episode.11

 朝食を済ませたリアにはやることが山積みだ。後片付けに掃除はもちろん、天気のいい日はここぞとばかりに洗濯をする。変わりやすい天候の元で暮らすには、「今だ」という時にすぐ行動しなければ、気付いた時には悪天候に見舞われてしまうことが日常茶飯事だ。


 忙しなく動き回るリアを横目に、テオはソファに寝転がりながら食後の休憩をしている。伸ばしきった長い脚の上にはルークスが体を丸くして寝ているのだから、この家の“男達”は大抵のことはリアに任せきりということらしい。


 家事が終わればリアはハーブ店の植物を日当たりのいい場所に移して水を与え、店内を軽く掃除する。

 リアが営むこのハーブのお店は、休日のみの営業であり、基本的に無人だ。なんと言っても訪れる客はフィルファラ村の住人とテオの客人がほとんどであり、ユアンのように村の外から何も知らずに人が来店することなど、まずない。

 あの日リアが店にいたのは、日課である植物の世話をしていたからであり、終わればすぐに村の人に頼まれていたハーブを届けに外出する予定だった。

 ユアンとは縁に恵まれた。妖精が繋いでくれたものだとリアは思うことにしている。


「テオ―、出掛けて来るよ」


「ああ、リア。ちょっとおいで」


「なぁに?」


 ソファで寝転んでいたテオが体を起こすと、ルークスも目を覚まして床へと飛び下りた。テオの前まで来たリアの足元で体を伸ばし、大きな欠伸をしている。


「手を出して」


「手?」


 不思議そうに首を傾げながら、リアは言われるがままに右手を差し出す。普段から植物の採取や世話をしているリアの手は、いくつもの擦り傷や皮むけが指先に目立つ。テオはその小さな手を取り、薄い笑みを浮かべた。


「キミは、働き者の手をしているね」


「え? そうかな?」


「もう少し早く気付いていればよかったよ」


 そう言ってテオは、リアの右手を掴んでいる手の親指ですっと優しく彼女の手のひらをなぞった。たったそれだけの動きで、一瞬のうちに古いものから新しいものまで、リアの手に刻まれていたすべての傷を消してしまった。


「わぁ……」


「本当にキミって子は、簡単に傷付いてしまうね」


「テオが丈夫すぎるのよ」


 困ったように言うリアの左手を取りながらテオはふっと穏やかな笑みを返すと、左手の傷も同じ仕草であっさりと治してしまう。

 なんの約束も対価も必要としなければ、特別なことをしたという雰囲気もない。日常の一部として使われたテオの魔法を見ると、彼が悪魔と呼ばれる類の良くない何かであるということが、リアには信じられない。


「ありがとう。テオってなんでもできちゃうけど、できないことはないの?」


「ないよ。……と言いたいところだけど、死者を蘇らせることは僕にもできない」


「どうして?」


「肉体と魂が揃っていなければ、不可能なんだよ。死ねば肉体から魂が離れる。魂のその後の所在は、基本的に僕にも手が届かない。まあ最初から貰う予定の魂は、僕のものになるけれど」


 金色の左目を細めるテオを見て、リアは目を丸くした。当然のような口調で恐ろしいことを言ってのけたテオに対して、疑問と好奇心がむくむくと湧き上がる。


「テオは、魂も自分のものにできるの? どうやって? 魂をどうするの?」


「……今日は随分と質問攻めだね。アシュリンの所に行くんだろう? 僕も少し出掛けてくるから、ルークスは連れて行くといいよ」


 純真無垢な瞳を向けるリアの疑問をかわして、テオは真意の読み取れない笑みを見せる。名前を呼ばれて反応したルークスが、嬉しそうに前足をソファに乗り上げた。


「ほら、ルークスが待ってる」


 ほとんど笑顔と言っていい表情で見上げてくるルークスをちらりと確認し、リアは残念そうに頷いた。

 薄く浮かべる笑みの奥で、テオがこれ以上の会話を望んでいないことは明白だ。彼が話したくないことを、無理に聞くつもりなどなかった。


 テオには秘密が多い。10年一緒にいても、分からないことだらけなのだ。


「いい子だね、リア」


 そう囁いた後にリアの右手の甲へとテオは紳士的にキスを落とす。額に掛かる柔らかな灰青色の髪が揺れ、日の光を浴びた美しい左目がリアを見上げる。

 宝石のように輝く瞳に見つめられて大きく跳ね上がった心臓は、僅かに触れた唇の感触と合わせてリアを激しく動揺させた。


「テ、テオ……っ」


「マーキングだよ。悪いものが近付かないように」


 みるみるうちに頬を真っ赤に染め、リアは息を詰める。

 飄々としたテオの態度に、今のリアにとっての「悪いもの」が誰なのか、教えてあげたいくらいだった。


 テオが人たらしなのは、彼の本質なのかもしれない。人形のように美しい容姿も、言葉巧みに人の心を揺さぶるところも。すべては『対価』を得るため。


 もし、そうだったとしたら──


「キ、キス、だめっ……、禁止……っ」


「禁止って、手じゃないか。挨拶みたいなものだろう?」


「だめ……テオは、だめなのっ……」


「ちょっと待った、傷付くなぁ。僕からすれば、逆だよそれ」


「逆って……」


 困惑しながら呟けば、胸の前まで引っ込めていたリアの手を再び掴んでテオは自分の方へ引き寄せると、今度は手のひらに唇を寄せた。


「僕以外は、だめってことだよ」


 にやりと唇の端を吊り上げたテオの姿に、リアはぱくぱくと口を開閉させた。


 テオにとって深い意味はない言葉だと分かっていても、悔しいことに心臓の鼓動は速まるばかりだ。


 リアが言い返すこともできずに顔を赤くしていると、すぐ隣でソファに前足を乗り上げていたルークスが、不意にぺろぺろとリアの手を舐め始めた。

 二人に割って入ったその行動が、除け者にされていることへの抗議のようで、リアとテオは視線をルークスに向けた。


「……そういえば、ルークスもオスだったな」


「テオだけっていうのは、許してくれないみたいね」


 返事とばかりにルークスが太い尻尾を揺らして甲高い鳴き声を上げると、二人は思わず顔を見合わせて笑った。


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