな物思いに耽っている場合ではない。目前へと迫る苦手科目へとっとと飛び込まなくては。


「……おい待てよ!」


 先に行った友へ追いつくため、誰もいない教室から駆けだしていく。

 先ほどまでの寂寥はもうどこにもなく。

 夢の内容は愚か、目覚めたくないほど楽しい夢を見ていたことすら、既に意識の外に追いやっていた。

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