episode.10

「リア……もうそんな時間か」

 

 眠そうに目を細めてリアの顔を見たテオは、ギッとソファを軋ませ気怠げに体を起こした。

 比較的夜に仕事をすることが多いテオにとって、リアが起き出す時間はまだ夢の中にいることがほとんどだ。上がりきらない瞼で欠伸を噛み殺しながら、ぽりぽりと頭を掻いている。

 

「おはよう、テオ。また深夜にお仕事だったの?」

 

「まあ、そんなとこだね。カナリアはハズレだったけど、仕事は仕事だから。報酬がカナリアだと、お腹が空くよ」

 

「朝ご飯食べる?」

 

「じゃあ、紅茶だけもらおうかな」

 

 リアはにっこり笑って頷くと、掃き出し窓のカーテンを開け放ち、リビングに朝の光を迎え入れる。カウンターキッチンでエプロンを身に付け、ひたすらに早足でリアの後を付いて来ていたルークスへと、本日の朝食である生肉を器に入れて差し出した。

 

「遅くなってごめんね」

 

 待ってましたとばかりに肉にがっつくルークスの背中を撫で、リアは昨夜作ったソーダブレッドを冷凍庫から取り出しオーブンへ。重曹を使った発酵無しで素早く作れるパンで、バターやジャムを塗って食べたり、スープやシチューのお供にも最適だ。

 

「ところでリア、今日学校は?」

 

「今日はお休みでしょー」

 

 ポークソーセージを焼いているリアへと声を掛けたテオは、彼女の返事に「そうか」と呟いてソファの背もたれに体を深く沈めた。

 曜日感覚がなくなるのも、いつものことだ。

 

 焼き上がったソーダブレッドにバターを塗り、ソーセージと合わせて皿に盛り付ける。昨夜の残りのマッシュポテトも皿の隅に添えれば、リアの朝食は完成だ。

 瓶詰めにした手作りのマーマレードもダイニングテーブルに一緒に並べておく。

 

 朝食を準備しながら手鍋に沸かしていた水に茶葉を入れ、沸騰させないように数分火にかけたらミルクを加えて更に弱火で数分。火を止めた後に軽く蒸らして、茶漉しでふたつのマグカップに注ぎ入れる。意外と甘党なテオの分に砂糖を多めに混ぜたら、毎朝欠かせないミルクティーが出来上がる。

 

「テオ、起きてる? 紅茶飲むんでしょ」

 

「ああ、そうだった。ありがとう」

 

 腕を組んでうとうとしていたテオは立ち上がると、テーブルを挟んでリアと向き合うように椅子に腰掛けた。

 

「あ、そうだテオ! ユアンからメールが来ていたの。妹さん、後遺症もなく近いうちに退院できるって!」

 

 ソーダブレッドにマーマレードを塗りながら、リアは紅茶を啜るテオに笑顔を向けた。

 自室を出る前に確認したユアンからのメールには、妹の現状と感謝の言葉が綴られていた。テオがしっかりユアンとの約束を守ってくれた証拠だ。

 

「……それはおめでとう。ところでキミはいつからユアンと連絡を取り合うような仲になったんだい?」

 

 眉を寄せほんの僅かに不機嫌そうな声を出したテオは、カップを置いてリアの皿からソーセージを1本奪い、口に放り込む。

 

「いつからって、ユアンが帰る時に連絡先を交換したのよ。それから時々やり取りしてるの。スマートフォンを持ってないって言ったら、すごく驚いていたけれど」

 

「ああ……そうか、今はみんなあれで連絡を取り合うのか」

 

「うん。テオと一緒にいるとなくても不便に感じたことなかったけど、学校の子にも驚かれるよ」

 

 言い終えるとリアはソーダブレッドに齧り付き、もぐもぐと小動物のように咀嚼した。

 リアの足元には自分の食事を終えたルークスが、おこぼれをもらおうと座って待ち構えている。

 

「確かに、リアにはあった方がいいかもしれないな。持ち運びやすい媒体がある方が、僕も連絡を取りやすいし」

 

「え? いいの?」

 

「そうだね、用意しておいてあげるよ」

 

「わぁ、嬉しい! ありがとう、テオ!」

 

 喜ぶリアへとテオは薄い笑みを返すと、紅茶を口に運ぶ。嬉しそうにしているリアの姿に足元にいたルークスも興奮して立ち上がり、ぶんぶんと尻尾を振った。

 

「そうだ、わたし後でお散歩しながらアシュリンのところに行って来るね」

 

 興奮しているルークスにソーセージをあげ、リアは村に住む友人の名前を口にした。

 魔法使いがひっそりと暮らしているフィルファラという村の人達には、リアがこの家に来た当時からお世話になっている。


 少し村から外れた所に住んでいるリアを気にかけ、作物や搾りたての生乳をお裾分けしてくれるのだ。


「出掛けるのはいいけど、今は妖精やなんかが活発化し始める時期だからね。日が暮れる前に帰って来るんだよ」


 そう言ってテオはリアの唇の端に付いたマーマレードを指で拭い、当然のようにぺろりと舐め取った。

 彼のひとつひとつの些細な仕草が言いようのない色気を醸し出し、リアの心を揺さぶる。


「キミは人より少し、そう言った類のものに好かれやすい。純粋な心は、良いものも悪いものも惹きつけてしまうからね」


 テオの言葉を聞いているのかいないのか、リアは頬を赤く染めて唇を結ぶと、手にしているソーダブレッドに視線を落とした。たっぷりと塗ってあるマーマレードを恨めしげに見つめた後、穏やかな笑みを浮かべるテオに上目を向ける。


 なんてことはない、いつもの日常だ。


「不満そうだね、リア」


 見透かすような瞳と目が合い、リアの頬は更に赤みを増した。

 テオに隠し事など不可能に近いことだと分かっているが、彼に年頃の少女の所謂乙女心が理解できるかどうかはまた別の話だ。


「テオが……子ども扱いするから」


「キミはまだ子どもじゃないか」


 さらりと返ってきた言葉にむうっと不満げに唇を尖らせれば、珍しく反発的なリアを興味深そうな顔でテオはまじまじと見つめた。


「なるほど、これが反抗期ってやつか」


「もおー! 違うよ! テオったら!」


 まるで見当違いなことを言うテオから逃げるように立ち上がったリアは、皿を手に真っ赤な顔でキッチンへと駆け込んだ。


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