episode.12


 春の日差しが生き生きとした緑を照らす5月の半ば。小高い丘の上から見える景色は、一面に広がる草花の絨毯。視界のほとんどが牧草地であり、背が伸びた緑の葉を牛や羊が食む姿は、見慣れた生活の一部分だ。


 リアは長袖ワンピースの上から厚手のカーディガンを羽織ると、かごバスケットを手にルークスと丘を下り始めた。この時期の平均気温は10度ほどではあるが、暖かい日差しの中を歩いていればぽかぽかと体も熱を持つ。


 気持ちの良い空気に足取りも軽いリアの横を、ルークスが颯爽と駆け出した。

 どうやら足取りが軽いのはリアだけではないらしい。緑の絨毯にうさぎを目ざとく見つけたルークスは、白いふわふわの毛を靡かせながら喜々として逃げ回るうさぎを追いかけ始めた。


「ルークス! ご飯食べたんだから、いじめちゃダメよ」


 リアの言葉に一度動きを止めてこちらを見たルークスは、分かっているのかいないのか、すぐさままた駆け出して遠くへと離れて行った。


「もぉー、すぐどこかに行っちゃうんだから」


 野生の本能剥き出しで走り回るルークスは放っておくことにして、リアは村に続く道を歩いて行く。道の傍らには常緑低木であるゴースの黄色い花が咲き乱れ、ココナッツのような仄かな甘い香りを漂わせている。枝には棘があるので危険だが、リアは時々この花を摘んでフラワーティーにして飲むこともある。

 大自然に囲まれた生活は身近にある様々な生命の恵みを活かしたものであり、特別な魔法が使えなくてもリアの毎日は充実していた。


「こんにちは、牛さん。今日も元気ね」


 丘を下ると遠目に見えていたいくつかの家々が近付き、舗装された道の両脇で草を食んでいた牛が、リアの挨拶に答えるように「モォー」と鳴いた。


 魔法使いの住む村と言っても、今は魔法の存在を隠す時代だ。魔法使いの数も減り、魔法を信じる人も、その存在を知っている人も数少ない。


 表向きは魔法を使わない営みをして“普通”に暮らしている。酪農ももちろんそのひとつだ。


 牧草地を抜け沢山の家が建ち並ぶフィルファラ村に着くと、いつの間にか後を追って来ていたルークスが、リアの足元で舌を垂らしながら息を荒げていた。村に来ると美味しいものが貰えることを知っているからか、瞳を輝かせてリアを見上げている。


「おかえり、ルークス。ここでは離れちゃダメよ。すぐ悪戯するんだから」


 リアの言葉にYesとばかりにルークスは元気な鳴き声をあげた。返事だけはいつも立派なのだ。


 魔法使いだけが住むこのフィルファラは小さな村だが、学校もあればいろいろなお店もある。必要なものは村で調達しているし、中等教育の年齢である今では村から少し離れた街の学校に通っているリアも、初等教育まではこの村の学校に通っていた。


 美しく彩られたカラフルな家並みに、舗装された石畳の道。歴史を感じさせる廃墟となった石造りの古城は、何百年経った今でも形を残して町に溶け込んでいる。


 リアは一軒の二階建て住宅の前で立ち止まると、シンプルな三角屋根を見上げた。屋根の上では一羽のカラスが羽繕はづくろいに勤しんでいる姿が目に留まった。


「ダラ、こんにちは。アシュリンはいる?」


 当たり前のようにカラスに向かって声を掛けると、ダラと呼ばれた真っ黒なカラスはリアを一瞥し、徐に大きな翼を左右に広げた。


「ふふ、ありがとう。今日は降りて来ないの?」


 リアの言葉にダラは翼を戻して狐のルークスを確認し、ふいっとそっぽを向く。そうして再び嘴を使って羽繕いを始めたので、リアはくすくすと笑いだした。


「ルークスがいつも追いかけ回すから嫌だって」


 不思議そうにルークスが首を傾けていると、目の前の赤く塗られた玄関ドアがガチャっと音を立てて開き、中からリアと同じ年頃の少女が顔を覗かせた。


「アシュリン!」


「やっぱり、リアだったのね。ダラと話す声が聞こえたから」


 リアの友人であるアシュリンはそう言って大人びた笑顔を向け、二人は玄関先で軽いハグを交わした。

 モデルのようにすらりと背が高くしっかり者のアシュリンは、同い年ではあるが面倒見もよく、リアにとっては頼れるお姉さん的存在だ。村の外れにテオと共に住み始めた魔法族ではないリアを、真っ先に受け入れてくれた初めての友人でもある。


 テオと違っての魔法使いであり、中等教育からは魔法使いだけが入学できる学校に通っている。


「あれ、ダラったら、リアが来たのに降りてこないなんて珍しいじゃない」


「ルークスがいるから嫌だって、さっき振られちゃった」


「あー、そういうこと。ルークスはダラのこと大好きなのにね」


 アシュリンに話しかけられ嬉しそうに尻尾を振って一声上げたルークスを見て、リアは苦笑する。食いしん坊のルークスが、あわよくばダラを夕食にしてしまおうと考えているなどとはとても言えない。

 魔法使いは使い魔を連れていることが多いため、この村ではルークスの存在も至って普通に受け入れられている。カラスのダラはアシュリンのお使いであり、大切な友人なのだ。


「さ、入ってリア。ケーキを焼いたから、お茶にしましょ。ルークスの分もあるからね、砂糖不使用のやつ」


 喜ぶルークスが我先にと家の中へ駆け出すと、アシュリンはすかさずジーンズの尻ポケットに差し込んでいたボールペンを手に持ち、ルークスに向けて小さく振った。


 見慣れていなければ何をしたのか分からないその僅かな仕草で、外を走り回って茶色く薄汚れていたルークスの足が、一瞬で元の綺麗な真っ白い毛に戻る。


「相変わらずね、ルークスは」


「そうなの。最近ますます食い意地が張っちゃって」


 笑い声をあげながら二人の少女が家に入れば、玄関ドアの鍵はひとりでに横に回転し、カチリと音を立ててロックが掛かった。


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悪魔はカナリアを探している 宵月碧 @harukoya2

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